第2話 少しのお別れ
コルビアスの護衛を受ける。そう決まってから、ナハトたちは様々な準備に追われることとなった。コルビアスが通年で滞在しているのは王都ビスティアの外れの屋敷であるため、1週間後の移動にナハトたちもついて行かなければならなくなってしまったのだ。
ノジェスの屋敷が通年ではない予想はしていたが、まさか移動まで1週間しかないなど誰が予想できただろう。準備期間の短さとは反対に長期間ノジェスを離れるので、各所へのあいさつ回りももちろんのこと、済ませておかなければならないことがいくつも発生した。借家についてであったり、長期依頼を受けなくなることについての申請であったり、ビルケたち精霊についてであったり、ダンジョンの監視当番についてであったり、それに伴うルイーゼについてであったり―――。
さらにフィスカから詳しい話を聞いた際に、だれも予想していなかった大きな問題が発生してしまった。
それが―――。
「ドラコ、許してくれないかい?」
「ギュー…!」
王都には、ドラコを連れて行けないという事だった。正確には”連れて行かない方がいい”であるが。理由としては分かりやすいもので、王宮の敷地内は動物すら許可なく入ることは許されないから、という事らしい。
その昔に動物を使っての暗殺が行われたことがあるそうで、それ以来無暗に動物連れで入ろうものならばいらぬ誤解を生む可能性があるというのだ。そうでなくともただでさえコルビアスは彼を狙う者たちに足を引っ張らている。護衛という仕事をきちんとこなすならば、どうしたってドラコを連れ歩くことは出来ないだろう。
ならばずっと屋敷の部屋の中にいればいいのかもしれないが、それはそれでドラコの健康のためにならないし、隠して連れて行くということも1年という期間を考えればバレる可能性の方が大きいため得策ではない。それでも連れて行ったとしても、護衛という仕事上いつ帰宅するかもわからないので、寝ていて会えない可能性だってあるのだ。
「ドラコ、君と会えなくなるのは私だって寂しい。だけれど、狭い部屋の中に置き去りにするのも嫌なんだ」
「ギュー…」
ナハトの言葉に、ドラコは鳴いてぎゅうと頬に抱き着いた。ドラコもついて行けないのはわかっている。大好きなナハトを困らせるつもりもないし、今回は仕方がないというのも理解している。だけれど―――。
ドラコの視線の先には申し訳なさそうな顔でこちらを見るヴァロがいる。ずっとナハトの相棒はドラコであったのに、いつの間にかヴァロが相棒と呼ばれるようになっていて、そうして今回ドラコは一緒にいけないがヴァロは一緒に行くことが出来る。どれだけナハトが心配でも、一緒に行きたくても、ドラコが行けばその分危険が増してしまう。近くで心配する事すら許されないのだ。それが一番、悔しい。
「ナハト、ちょっと俺がドラコと話してもいい?」
何度目かのナハトとドラコのやり取りを見ていたヴァロはそう声をかけた。2人分の戸惑った顔がこちらを向く。
「それはかまわないが…」
「ガー!」
「ええっ!?何で怒るの!?」
受け取ろうと伸びてきた手にドラコが威嚇をすると、ヴァロが怯んで手を引っ込めた。だがすぐにもう一度手を伸ばして、恐る恐るドラコを受け取ってナハトから離れる。
「グー…」
「ドラコ怒らないで。ドラコがいない時は、俺がちゃんとナハトの事守るから」
これからコルビアスの護衛で王都へ行くというのに何を言っているんだと、ドラコはヴァロを見上げた。だけれど自分を見下ろす金色の目は如何にも真剣で、ドラコの方が戸惑ってしまう。
「ギュー?」
「もちろん、ちゃんと仕事はするよ。護衛だから、コルビアス様とナハトは一緒にいるでしょ?」
「ギュー…」
「全部まとめて俺が守るから、だから安心してよ。ナハトが危なくならないように、俺がちゃんと見てるから」
そう言ってヴァロは微笑んだ。ドラコが何より一番腹が立つのは、ヴァロが良い奴だという事だ。ドラコのことも尊重してくれるし、何よりナハトのことをとても大切にしてくれる。
ドラコにとって唯一ナハトのことを任せられる相手は、自分以外ならヴァロしかいない。その事実もまた腹が立つのだが。
