第10話 召喚命令
ディネロが探りを入れた翌日の朝。ナハトとシトレンが情報をまとめている最中、城から近衛騎士が複数名やってきた。応接室で読み上げられた書状は、同日3時に王の下へ出頭せよというまさしく召喚命令であった。
「…予想した通り、王妃様の訴えによるものみたいだね」
書状を確認したコルビアスがそう呟いた。書状には国王からの召喚命令である事と、誰からの訴えであるかが書かれている。罪状などは書かれておらず、純粋に城への登城を求めたものであるようだ。
しかし―――。
「コルビアス様がお戻りになるまで、この者は拘束させていただきます」
「…っ!」
ジモだけは許されず、近衛騎士に連れられ馬車で城へ連れ去られてしまった。それもそのはず、ジモは食事を作った者で、その食事に毒が盛られていたと訴えられての召喚なのだ。書状には書かれていないが、訴えが王妃であるマルヴィナである以上ジモの拘束は避けられない。
「コルビアス様」
「…わかってる」
震えながら連れていかれたジモの顔が忘れられない。おそらくジモは一旦城の地下牢へ連れていかれるだろう。何の罪状も決まっていないのだから拘束以上のことはないはずだが、平民であるジモには相当きついはずである。
「…急いで準備いたしましょう」
シトレンの言葉に頷いて、コルビアスらは登城の準備を始めた。
「何故彼だけなのですか!」
フィスカとディネロに留守番を頼み、残りの全員で城へ向かった。
だが謁見の間には、コルビアスと何故かナハト以外の者の入場が認められないと言われてしまったのだ。シトレンが反発するも、近衛騎士は無機質に言葉を返す。
「それはお前の知るところではない」
「…っ!」
コルビアスの側近であるシトレンの言葉に答えをもらえないほど、ここではコルビアスの価値は低い。それはもちろんナハトやリューディガーら近衛騎士も同じだ。ただ一人入室を許可されたナハトも意味が分からず視線を向けるが、近衛騎士はこちらを見向きもせずにナハトとコルビアスの入室を促してくる。
コルビアスは小さく息を吐くと、「わかった」と短く返事をして、シトレンを含めた護衛騎士を振り向いた。
「私とレオで行く。みんなはここで待っていてくれ」
「コルビアス様…」
「シトレン。大丈夫だ」
シトレンが向けた不安そうな視線をコルビアスは頷いて返し、離れた。背中から「頼みましたよ」という小さな呟きと、ヴァロの心配をのぞかせる視線に少しだけ微笑んで、ナハトはコルビアスと共に謁見の間の扉をくぐった。
低い音を立てて扉が閉まり、高い天井とふかふかした絨毯の長い廊下の先に謁見の間はあった。僅かに青みがかった白い石で囲まれたそこは、今通ってきた廊下よりもさらに天井が高く、半円状にくりぬかれたようになっていた。正面の玉座には国王と王妃が座り、そこよりも2段ほど低い左手には口ひげが良く似合う少しくすんだ濃い緑の髪で少々爬虫類の色が出ている男性が立っている。見たところ他には近衛騎士が4名と文官が1名いるだけで他に人の気配はない。
位置から察するに、王の左手前にいるのはおそらく宰相だろう。生真面目そうな印象を受けるその人物は、コルビアスに続いて入ってきたナハトに視線を向けると不快だと言わんばかりに眉をひそめた。
それに気づかないふりをして、コルビアスとナハトは玉座の前で膝をついた。俯いたまま、コルビアスが口を開く。
「コルビアス・ノネア・ビスティア、その護衛騎士レオ。召喚に応じ参上致しました」
「うむ…顔を上げよ」
王の言葉に、コルビアスに続いてナハトは顔を上げた。辛うじて堪えているようだが、それでも抑えきれない鋭い視線がコルビアスとナハトに降り注ぐ。王妃マルヴィナのものだ。扇で顔を半分隠してはいるがまるで犯人だと言わんばかりの視線である。
王の眼は夕食会の時と同じく、感情を読み取らせないような静かな―――それでいて力強いものだった。一度コルビアスを見たその目が宰相へ向くと、彼は隣に立つ文官から書類を受け取り一度目を滑らせてからコルビアスへと一礼した。
「お初にお目にかかります。コルビアス・ノネア・ビスティア様。私はディミトリ・フラガランサと申します。この度は進行を仰せつかりました。よろしくお願い致します」
「…よろしく頼む」
「それではこれより始めたいと思います。…陛下、お願いいたします」
ディミトリが頭を下げると、国王ウィラードはコルビアスを見下ろして口を開いた。
「コルビアス。此度の召喚の理由はわかるか?」
