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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第一章
11/189

第11話 喧嘩

 ナハトがヨルンに襲われたその日、ナハトが帰ると、慌てた様子のエルゼルが訪ねてきた。村の誰かからナハトの事を聞いたようで、心配したと泣かれてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。顔や指にいたるまで怪我がないかを確かめられ、身長差もあるためにもみくちゃにされるとまるで子供になったような気分になる。

 一応どうやって切り抜けたかを説明し、ヨルンに余計なことを言わないでほしいと釘は打っておいた。ああいう輩には、あいつは強いと思わせておけばいい。


「ヴァロくん、今日は早く帰れそうかい?」

「う、うん…」


 昨日、ヴァロは夜中近くに帰宅した。ヨルンに捕まって手酷くやられたのかとも思ったがその様子もなく、ただただ落ち込んだように俯いていた。そのため、結局話どころではなくなってしまった。


「じゃぁ、今日こそ帰ってきたら話があるから、少し時間をもらえるかい?」

「…わかった」


 昨日帰ってきてから、ヴァロはより様子がおかしい。始終耳も尻尾も下がったままなのだ。口を開きかけては閉じるというのも続いていて、なんとも居心地が悪い。


「ングー…?」

「ヴァロくん、ドラコがそれ食べて元気出せって言っているよ?」


 ドラコまで気を使って、自分のデザートをヴァロの皿に分けている。

 それにも大した反応を示さず、ヴァロは仕事に出かけて行った。


 今日は午後からの勤務ということで、ナハトは早速武器屋へ出かけた。武器屋は鍛治ギルドに隣に立っており、この村で唯一武器が買える店だ。

 2階建ての大きな店で、よく見ると裏手が鍛治ギルドと繋がっている。木製の扉を開けると、扉の内側につけられたベルがカランと音を立てた。


「…失礼します」


 中に入ってみると、外から見たよりもずっと狭く感じた。部屋の中心にはいくつも衝立のようなものが立っていて、その壁と、四方の壁いっぱいに、さまざまな武器が飾られている。見たことのある形の武器もあるが、見たことがないものも多かった。貼られている金額を見ると、最低は中銅貨からだ。やはり貰いすぎたかもしれない。

 物珍しさから、つい店内を見回ってしまう。


「いらっしゃい。おや、初めてみる顔だな」


 ベルの音に気づいたのか、奥の部屋から初老の男性が出てきた。濃い灰色の髪が髭と繋がった、ナハトが見た中で1番小柄な人だった。おそらくナハトと同じか、もう少し小さいくらいか。腕の太さだけはものすごく、身長のわりにかなりの剛腕だ。

 男はエプロンから眼鏡を取り出すと、カウンターから乗り出してきた。下に台でも置いてあるのか、突然相手の身長が高くなる。


「何をお探しかな?うちは色々揃ってるよ」

「私が使えそうな短剣を探しています。力が無いので、できるだけ軽くて、丈夫なものがいいです」

「予算は?」

「中銀貨1枚です」

「用途は?」

「護身用です」

「護身用ねぇ…」


 そう言って、店主は指をこちらに向けた。何かを出せと言う仕草に首を傾げていると、諦めたようにナハトの手を取った。掌を上に向けて、手の大きさや厚み、指の長さなどを見ているようだ。

 店主は散々手を見ると、そのまま腕を一度だけ掴んだ。ふさふさの眉を片方あげて、ナハトを見る。


「あんただろう?ヨルンを撃退したやつってのは」


 思っても見ないことを言われて、言葉に詰まった。それを肯定と見たのか、ニヤリと悪い顔をした店主は言葉を続ける。


「昨日、悪餓鬼のヨルンが、村のものじゃ無いやつにやられて逃げ帰ったと噂になっとる。黒い髪と耳で、肩にトカゲを乗せた随分小柄なやつだったと聞いとるが…おまえさんだろ?」

