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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第四章
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第3話 王都の邸宅

 移動してまず指示されたのは屋敷中の掃除であった。何か月も離れていたので当然と言えば当然であるが、応接室だけは整えられていたのでコルビアスはそこでリューディガーと待機し、ナハトらはシトレンやフィスカの指示で掃除を行うことになった。護衛として雇われた最初の仕事が”掃除”とあって思わず笑ってしまう。


「あなた方には一階をお願いします」


 そう言うシトレンに連れていかれた先には、調理服に身を包んだ小柄な男がいた。ナハトより少し大きいくらいの身長で細長いという印象が強い。切り揃えられた香色の髪は前髪より長く、隙間から覗く瞳の色は薄い緑色だ。瞳があまりしっかりと見えないからだろうか、それとも隣に立つシトレンがいい年だからだろうか。ヴァロとそう年が変わらない青年に見える。


「掃除道具についてなど、詳しい事はジモに聞いてください。ジモ、こちら新しく護衛騎士になったナハトとヴァロです。外ではレオとアロと呼ぶようにしてください。お二人とも、こちらはコルビアス様の料理人のジモです」

「初めまして。ジモといいます」


 そう言ったジモの声は、シトレンのトゲのある声と違って随分柔らかい。差し出された手を受け取ってナハトとヴァロも口を開いた。


「初めまして、ナハトと申します。こちらではレオという名前で通させていただきます。よろしくお願いします」

「ヴァロです。俺の事はアロって呼んでください。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「では、ここは任せましたよ」


 残りの案内をジモに任せ、シトレンは降りてきたばかりの階段を上がっていった。

 ジモの案内で屋敷の一階をまわる。この屋敷の規模はノジェスの屋敷より一回り以上大きく、室内の調度品や絨毯、壁紙一つとってもあちらよりずっと質がいい。とはいってもクローベルグ侯爵の別邸と比べると言わずもがなであるが。

 一階には炊事場や洗濯場、布類を保管しておく部屋に食料専用の保管室、倉庫、それと使用人用の部屋がいくつかに、使用人用の風呂もあった。小さな食堂もあり、ここでコルビアス以外の面々は食事をするらしい。

 ナハトとヴァロの部屋はいくつかある使用人部屋の一つで、ノジェスの方で与えられていた部屋より少し大きい部屋を案内された。ベッドが2つと小さなチェストが2つ。クローゼットもそれぞれあり、小さいが洗面所もついている。風呂とトイレは共用だが特に問題はない。

 ちなみに2階は応接室とコルビアスの部屋と寝室と衣裳部屋があり、執務室と食堂に客室、それと図書室があるらしい。1階は使用人のスペース、2階は主の生活スペースというわけだ。屋根裏もあるが、そこは倉庫になっていてしばらく使われていないらしい。


「掃除用具はこちらの倉庫にあります。箒でゴミを取ってから水拭き、その後乾拭きして下さい。窓は乾拭きを中心にお願いします。屋敷の正面と南側を先に拭くようにしてください。一応掃除に割り当てられた時間は2時間なので、その間に手分けしてお願いします」

「わかりました」


 2時間とはなかなか短い。これはかなり急がなければ間に合わないだろう。

 その間ジモは全員分の食事を用意するらしい。「よろしくお願いします」と言って、早足で調理場の方へ向かって行った。その後姿を見送って、ナハトとヴァロは手袋をとる。


「さて、私たちも掃除に取り掛かろう」

「あんまり時間ないもんね…。ナハトは掃き掃除お願いしていい?俺水汲んできて水拭きと乾拭きしていくから」

「わかった。任せたよ」


 分担を決めてすぐに掃除に取り掛かった。人の目が付きそうな場所はそれほど汚れが目立たなかったが、そうではない場所は少々汚れやほこりが目立つ。おそらく手が足りないため、見えるところを中心に掃除しているのだろう。そうでなければ、あれほど体裁を口にするシトレンがこれを良しとするとは思えない。


(「これは厳しいかもしれないな」)


 とても2時間で終わるとは思えないが、ナハトとヴァロは必死で手を動かした。

 掃き掃除を終えたナハトはそのままヴァロを手伝って水拭きと乾拭きに移る。ナハトの分も水を汲んでおいてくれたことをありがたく思いながら、ヴァロが拭いている場所の反対側から拭いていく。