「…私の料理人が近衛騎士に拘束されました。さらに、この場にリステアード様やニフィリム様がいらっしゃらない事から、お二人に何かあり、私の料理人に疑いがかかっていると推察されます」
「…おまえが、指示したのであろう…?」
低く唸るような声が聞こえた。マルヴィナが我慢できないといった様子で、口を開く。
「おまえが料理人に命令したのであろう?」
「何のことかわかりかねます」
マルヴィナの声とは反対に、コルビアスの声は落ち着き払っていた。それが癇に障ったのだろう、音を立てて扇が畳まれる。
「王妃様、お待ちください」
「黙りなさい、ディミトリ。宰相ごときがわたくしに話しかけないで」
王の言葉を遮って話すマルヴィナを止めようとディミトリが口をはさむが、立場の違いを出され彼はきつく口を結ぶ。
(「このままではらちが明かないな」)
ナハトには発言は許されていないため黙っているが、そもそもを言えばなぜナハトのみこの場への同行が許されたのか見当がつかなかった。考えられるのはナハトが魔術師であるという事くらいだが、それも消去法で考えたらである。この場に膝をついて黙って成り行きを見守る以外出来ることはないが、どうにも嫌な予感がして首の後ろがざわついた。
「嘘をおっしゃい!おまえが兄達を弑そうとしたことは分かっているのです!」
「…兄様方は毒をもられたのですか?」
淡々としたその言葉に、マルヴィナの頬に赤が差した。口を滑らせたことが分かったのだろう、口を覆うがもう遅い。
ウィラードは小さくため息をつくと、近衛騎士に王妃の側仕えを連れてくるよう伝えた。マルヴィナは一瞬抵抗する様を見せたが、自分の失態を思い出したのか側仕えに支えられて大人しく退室した。
「…もう遠回しに確認する必要もあるまい。それで、コルビアスよ。おまえは毒を入れるよう指示をしたのか?」
遠回しにも隠しもせずにそう正面から言われコルビアスとナハトは驚いたが、それ以上に周囲が大きく狼狽えた。ウィラードはそれを手で制し、続ける。
「多くの者がおまえがやったと言っている。何か申し開きはあるか?」
「私でも、私の料理人でもございません」
「それを証明できるか?」
そう問われて、コルビアスは一度視線を伏せてから口を開いた。ここで無実を証明することは不可能だ。状況はコルビアスに不利で、そもそもやっていないことの証明など出来るものではない。
ならばここですることは、コルビアス以外の者がやった可能性を示す事と、コルビアスが毒をもる意味がないという事をどれだけ口で証明できるかという事だ。
「証明は出来かねます。ですが、私が用意した皿はデザートの一皿です。夕食会の後の歓談のことを考えれば、もられたのは遅効性の毒でございましょう。でしたら、他の皿に毒がもられた可能性もございます」
もっともな意見であるが、このコルビアスの発言にウィラードは首を横に振った。続けて口を開いたのはディミトリであったが、語られたそれに思わずナハトもコルビアスも腰を浮かせた。
「コルビアス様がご用意された、リステアード様とニフィリム様の皿から、毒が検出されました」
「…なに…?そんな馬鹿な…!」
声を張り上げたコルビアスに、ディミトリは淡々と言葉を返す。
「事実でございます」
「ありえない…」
愕然とするコルビアス。
ナハトも驚きに目を見開いていた。ナハト自身コルビアスが毒をもったのだとは思っていないが、事実皿から出たのであれば疑いが向くのは当然だ。被害者がいて証拠があるならば、コルビアスが毒をもったものだと、罪を言い渡されるのも時間の問題である。
(「…だが、それにしては王の行動はおかしくないか…?」)
そこまではっきりとしたものがあるのであれば、書状ではなく罪状であったとしてもおかしくない。だというのにわざわざ弁明の機会を与え、”証明しろ”という事は、ウィラード自身コルビアスがやったとは思っていないという事ではないだろうか。
事実、コルビアスの様子を窺うように視線が注がれているが、当の本人は毒が皿にあったという事がショックであったのだろう。青い顔をして俯いてしまっている。
(「…仕方ない」)
ここでの発言はさぞ目立つだろうが、このままコルビアスに罪ありとされれば、どんな不条理がナハトとヴァロに降り注ぐかわからない。ならば出来る限りのことはするべきだ。ナハトはコルビアスへの疑いを削ぐため、頭を下げて口を開いた。
「主に代わり、発言することをお許しいただけますでしょうか?」