「…グー」

「…まだ昨日のことだというのに、いやはや、噂とは怖いものですね」

「この手じゃあの悪餓鬼をやったとは思えんがな」

「噂は誇張されるものですよ」


 そう言うと、店主はまた片眉を上げてこちらを見たが、それを笑顔で返す。

 何も答える気がないのが伝わったのか、店主はニヤリと笑うと、カウンターを出て、2本の短剣を持って戻ってきた。1本は刃渡りが20センチくらいで刃の厚みもそこそこある、ナイフタイプの物だ。もう1本は、投擲も兼ねた短剣だ。

 どちらも購入するには考えさせられる。どちらもナハトがあまり使い慣れない形の短剣だ。


「ダガータイプのものはありませんか?」

「あるっちゃあるがちいと重さがな…その腕じゃ、あまり重いのは持てねぇだろう?…ああ、短剣とは少し違うが、こういうものもあるぞ」


 店主が一度奥に行って、箱を持って戻ってきた。木箱を開けると、中には両刃のダガーが2本入っていた。シンプルな装飾で飾りもなく、持ち手が持ちやすいように一部木になっているだけで、あとは全て金属のみで作られたものだ。


「これは両手で1本ずつ持つ武器だ。あんたが言う短剣とは違うかもしれんが、これはどうかね?」

「…持ってみてもよろしいですか?」


 もちろんと渡されたそれを手に取ると、見た目よりもずっと軽く、ナハトの手にもよく馴染む物だった。軽く振ってみてもなんら問題ない。左手に持ち替えてもみたが、こちらも問題なさそうだ。とても振りやすい。


「…素晴らしいですね。こちらにさせていただきます」

「あいよ。他にいるものは?」

「これをしまう鞘と、ベルトをいただけますか?」

「そんじゃ、これと…これだな。全部まとめて中銀貨1枚でどうだい?」

「それでお願いします」


 昨日アンバスから貰ったばかりの中銀貨を渡すと、武器と鞘、ベルトを受け取った。

 壁際の鏡を使っていいと言われたので、姿見の前でベルトを締め、鞘を通し、左右の腰に1本ずつダガーをしまった。収まりも良く、取り出しもしやすい。色もシンプルで、格好ともあっていると思う。


「ギュー♪」

「そうかい?似合ってるかい、ドラコ」

「ギギュー!」


 ドラコが肩で楽しそうに跳ねた。よしよしと撫でると、店主がオマケだと言って何かを渡してきた。


「ちいせぇが、砥石をやる。せいぜい大事に使ってくれ」

「助かります。ありがとうございます」


 頭を下げて、ナハトは店を後にした。



 その日1日の仕事を終えて帰る道すがら、ナハトは道の先に見知った人影を見た。遠くからも目立つ真っ白の塊は、ヨルンに背中を蹴られながら、よろよろとこちらへ歩いてくる。


(「おや。ついに現場に出くわしてしまったな」)


 ヴァロを見つけたドラコが「いいのか?」と言わんばかりにナハトの頬をつつく。


「とりあえず様子見だよ。どうなるかは、彼次第だけれどね」


 ドラコを撫でて宥めながら、ナハトは道の端へ移動した。万が一を考えて、ドラコを少し離れた草むらに下ろす。出て来てはいけないと言い聞かせておく。

 彼らの内、1番先にこちらに気づいたのはヨルンの手下その1だった。慌てた様子でヨルンを叩き、こちらを指差している。胸の辺りで手を振ると、手下2人が慌てたようにヨルンの後ろへ隠れた。当のヨルンはヴァロを蹴って転ばした後、こちらへ歩いてくる。


「てめぇ…」

「やぁ、昨日ぶりだね。ミスターヨルン」

「…何のつもりだ?このクソを助けにきたのか?」


 そう指を差した先のヴァロを見ると、倒れた状態のまま蹲ってナハトを見ている。目で何かをこちらに訴えてきているが、ナハトはにこりと笑ってヨルンに向き直った。


「まさか。特に助けを求められたわけでもないし、止めるつもりはないよ。好きにしたらいい」


 ナハトの言葉に、髪の隙間から見えたヴァロの金色の目が大きく見開かれる。ああこんな色の眼だったのかと、初めてヴァロの瞳を見て思った。怯えを含んだ色の眼から視線を外し、ヨルンを見る。