「グー…」
分かったと返事をする代わりに、ドラコはヴァロの指に尻尾を絡み付けた。約束をする時に絡める小指にだ。それでヴァロも意味がわかったのだろう。一瞬目を見開いて笑う。
「へへ、なんかいいねこういうの」
そのヴァロの顔が大変腹立たしくて、結局ドラコはその指に噛み付いた。
ドラコの預け先はいろいろ相談した結果クルムに決まった。クルムの娘のソーニャと息子のサイがわざわざ立候補してくれたからだ。それにドラコも、子供相手ならたくさん遊べるので気がまぎれるかもしれないというのもある。
「お二人ともありがとうございます。ドラコの事、よろしくお願いしますね」
「はい!任せてください!」
ドラコの食費をクルムに渡し、さらにお礼としていくらか包む。受け取ったクルムは一瞬驚いた顔をしたが、何も言わずすぐに受け取ってくれた。
ドラコを置いて行く事は、仕事の都合とクルムや他の面々には伝えてあった。長期の仕事をすることになったが連れて行けない。だから預かって欲しいと。詳しく聞いて来ないのはクルムやフェルグス、ナッツェ達のいいところだ。「気をつけろよ」と労ってくれる彼らに礼を言い、頭を下げる。
「それでは、よろしくお願いします」
「うん」
最後にドラコの頭にキスをして、ナハトはクルムにドラコを預けた。名残惜しく絡まる尻尾から指を離し、もう一度だけ撫でると、手を振ってその場を離れた。
その後は立て続けに様々な手続きをこなしていった。借家の管理をネーヴェに依頼しにギルドへ行ったり、冒険者を一時離れる手続きをしたり、ルイーゼに挨拶へ行ったり、ダンジョンギルドへも挨拶へ行ったりと忙しく動き回った。フレスカの元へ衣装の依頼をしに行ったりもした。舞踏会で着た護衛騎士の服は普段着には豪華すぎるため、もう少し簡易的な服を作る必要があったのだ。前回同様ほぼお任せであるし、服の代金はコルビアス持ちのため、ナハトたちがしたことといえば採寸に協力したことだけであるが。
ビルケ達の元も訪れ、今後についての話もした。もともとアッシュ待ちの状態であったが、魔力運用については何も進んでいなかったからだ。幸いと言っていいのかは分からないが、ビルケらの話では、今は魔力満ちすぎているため新しい精霊はほとんど生まれることがない。その分魔物化する精霊や精霊界の生き物はいるが、それは彼らにとっての寿命のようなものらしく、魔力が流れ込んでの魔物化でなければ、彼らにとっては受け入れるべき運命のようなものだそうだ。
その為、魔力は最終的のどうにかしなければいけないが、今すぐどうにかしなければ危ないという段階ではない。だからビルケたちにはほかの王への説得と意識改革をお願いすることにした。考える頭は多いほうがいいし、何よりビルケ達だけが決定権を持っているわけではないのだ。もしいい案と方法を思いついたとしても、ビルケとヴィンとしか協力してくれないのであれば結局のところ実現できずに詰むだろう。
もちろん、すべては契約を破棄するまでナハトが気を付けていることが前提であるが。
「絶対に、すぐに行動へ移ろうとしないでください。定期的に様子を見に来るようにしますから」
「わかっている」
一応の念押しであったが、ビルケとヴィントは憮然とした表情の中にどこか張り切った様子で他の王たちの元へ消えて行った。最近は表情も以前と比べて僅かに豊かになり、また少しだけ彼らとの距離が縮まった気がして嬉しい。考え方も板についてきて、人間界を蔑ろにすることは、最終的に精霊界をも壊すことになるとしっかり理解できている。王たちの意識改革も、きっとうまくいくだろう。
いつもとは逆にビルケたちを見送って、ナハトたちもダンジョンを出た。
そうしていよいよ、ノジェスを離れる時が来た。
フレスカから納品されたばかりの新しい衣装と仮面をつけ、必要最低限の荷物だけを持ってナハトらはコルビアスの元を訪れた。そこから全員でノジェスの城の転移の魔法陣へ向かうの思っていたのだが、ナハトたちが案内されたのはコルビアスの私室であった。