 ある程度先が見えたところで拭き掃除はナハトに任せ、ヴァロ今度は窓ふきを行う。ナハトでは背が届かないためなのだが、せっかく着替えた護衛騎士の服もすっかり埃で汚れてしまった。掃除の後の予定はまだ聞いていないが、可能ならば一度着替えたいところである。


「終わりましたか?」

「はい、なんとか…」


 きっかり2時間後、ジモが調理場からそう問いかけてきた。なんとか時間内に終えられたため、掃除道具を倉庫へと片付けているところだった。

 そしてまるでそれを見ていたかのように、階段上からシトレンが下りてくる。同じように2階の掃除をしていたはずだが、ナハトたちと違って服はきれいだ。だからだろう、埃まみれのナハトたちを見て顔を顰める。


「なんですかその格好は…。服に気を使うこともできないのですか?」


 相変わらず嫌味な爺だ。少々むっとしながらも「申し訳ありません」と口にすれば、シトレンの眉がぴくりと上がる。それを不思議に思っていると、ため息をついてシトレンが口を開いた。


「…あなた方の部屋のクローゼットには、すでに無地のシャツが何枚か仕舞ってあります。外でほこりを落としたら、それに着替えて上がってきてください。…コルビアス様がお待ちです」


 それはつまりものすごい急いで着替えて来いということだ。

 ナハトらは返事をすると、ジモに断りを入れて裏口から外へ出た。裏口の先はよく手入れされた庭になっていて、奥に真っ白い石造りの東屋が見える。眩しいほどの青空と太陽の光が差し込んでいて、ナハトらは思わず空を見上げた。


「うわぁ、青空久しぶりに見たね」


 ノジェスは雪と曇りの日がほとんどで、たまに晴れた日も薄く雲がかかっていたため青空など1年近く見ていなかった。さんさんと降り注ぐ太陽の光にず笑みがこぼれる。


「いい天気だな。だがゆっくり空を見上げるのはまた今度だ。コルビアス様を待たせている」

「あ、そ、そっか」


 笑顔で空を見上げているヴァロにそんな事を言うのは憚られたが、またシトレンに嫌味を言われるのも避けたい。しょんぼりとした背中を軽くたたいて、急いで上着の汚れを払った。

 マントだけは邪魔になるため予め外しておいたが、上着は掃除の際に裾を床にこすってしまったらしく汚れが目立つ。それを手で払って、膝の汚れも払って顔を上げると、遅いと言わんばかりに2階の窓からこちらを見るシトレンと目が合った。


「…どうやら、すでにお冠のようだね」

「ええ…」


 高い位置から睨まれたまま、ナハトとヴァロは急いで着替えに戻った。



「あはは、気にしなくていいよ。掃除ありがとう」


 食堂に高い笑い声が響く。気にしなくていいというのは、ナハトらが来るのが遅れたことについてである。

 シトレンに睨まれながらも急いで着替え2階へ上がると、連れていかれたのは食堂であった。なぜこんな場所へと思ったのもつかの間、コルビアスの前には料理が置かれていて、ナハトとヴァロが入ってきたのと同時にリューディガーが断りを入れてコルビアスのそばを離れた。入れ替わるようにナハトらがその場につくよう言われ、そうしてシトレンもその場を離れ―――それでようやく気付く。


(「なるほど、食事と警備の入れ替わりか」)


 コルビアスの食事の裏で、リューディガーとシトレンが食事を済ませる。そしてコルビアスの食事が終わるとリューディガーらも戻ってきて、今度はナハトらとフィスカが食事をするという流れなのだろう。説明がなかったのはナハトたちが服を汚したため時間がなかったからなのかはわからないが、これは説明されなければわからない事である。

 とはいえナハトたちが遅くなったことで、結果的には主であるコルビアスの食事を待たせてしまった。これは知らなかったとはいえ怒られてもしょうがないかもしれない。


「お待たせして、申し訳ありませんでした」

「大丈夫だよ。ナハトたちが頑張って掃除してくれたから、ジモが調理に集中できたって言っていたよ」


 フィスカの配膳の合間にコルビアスがそう声をかけてくる。

 話を聞くと、どうやら別邸から帰ってきたその日は、いつも食事の時間が遅れたり調理が簡単な料理になったりするのだそうだ。シトレンとフィスカ、ジモしか使用人がいないため、どうしたって手が足りなくなる。帰ってくると、ジモはいつも掃除と料理を行っているらしい。

