第9話 疑い
翌日になってもコルビアスの熱は収まらなかった。だがシトレンとナハトの読み通り毒ではなく疲労のようで、熱は高いが痛む個所は特にないようでぐっすりと眠っている。
「大事がないようでよかった…」
何度目かの確認をしたシトレンは、やっと少し下がってきた熱を確認してそう呟いた。それを傍らで見ていたフィスカもほっと息を吐き、持っていた水の入った桶をサイドテーブルの上に置いた。時計を見ればもう昼近くである。
「シトレン、少し休んではいかがですか?昨夜からずっとついておられたのでしょう?」
フィスカがそう声をかけると、シトレンは息を吐きながら彼女の方を向いた。昨日から付きっきりであるとはいえ、随分と疲れた様子を見せる彼にフィスカは思わず首を傾げる。
「何かあったのですか?」
「…王妃様は、どうしてああもコルビアス様に冷たく当たられるのかと思いましてね…」
夕食会での事はフィスカも聞いていた。
王妃であるマルヴィナとコルビアスの関係は、彼が2歳になるまではそう悪いものではなかった。コルビアスは生まれた時に母である第二夫人と死別していたため、第一夫人であり王妃のマルヴィナを母親代わりとして育ったのだ。それが、ある日を境に急に冷たいものになってしまった―――。
「それは…」
シトレンの言葉に、フィスカは悲しく目を伏せた。それはフィスカにもシトレンにも、もちろんコルビアスにも分からない事だ。コルビアスが2歳になったある日、突然マルヴィナは彼を遠ざけるようになった。そしてまるで憎んでいるとでも言わんばかりの態度をとるようになり、それからコルビアスを守って来たのはシトレンとフィスカ、そしてリューディガーの3人である。
「シトレン、それはもう考えないようにしようと言っていたではないですか。わたくし達の考えが及ばない事があるのやもしれないとも…」
「…分かっています。ですが、夕食会に呼ばれた事で期待してしまったのです」
まだ親の愛情が必要な年齢であるにも関わらず、それが叶わないコルビアスの事がシトレンは不憫でならなかった。だから今回夕食会に呼ばれ、デザートを任された事は、これまでの関係の雪解けではないかと思っていたのだ。そう思っていたからこそ、そうではなかった事が残念でならない。
「シトレン…」
「…どうやら、本当に疲れたようです。すみませんが、少し休ませていただきます」
そう言ってシトレンはフィスカに看病を任せ、部屋を後にした。
コルビアスが目を覚ましたのは、昼を少し過ぎた頃。護衛の交代のついでにコルビアスの食事を取りに来たナハトとヴァロは、そこでジモから相談を受けた。
「城の様子がおかしいとは、どういう事ですか?」
「それが何というか…静かだけど騒がしいというか、妙にピリピリしているというか…」
「また嫌がらせされたんですか?」
ヴァロの「嫌がらせ」という言葉に反応して、ジモが大きく首を横に振る。
「いいえ!嫌がらせなんかはなくて、むしろ早く行けと追い出されました」
「ふむ…」
城と騎士寮、それとこの屋敷への食材は、まとめて城へ届けられる。それを騎士寮の料理長とジモは、毎回5のつく日と0がつく日に取りに行っているのだが―――。
今日も食材を取りに城へ行ったところ、いつも先に外に置いてあるはずの食材がなく、裏口をノックするも反応が悪かったそうだ。何度かのノックでやっと反応があったものの、対応した調理係はピリピリとしていて、さっさと持っていけとその場で食材を積み込むよう要求されたらしい。
「いつもなら帰宅したディネロにそれとなく伝えておけばよかったんですけど、ディネロは今コルビアス様の護衛についてますでしょ?だから、お二人に言っておこうかと思いまして…」
「わかりました。私たちの方からコルビアス様にお伝えしておきます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
パンがゆと果実水を持ってコルビアスの部屋へ向かうと、扉の前で護衛に当たっていたディネロがこちらに気がついた。
ヴァロが持っているトレイを見て、食事を持って来たことに気がついたのだろう。頷いて部屋の中に了解を取り、扉を開けてくれた。
「コルビアス様、お加減はいかがですか?」
部屋の中へ入ると、コルビアスはフィスカに起こしてもらっているところであった。まだ少し寝ぼけたような顔で、ベッドに作られた背もたれに寄りかかっている。
「…2人ともおはよう。びっくりさせちゃったかな…?」
「全然大丈夫です。ナハトの熱の出し方に比べたら、コルビアス様熱の出し方は…いひゃい!」