しかも扉の前を守っていた青い籠手の騎士はおらず、気配を探るが屋敷の中にもいない。不可思議に思っていると、シトレンがコルビアスの部屋の一角を何やら操作し始めた。薄暗いせいでよくわからないが、ずれた壁の向こうにカントゥラの冒険者ギルドの扉にもあった魔法陣のようなものが見える。その前に立ったシトレンが胸元から取り出した鍵や魔石を順にはめていくと、魔法陣が書かれた壁が白く浮き上がり、溶けるように無くなった。その向こうには下りの階段があり、恐る恐るそこを下りきると―――そこには青白い光を放つ転移の魔法陣があった。
「こ、こんなところに…!?」
思わず漏れたヴァロの声も頷ける。ギルドで厳重に管理している転移の魔法陣が、一個人の屋敷にあるなど考えられるだろうか。舞踏会の時に他のダンジョン都市や町からやってきた貴族たちすら、その領主の城の転移の魔法陣を利用して来ていたというのに。
こういうところは流石王族というべきかと、ナハトは妙に感心してそれを見つめた。
「小さいけどね。あっ、もちろんこれは秘密だよ」
そう言ってコルビアスは視線を隠し扉の先へ向ける。その視線が示す青い籠手の騎士は今はいないが、やはりコルビアスは彼らを味方とは見ていないようだ。「わかりました」とナハトらが呟くと、コルビアスは微笑んで魔法陣の側へ移動した。
「では、先に行きます」
たくさんの荷物と共に、まずリューディガーとシトレンが魔法陣の上へ移動した。魔法陣は大量の魔力を消費する。その魔力をどう捻出するのかと見ていると、シトレンが魔石を取り出して魔法陣に一気に魔力を流した。どうやら事前に魔石に魔力を貯めておき、それを利用して移動に使っているらしい。
(「それにしても結構な魔力が必要であろうがな…」)
魔法陣が光ってリューディガーとシトレンと荷物が掻き消える。光が落ち着いたら今度はフィスカとコルビアスとディネロだ。ディネロが胸元からもう2つ魔石を取り出し、1つをヴァロの方へ放る。
「それを使え。…コルビアス様、ご用意はよろしいですか?」
「うん、大丈夫だよ。ナハト、ヴァロ、あちらで待っているね」
コルビアスが微笑むと、また魔法陣が光って3人の姿が掻き消えた。
残されたナハトとヴァロは、息を吐いて顔を上げる。
「…なんだかすごい事になってきたな…。安請け合いしすぎたか?」
「あはは…。でも、やらないで後悔するよりはいいんじゃないかな?コルビアス様喜んでるし」
「…君は本当に楽天的だな」
ナハトが仮面越しに笑いかけると、苦笑いを浮かべるヴァロと視線が合った。2人して魔法陣の上へと移動する。
「ナハト、準備はいい?」
「ああ」
ほんの少し不安を感じて無意識に肩の上手を伸ばす。だがそこには普段応えてくれるドラコの姿はなく、伸ばした手は空を切った。ナハトがこれでは、納得して離れてくれたドラコに笑われてしまう。
「…これは恥ずかしいな」
「ナハト?」
「いいや、何でもないよ。それより早く行こう。コルビアス様が待ってる」
ナハトの言葉に、ヴァロは頷いて魔石へ魔力を流した。瞬間、魔石から大量の魔力が流れ出し、魔法陣が光る。そして少しの浮遊感の後―――移動する前とよく似た部屋の中にナハトたちはいた。
一番の違いは気温だろうか。室内でも寒かったノジェスと違ってここは暖かい。
「ようこそ、王都ビスティアの僕の邸宅へ。これからよろしくね」
借家は前払いしてネーヴェに管理をお願いしています。
移動の際にあまり荷物を持っていけないからです。生活必需品と武器くらいしか持っていけないため、多くの荷物は借家へ置きっぱなしになっています。
ナハトとヴァロは舞踏会の時の衣装を簡易化したものを普段の制服として着ています。
仮面もつけています。
冒険者ギルドへの手続きは、高位冒険者に課せられている義務の一つです。
高位冒険者長期的に冒険者を離れる際は申請が必要です。
理由としては難しい依頼を受けることが多いのに、期間があけば勘が鈍ったり知らないことも増えていたりと危険だからです。
戻ってきたらギルドからの依頼をいくつか受けて、冒険者としての信用を取り戻す必要があります。