 ヨルンはニヤリと笑うと、ナハトに背を向け、ヴァロと手下を連れ立って東へ歩いて行く。

 後ろを振り返りながら眼で訴えかけてくる彼の、その眼を真っ直ぐ見返して、ナハトは小さく声をかけた。


「どうする?」


 短くきった言葉は彼に伝わったようで、彼の口が少しだけ動く。助けてほしいというのならばやぶさかではない。命を助けてもらったし、世話にもなっているから、求められれば答えるつもりだ。武器にも手を添えて、問うように首をかしげる。

 だが結局ヴァロは何の言葉も発しないまま、ヨルンたちに連れて行かれてしまった。


「ナハトさん!!!」

「ああ、エルゼルさん」


 ものすごい勢いで走ってきたエルゼルに、ガシッと肩を掴まれ、ナハトの両肩が悲鳴を上げた。驚いたドラコが背中に張り付く。


「どうして…どうしてヴァロを見捨てたんですか!?どうして…!?」

「落ち着いてください、エルゼルさん。ちゃんと理由はありますし、見捨てたわけではありません」


 落ち着かせるように肩を掴んだ手に手を添えると、エルゼルははっとした顔で手を離した。背中に回ったドラコを抱え直しながら、ナハトはヴァロが消えた方を見る。


「今私が戦ったところで、結果は同じでした。それどころか、私が戦えば、私は殺されていたでしょう。私は本当に弱いですから」


 そう言うと、エルゼルは悔しそうな顔で俯いた。

 エルゼルはナハトの力が弱いことを知っている。昨日のことだって、言葉で追い返したと説明した。


「それでも、助けを求められれば助力するつもりでした。間に合わないかもしれませんが、アンバスさんに助けを求めたり、また口先で追い返すことも試したかもしれません。私は彼に命を救われてますから、恩義だって感じています。だから、私は彼に聞いたんです。どうするかと」


 エルゼルは青い目に涙を溜めて、俯いている。


「ヴァロくんは何も言いませんでした。何も言わないのに、助けるわけにはいきません。それでは何も解決しない、ただ周りに流されているままです。ここで暴力から逃れられても、また次の日から繰り返されるでしょう」

「そう、そうですけど…。私、ナハトさんみたいに冷静でいられません。あんな暴力受け続けたら、いつか本当に殺されてしまう」

「私は今、冷静ではないですよ」


 俯いていたエルゼルの視線が上がり、ナハトの目とぶつかった。

 ナハトは今、ヴァロに対して腹が立っている。いじめられているところを初めて見たが、本当に抵抗一つしていなかった。殴られるまま、蹴られるままで、ナハトの問いに声一言の声を出すことさえしなかった。

 だと言うのに。


「あんなされるがままのドMのような状態で、心配してくれているエルゼルさんの言葉をうるさいと一蹴した彼を、私は許せそうにありません」

「今それですか!?」

「そうです。おそらく、今日私は彼と喧嘩になるでしょう。だから、今日は大きな音がしても気にしないでくださいね」


 ナハトはそう言うと、戸惑うエルゼルを置いて帰路を急いだ。



 ヴァロが帰ってきたのは、ナハトが帰ってから2時間ほど経ってからだった。扉を開けて入ってきた彼は、今までにないくらいぼろぼろにされていた。服は破れて原型がなく、血と泥がこびりつき、体中に細かい切り傷がある。