「…少し黙ろうかヴァロくん」
ナハトはにっこりと笑ったままヴァロのの頬を引っ張った。
ナハトが熱を出す時は魔力を使い過ぎたり魔力が溜まり過ぎたりと、体に大きな負担がかかった時だ。そういう時は戦闘自体が無理を強いるものが多かった為、丸一日意識が戻らなかったことも珍しくない。そんな特殊なものと比べて大丈夫などと言って欲しくないし、何より人を引き合いに出すなと言いたいところである。
「と、とにかくコルビアス様が元気になったみたいで良かったってことです!」
「まだ熱がありますのでお静かにお願いします」
「…はい…」
「ふっ…あはははっ!」
フィスカにも叱られてしゅんとしょげたヴァロを見て、コルビアスは赤い顔のまま笑った。どこか嬉しそうに笑う彼に、フィスカが不思議そうに声をかける。
「コルビアス様?」
「ははっ…ごめん。こんなに真正面から元気よく"良かったです!"なんて、今まで言われた事なかったから…」
そう言って笑うコルビアスはどこか照れた様子で頬をかいた。シトレンもフィスカも貴族であるから、真正面から感情のまま言葉を発する事はないのだろう。いや、シトレンは怒りに関してはそのまま出している印象だが―――。
ヴァロの心配の仕方はよほど新鮮であったらしい。
「あっ、もちろんフィスカ達が心配してくれてるのも分かってるよ?」
「ふふ…分かっております」
慌ててコルビアスが訂正すると、フィスカは笑いながらヴァロからパンがゆと果実水が乗ったトレイを受け取ってベッドの傍へ腰掛けた。そうしてパンがゆをスプーンで混ぜてすくい、少し覚ましてコルビアスの口元へ差し出した。それをパクリとコルビアスが口にした事で、ナハトは驚いて僅かに目を見開いた。
(「…貴族ではこれが普通なのか?」)
フィスカがメイドである事を考えれば随分と甘えた光景だと思った。だが横を見ればヴァロも微笑ましくそれを見ている事から、子供であれば具合が悪い時はこれが普通なのかもしれない。
「…あんまり見られると恥ずかしいんだけど…」
見られていることに気づいたコルビアスにそう言われて、ナハトは慌てて「失礼しました」と頭を下げた。
「ジモがそう言ってたの?」
「はい」
食事が落ち着いた頃を見計らって、ナハトとヴァロはジモから聞いた話をコルビアスに共有した。病み上がりの彼に考えさせるのは憚られるが、どうするかの判断はコルビアスがしなければならない。
コルビアスはしばらく考えると、ナハトとヴァロに問いかけて来た。
「2人はどう思う?」
「え…?俺は…ジモがそう言うんだから、本当に何か様子がおかしいんだろうなって思います」
「ナハトは?」
「私も同感です。ただ、なにか話考えるにしても現状は情報が足りません。もう少し深く探る必要があるかと」
「…そうだよね。わかった、ディネロを呼んでくれる?」
「わかりました」
ナハトとヴァロはディネロと入れ替わるように部屋の外へ出た。
「それじゃあ、私も失礼するよ」
「あ、うん」
もともとヴァロとディネロの護衛の交代にナハトがついて来ただけであった為、ナハトはその後は図書室で本を読んで過ごした。夕方になってからは不寝番のため仮眠し、みんなより遅れて夕食を取っていたのだが―――その最中に、ヴァロが慌てた様子で呼びに来た。
「ナハト、コルビアス様が呼んでる」
「…?わかった」
「あ、まだ食べますよね?棚に入れておきますので、戻ってきたらここ見てくださいね」
「ありがとう、ジモ」
すぐにナハトはヴァロに連れられて2階へ向かう。そうしながらも、何があったのかと問うと、どうやらディネロが城の調査から戻ってきたらしい。
ディネロはナハトらが部屋を出てすぐコルビアスに城の調査を依頼されたのだが、帰ってきたディネロから報告を聞いたコルビアスがすぐにその場にいない面々を呼びにいかせたのだという。現在部屋で休憩していたフィスカも呼び出されていることから、何か良くないことが起きているのだろう。
「お待たせしました」
ナハトが部屋へ入ると、ジモを除いた全員が集まっていた。コルビアスは寝巻きのまま起き上がってソファに座っており、そのコルビアスとシトレン、それと報告者であるディネロが硬い顔でナハトを見る。
「…何があったのですか?」
「まずい事が起きた。ディネロ、もう一度報告を」
「はい」
そう返事をして、ディネロは城の内情を報告した。それによると夕食会から帰宅直後、リステアード王子とニフィリム王子が毒に倒れたというのだ。そして、リステアードの容体はあまり良くないらしいと―――。