 それで見えるところ以外はあの有様であったのかと納得がいった。おそらく時間を見つけては見えないところの掃除もしているのであろうが、一人で6人分の食事を作りながら出来ることではない。「今日はいつもみたいなご飯が食べれた」とコルビアスは無邪気に言うが、人材不足は深刻である。せめてもう2人いれば仕事がかなり楽になるだろうが―――。

 コルビアスの食事が終わると、リューディガーとシトレンに任せてナハトたちはフィスカと共に1階の食堂へと向かった。そこでジモも一緒に4人で食事をとるのだが、並べられた料理を見てナハトは驚きを隠せなかった。


「…どうしたの?」

「あ、いや…」


 コルビアスは前菜から食後のお茶まで順番に料理を食べていたが、使用人はジモの負担を考えて料理がまとめられていた。それはわかるのだが、ナハトの前に置かれた皿にはヴァロやフィスカ、ジモのどれとも違う料理がのせられていたのだ。肉が全く入っていない料理が。


「ジモ、これはいったい…」


 戸惑ったまま問いかけると、ディネロは照れたように笑って言う。


「ディネロから、あなたは肉が食べられないと聞きましたので。少し別のものを作らせていただきました」

「あ、本当だ!少し違う」


 ヴァロがナハトの皿を覗き込んで言う。皆の食事から肉を排除しただけではあるが、それでもナハトのものだけ肉なしで作り直すのは手間であったはずだ。

 ディネロはナハトらが掃除をしている間に何か申し付けられて外へ出ている。その為今は屋敷内にいないが、いつ伝えていたのだろうか。そもそも、屋敷の主ではないナハト個人のためにこんなことをしてもらっていいのだろうか。

 そんな思いが伝わったのか、ジモは困ったように笑いながら頭をかく。


「あの、そんなに手間はかかってないので…あまり気にしないでください。お二人が来てくださったおかげで、コルビアス様も助かったって聞いてますし…」

「…ありがとうございます」


 面倒をかけて申し訳ないと思うが、正直なところとても助かった。食事は毎日のことであるし、伝えるにしてもナハトは一個人であって、ここで尊重されるべきはコルビアスただ一人である。先に動いて対応してくれたことをありがたく思いながら、ナハトらは食事を済ませた。




 その後は2階の案内をシトレンから受け、今後の仕事についての説明も改めて受けた。護衛は基本2名体制で、残る一人はその日の1人は不寝番を担当し、その日は休日を与えられるそうだ。つまりナハトとヴァロがその日コルビアスの護衛につけば、リューディガーが不寝番でその日は休みというわけである。

 屋敷の外も軽く案内された。それでわかったのはこの屋敷はかろうじて城の敷地内ではあるが、城からはかなり離れた王家が管理する森に近い館であるという事だった。一応敷地内ではあるが、裏庭や仕える騎士たちの演習場などからも離れていて、城からは馬車が必要なほど離れている。

 王都は円形状の国の丁度真ん中にあるため、冬になれば雪も降る。雪が降れば、人手の足りないこの屋敷はあっという間に雪に埋もれるだろうが、城にはコルビアスの生活スペースはないらしく、ここで生活するしかないのだそうだ。


「ノジェスにいた騎士たちは、こちらの屋敷には来ないのですか?」


 外を回って応接室へと戻りながら、ナハトはシトレンにそう問いかけた。ナハトらがノジェスを出る時には、青い籠手の騎士たちは既にいなかった。先に帰ったと言っていたのだが、それにしてはいつまで経っても合流する気配がないため気になっていたのだ。信用していないと言う事はわかるが、それでもノジェスではコルビアスの護衛に当たっていたのだから、その辺の騎士よりはコルビアスの味方側ではないのだろうか。

 そうナハトが思っていると、聞かれたシトレンは大きなため息の後ゆっくりと口を開いた。


「あの騎士はリステアード様とニフィリム様の手の者です。王都にいる時は目が届くからと免除されていますが、地方へ行く場合に派遣されてくる者たちです」

「そう…なんだ…」


 それでコルビアスが彼らを遠ざけようとしたことの合点がいった。恐らく舞踏会の時もナハトらがいなければ彼らを臨時の護衛騎士として連れて行くところだったのだろう。


(「なるほどな…」)