「これはまた…随分入念にやられたようだね」


 ドラコをベッドがわりにしているクローゼットに降ろすと、ここにいるように言って、ヴァロに近づいた。


「な…て…」

「なんだい?」


 俯く彼を、下から覗き込むようにすると、か細く震える声が耳に届いた。


「なんで…助けてくれなかったの…?」

「何故って…私は君に聞いたはずだよ?どうするかって。君は何も言わなかったじゃないか」

「お、俺は…!俺はナハトを助けたじゃないか!」


 堰を切ったようにヴァロは吠えた。拳を握り、足を踏み鳴らして叫ぶ。


「俺はナハトを助けただろ!?だったら、俺を助けてくれるのは当然じゃないか!!」

「…随分と恩着せがましく言うじゃないか。君は虐められる自分の代わりに、私を差し出すために、私を助けたのか?それはそれは、期待に添えられず申し訳ない」

「そんなこと言ってないだろう!?俺はナハトの命を助けたんだから、ナハトも俺を助けるべきだって言ってんだ!俺、すごい見たじゃないか…!」

「お互い様の理論は分かるつもりだよ。だが、見てたのだから助けろと?勝手を言うじゃないか。それを言うなら、君だって助けてって言えばよかっただろう?」

「あんな囲まれた状態で言えるわけないだろ!?」

「言えるよ。一言、助けてとね」


 じっと彼の目を見ると、彼はぎりっと奥歯を噛み締めた。


「私は何度もサインを出した。どうすると聞き、武器に手を添え、首をかしげただろう?見なかった、分からなかったとは言わせない。君は見ていたじゃないか。君が言わなかったのに、助けなかったと絡まれても困るな。第一、君は助けろって言うけれど、私が彼らに勝てると思うのかい?今日武器を新調したが、ヨルンくんに一発殴られたら私は即死だよ。忘れてるかもしれないが、私は劣等種なんだよ?」

「だけど…!ナハトはヨルンに勝ったじゃないか!」


 そう言った直後、ヴァロはしまったと口に手を当てた。

 一瞬何のことかわからなかったが、すぐに合点がいった。エルゼルには話したし見られたが、ヴァロには言っていなかった。先ほどのヨルンとの会話で何かあったことはわかるだろうが、勝ち負けまではわからないはずだ。となれば。


(「なるほど。彼は昨日のアレを見ていたのか…」)


 呆れたと、ナハトは大きくため息をついた。

 昨日のアレを見ていて、尚且つ、ナハトに助けを求めるのか。答えるのがバカらしくなってくる。


「君は昨日、私が襲われたのを見ていたのか。なのに、何の手助けもせず、助けも呼ばず、隠れて見ていたと言うわけだ」

「お、俺は…」

「君がそんな酷い人だとは思わなかったよ。私のピンチには駆けつけないのに、自分の時は何も言わなくても助けろだなんて…」

「俺だって、助けようとした!襲われたら飛び出そうと思ってた!」

「だが、結局何もしていないじゃないか」


 ナハトの言葉が相当怒りに触れたのか、ヴァロに胸ぐらを掴まれた。そのまま引っ張られて息が詰まる。

 それでもナハトは口を閉じない。


「君はいったい何がしたいんだ。私に口で負かされる奴に抵抗もせずに蹴られて、傷つけられて、助けてもやめてくれも言えず、心配してくれる周りにうるさいと怒鳴り散らす。挙げ句の果てには、命を救ったという事を振り上げて、無条件に命をかけろだって?頭がおかしいのか?そうでないなら、現状が最高と感じるドMなのか?」