「もちろん僕は毒などもっていないし、ジモにもそんな指示をしていない。彼がそんな事ができる人間じゃない事は、僕が誰より知っている。だけれど、事実兄様たちは毒に倒れてしまっているようなんだ」
「…それは、非常にまずいですね…」
「城ではコルビアス様を城に出頭させよとの声が上がっていました」
「馬鹿なことを…!」
ナハトの呟きにディネロが答え、シトレンが憤慨する。だが、そこで不思議そうな顔をしたヴァロがナハトにそっと問いかけて来た。
「…ごめん、ナハト。よくわからないんだけど…何でコルビアス様が城に出頭しなきゃいけない事になってるの?」
「まったく君は…。リステアード様とニフィリム様に毒をもったのがコルビアス様ではないかと、城で話されているからだよ」
「ええ!?なんで!?」
「声が大きい」
大きな声を上げたヴァロの口を慌てて塞ぐがもう遅い。ジロリとこちらを向いたシトレンに謝りながらも、ナハトは静かにヴァロに説明した。
「いいかい?今回コルビアス様は初めて夕食会に呼ばれて、そのあと2人の王子が体調を崩された。今までの夕食会との違いは、コルビアス様がいたかいなかったかだ。しかもコルビアス様の担当はデザートで食事の1番最後。だから、コルビアス様がデザートに毒をもったのではないかと疑われていると言うわけだ」
「え、なんで?コルビアス様が初めて参加したんだから、そんな事したら1番に疑われるって分かるような事するわけないのに」
「…そういうところの察しは本当にいいな」
思わず笑うがヴァロの言う通りだ。
しかしそれはこちらの意見。おそらくではあるが、あちらも本気でそう言っているわけではないだろう。夕食会での会話の中でも感じたが、少なくとも国王はコルビアスの利発さをよく知っているようであった。
だが事実そう言う話が出ているのは確かだ。王子2人は毒に倒れていて、まだ外にはこの話は漏れていない。ならばコルビアスを出頭させろと言っているのは―――。
「王妃様でしょう」
シトレンの言葉に、ディネロは静かに頷いた。
「はい。王妃様がコルビアス様の仕業であるとお疑いのようです」
「…僕とジモで考えたデザート、食べてくれなかったのになぁ…」
そう言って、コルビアスは悲しそうに笑って俯く。そんなコルビアスの前にシトレンは膝をついて声をかけた。
「コルビアス様、どうされますか?」
「はぁ…どうもこうも出来ないよね…。王妃様がお疑いなら、数日中に召喚命令がくる。その時を待つしかないな…」
「そんな…何も出来ないんですか?」
ヴァロの言葉にコルビアスとナハトは首を横に振る。ジモとディネロのお陰で先に城の様子を知れたが、本来ならばコルビアスが知るのは召喚命令が来た時だ。それがくる前に動けば、無実であっても変に疑われかねない。
「犯人は分からないんですか?」
「今回に関しては分からない…。今まで毒を使われた事はそうなくて、使われたとしても嫌がらせ程度のものばかりだったんだ。それが兄様2人共が毒に倒れているとなれば…僕でもまずは僕を疑うよ」
「リステアード様とニフィリム様がお倒れになって得する者はコルビアス様しかおられませんからね…。正直なところ、犯人が何を考えて毒をもったのか分かりかねます」
シトレンの呟きにコルビアスは頷いた。毒をもったものがコルビアスの失脚を望んでいるのか、それとも逆にコルビアスのためにリステアードとニフィリムを排除しようとしたのか―――。
もし後半なら、コルビアスにはそうさせるだけの味方がいることになるが、残念ながらそんな者に心当たりはない。
「考えられるのは、リステアード様とニフィリム様のどちらか、もしくはその忠臣がコルビアス様を貶めるために毒をもった。お2人どちらかの容体次第ではその可能性はなくはないですね…」
「うん…」
どちらにせよ、ここで考えても始まらない。まずはできるだけ情報を集める事が重要だ。コルビアスはディネロに向き直ると、彼に向かって口を開いた。
「ディネロ、続けてで申し訳ないんだけど、兄様たちの様子を可能な限り調べてみてほしい。出来るだけ早く知りたいから、分からなくても朝には一度報告に戻って来て」
「畏まりました」
「その報告を受けたらシトレンとナハトは毒の種類を特定できないか調べてほしい。植物の魔術師ならその辺詳しいでしょ?」
「わかりました」
「それと…」
次々にコルビアスは指示を出した。だがそうしてまた負担がかかったせいか熱が上がり、眠ることを余儀なくされてしまった。
今城で何が起きているのか、本当に王子たちは毒に倒れているのか、誰が毒をもったのか、毒をもった理由は何なのか―――。
何一つわからないが、様々な疑いが全員の頭の中に渦巻いていた。