 きっとあの騎士たちは今頃主へ報告を行っているのだ。コルビアスがノジェスでどう過ごしていたのか。こんな外れの屋敷を与えて、舞踏会でもあんな扱いをしておいて、それでも王子であるというだけで王位継承権が発生してしまうのだから王族とは面倒なものだ。気に入らないなら放っておけばいいという平民とは大違いである。

 シトレンはもう一度息を吐くと、ナハトらに向き直って再度明日の予定を口にした。


「では、明日のお茶会はリューディガーとレオ、あなたに行ってもらいます。アロ、あなたはここでマナー講座の復習です。いいですね」

「は、はぁい…」

「…言葉遣いがもう崩れているぞ」


 とんと背中をたたくと、すぐにヴァロは背筋を伸ばした。

 ナハトと違ってヴァロはもうすっかり付け焼刃で学んだことは抜けている。そのせいで明日のお茶会への参加はナハトとリューディガーの2人だけだ。もうすぐ春休みが明けてコルビアスも学院へ通う為、シトレンは今の内にヴァロのマナーを完璧に仕上げるつもりらしい。


「しっかりと励んでください。それと、レオ。あなたは無意識にコルビアス様を軽く見るところがあります。くれぐれも態度と言葉には気を付けてください」


 舞踏会でのこと、その後のことを言われてるのだとわかって、ナハトは「肝に銘じます」と答えた。ここで言い合いになるのは得策ではないし、ナハトとヴァロはコルビアスの護衛につくと決めたのだ。ならばここでのやり方を覚える必要がある。


(「まあ、リューディガーとのやり取りを見れば、彼がコルビアス様を害そうとしている訳ではないことは分かるからな…」)


 納得できなければまた言い合いになることはあるだろうが、その時はその時である。

 そんなことを思っていると、シトレンが「何か質問はありますか?」と、問いかけてきた。特に気になっていることもないためナハトが「いいえ」と答えようとすると、隣にいたヴァロが「あっ」と声を上げた。それにつられてそちらを見る。


「何ですか?」

「あの、質問ていうか…気になったことなんですけど、いいですか?」

「どうぞ」

「コルビアス様のお母さんはどこにいるんですか?」


 ナハト自身”母”というものに馴染みがなさ過ぎて全く気付かなかった。そういえばこの屋敷には知った気配しかいない。コルビアスの年齢を考えてもまだ母が必要な年であるはずだが、そもそも話題に上がったところも見たことがない。いわれてみればどこにいるのかとシトレンを見ると―――。

 彼は今までの睨みが優しいものに見えるほどの目でナハトとヴァロを睨みつけていた。憎悪と侮蔑がこもった視線にこくりとのどが鳴る。


「……二度とそれを口にしないでください」

「わかり、ました…」



 理由は分からないが、触れてはいけない部分に触れてしまったようだ。あまりに静かな本気の怒りに、問いかけたヴァロが怯んだように肩を震わせた。シトレンの様子からしても、コルビアスの現状からしても、母親はあまり好ましくない人物なのだろう。そう一瞬で思わせられるほど、シトレンの怒りは深いものであった。


(「やはり、安請け合いしたかもしれないな」)


 コルビアスは1年ほどで現状が変わるだろうと言っていたが、これほどまでに遠ざけられ監視されている状態で、本当にコルビアスの言う通り第一王子が王になったとしてもここからそれほどいい方向へ変わるとは思えない。せいぜい今までどおりが関の山ではないだろうか。シトレンの話ではあからさまにコルビアスの命を狙っているのは第二王子とのことだが、本当のところは分からないのだ。

 頼れる親族も後ろ盾もない第三王子。その境遇を憐れんで受けた仕事であるが、これほどまでに周囲が敵だらけなのであれば、気を付けなければナハトら自身が大きな痛手を負うことになるだろう。

 ナハトの命はナハトだけでなく精霊界に直結している。仕事をおろそかにするつもりはないが気を付けなければと、ナハトは拳を握り締めた。










不寝番の話がちょっと出ましたが、リューディガー一人の時は、コルビアスの隣に護衛騎士用の寝室があるのでそこで寝ながら番をしていました。

さすがに夜通し起きながら一人で対応は無理なので。

ディネロがいる時は交互に行っていました。


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