 がん!と音がして、ナハトの横にあった机が砕けた。振り下ろされた拳で机が砕け飛んだのだ。飛んだ破片で頬や腕が切れ、たらりと血が流れる感覚がする。

 ギラギラした獣のような目で怒りをぶつけられ、反射的に足が震える。


「…楽しいか?」


 そう問いかけて、ナハトはヴァロを睨みつけた。低く問うと、掴まれた胸ぐらが少しだけ緩む。


「君は今、私を暴力で捻じ伏せようとしたが楽しかったか?ヨルンと同じ事をして楽しかったか?」


 ヴァロがまた口を開いて、閉じてしまった。その顎を掴んで、今度はナハトが叫ぶ。


「口を閉じるんじゃない。喋りなさい!」

「お、俺は…俺は……」


 泣きながら、ヴァロはナハトの胸ぐらから手を離した。両手を床について、ぼたぼたと大粒の涙を流す。


「ごめん…ごめん、俺、こんな事するつもりじゃ…」

「……」

「殴られるのも、蹴られるもの、もう嫌だよ…。怖いんだ。…あいつらの方が強くて、人数も多くて、怖くて…でも、俺バカだから、どうしたらいいか…わからない…」


 ふぅと息を吐くと、ナハトは膝をついた。

 大きな肩に手を置くと、びくっと彼の体がはねる。そんなことはお構いなしに引っ張って上を向けさせると、とてもいい笑顔でヴァロに詰め寄った。


「何を甘えたことを言っているんだい?君はまだ何もしていないだろう」

「…えっ…」

「君がしたことと言えば、周りに当たり散らして机を壊し、私に怪我をさせたくらいだ。さあ謝れ」

「ご…ごめんなさい」


 やっとはっきりナハトを見たのか、頭や腕、顔から血を流しているのを見て、慌て救急箱を取りに行った。押し付けられたそれを丁重に断り、座るように促す。


「それで、ヴァロ君はまだ私に言わなければならない言葉があるはずなんだが?」

「えっ?…えっと…」

「…まさか本気でわからないのか…。君は私にどうしてほしいんだい?」


 そこまで言ってやっと気づいたのか、ヴァロは恥ずかしそうにもじもじし始める。

 それにまた大きくため息をついて、ナハトはパンと手をたたいた。


「それで?」

「…助けてください」

「よろしい。この優しい私が助けてあげるよ。それで、結局君はどうしたい?暴力を振るわれるのが嫌だというのはわかった。君は暴力を振るわれなければいいのかい?」

「…うん」

「彼らに力で対抗することに抵抗感は?」

「…ある。あんまりなぐったりとかはしたくない。ヨルンが相手でも」

「なるほど?彼らに村から出て行ってほしいなどは…」

「な、ないよ!暴力振るわれなければ、それで…」

「よろしい。ならばまずは、君を鍛えることから始めよう」

「体を…?でも、俺、結構体鍛えてるよ…?」


 全く自分の体に興味がないのかとも思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。その無駄にムキムキした手足や割れた腹筋は、鍛えたことによるものだったようだ。

 だが彼のそれはただ筋肉をつけただけ。使い方を知らないただの筋肉だ。


「君が鍛えているのは見ればわかる。私が言いたいのは、その使い方だ」

「使い方…」

「そう。攻撃を躱したり、受け流したり、何なら相手の攻撃をそのまま返したり。そういう体の使い方を覚えるんだ」

「…それが出来るようになれば、もう暴力を受けなくなる?」

「そうだねぇ。それだけではまだ足りないが、とりあえずそれが出来るようになれば、ヨルンくんに血みどろにされることはなくなるだろうね」


 ぶんぶんと長い尻尾が揺れた。目標が出来て、少しは上向きな気分になったのだろう。

 さっさと血と泥を落として来いとシャワー室に彼を押し込んで、ナハトは壁にもたれかかった。足の力が抜けて背中に一気に滝のような汗をかく。


「ギュー!」


 走って飛びついてきたドラコを受け止め、大きく息を吐いた。今になって手が震えてくる。

 労わるように指をなめられて、ほんの少しだけ震えが楽になる。


(「全く…何度も綱渡りさせられている気分だ」)


 今ここにはナハトを簡単に殺せる大きな人しかいない。

 シャツのボタンを外せば、肩にも胸にも紫色の痣が出来ていた。少し強くエルゼルに肩をつかまれただけでも痣になり、胸の痣は先ほどヴァロに胸ぐらをつかまれた時のものだ。2人とも今回はたまたま力加減が出来なかっただけで、これまで痣になるほど掴まれたりするようなことはなかった。

 だから先ほど、ヴァロの拳が机を破壊した時思い知らされた。悪意があるものに攻撃されたら、本当に簡単に自分は殺されるだろう。


「ギュー…」

「大丈夫だよ、ドラコ」


 ここで生きていくという事を少し甘く見ていたと思わざるをえない。耳と尻尾があっても、ここで生きていくにはある程度の戦闘力がいるだろう。

 ヴァロにはああ言ったが、ナハト自身も強くならなければいけない。魔術は諦めきれないが、それでも一人で戦えるようにならないといけない。

 萎えた手足に力が戻るのを待って、ナハトは己の傷の手当てを始めた。


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