「………許す」
たっぷりの間の後、ウィラードがそう返したのを確認してナハトは顔を上げた。不安そうな視線でこちらを見るコルビアスに一度視線を向け頷くと、礼を口にしてディミトリに声をかけた。
「他の皿には毒の痕跡はございませんでしたでしょうか?」
「……それは、どういう意味ですか?」
「食事の後にお倒れになったという事から、遅効性の毒であったことは確実なのでしょう。ですが、それならば疑わしいのはコルビアス様がお出しになられた料理だけではないはず。もっと前の、それこそ前菜にもられていた可能性もございましょう?」
「無礼な…!国王様の料理人や、王子様がたの料理人が、主の皿に毒をもったというのですか…!」
「可能性の話でございます」
小さいどよめきが起こるなか、ナハトは続ける。
「コルビアス様がお出しした皿に毒の痕跡があったとのことですが、下げた後の皿に毒があったのでしたら、コルビアス様に罪をきせるためだけに毒が置かれたという事も考えられます。それを行えるのは料理人だけでなく、それを運ぶメイドや執事、給仕の可能性もございましょう。…もう一度お尋ねいたしますが、他の皿の見分は行ったのですか?」
ナハトの問いに、ディミトリは手元の書類に視線を落とした。左右に動いていた視線が一点で止まり、さっと顔色が変わる。
それはウィラードにもわかったのだろう。小さく息を吐くと、ディミトリに発言するよう促した。
「…他の皿にはなかったと、書かれております」
「それは調べたわけではなく、洗われていてわからなかったのではないですか?そもそも…デザートの後1時間の歓談をはさんでいたにもかかわらず、デザートの皿が洗われずに残っていたことに疑問を感じなかったのですか?」
「………もうよい」
ナハトの言葉に反応したのはウィラードであった。ディミトリから調査書を受け取り、自身で目を通すと大きく息を吐いた。
「確かに、その護衛騎士の言うとおりだな」
「陛下…!」
「下がれ。今、余はその護衛騎士と話をしているのだ」
同意したウィラードに慌てた様子でディミトリが声を上げるが不快そうに制されてしまった。
威圧的な金色の目が見下ろしてくる。だが、その表情が少し笑っているように見えて、ナハトは彼が求めていることに察しがついた。ナハトを見た視線はそのまま横へ流れてコルビアスへと向けられる。
「おまえの言う通り、確かにコルビアスが犯人と決めつけるには早すぎるようだが…依然コルビアスとその料理人には疑いが向いている。どう身の潔白を証明するつもりだ?」
意地の悪い聞き方だ。夕食会からは丸一日以上経っていて、マルヴィナの様子や、リステアードの第一夫人がこの場にいないことからしても、まだ王子たちが床に伏しているのだという事は察しが付く。だというのに碌な犯人探しもせず、コルビアスを犯人と決めつけてここへ呼びつけた。
ナハトの発言を元に今から新たに犯人探しをしたとしても、見つけることは難しいだろう。何より犯人捜索の手足になる者達が、コルビアスが毒をもった犯人であると考えて動いていたものたちだ。今更碌な証拠が見つかるとも思えない。
ならば―――求められていることはただ一つである。
「コルビアスよ。護衛騎士にばかり喋らせて、おまえの意見はないのか?」
ウィラードの言葉に、はっとした顔でコルビアスは顔を上げた。どうやらもうナハトの発言は許されないらしい。
ほんの少し考えて、コルビアスは口を開いた。
「…身の潔白を証明することは難しいでしょう。ですが、兄様方をお救いすることは出来ます。どうか私に、解毒のお手伝いする機会を与えてくださらないでしょうか?」
コルビアスの言葉に、国王はにやりと笑った。
彼が求めていたのは解毒の手伝いであったのだ。ナハトが声を上げなければ、調査書の矛盾を王自身が指摘していたに違いない。それほどまでに腕を買われている理由がわからないが、面倒なことに巻き込まれてしまったとナハトは強く拳を握った。
ヴァロとリューディガーとシトレンは謁見の間のはじでナハトとコルビアスが出てくるのを待っています。
ナハトだけ入れたので、シトレンはなんでだと小声でヴァロを問い詰めますが、もちろん理由などわからず…
憤慨しつつも悲しむシトレンを慰めるヴァロは早く出てきてと思っています。
ディミトリは耳と目が爬虫類の要素が出ている優等種です。
尻尾はあまり長くありませんし、肌の色は少し緑がかっているくらいで鱗もありません。