コルビアスの後悔
後悔したコルビアスのお話です。
4章に繋がる部分があります。
「コルビアス様、気になさる必要はありません」
ナハトとヴァロ、2人が去った部屋でシトレンがそう言ってきた。
「平民風情がコルビアス様にあのような口を利くなど…!本来ならば切り捨てられても文句は言えないのです。それを…リューディガー!あなたも何故動かなかったのです!?」
「……命令されなかったからな」
「主が侮辱されたのですよ!?」
シトレンが言っている事は分かる。貴族であり王族であるコルビアスは、平民に軽んじられてはならない。
しかし、身分や立場がそうであってもコルビアスを軽んじる貴族は大勢いる。同じ王族にも軽んじられて、侮辱されている。だからこそ、コルビアスは毅然とした態度をとらねばならない。だと言うのに、ナハトに言われたことがぐるぐる渦巻いて、コルビアスは動けないでいた。
(「僕は、何で卑怯だと言われたんだ…」)
コルビアスの周りは常に大人だらけだ。学院に通ってはいるがそれもまだ2年ほどで、同学年と言っても自分より年上のものばかり。その者たちにさえ、そのような言葉をぶつけられることは無かった。
兄上にも侮辱され、軽んじられることはあっても、卑怯などと言われたことは無い。今までいろんな言葉をぶつけられてきたコルビアスではあったが、ナハトが発した”卑怯”という言葉は、思いのほかコルビアスの心を抉った。
コルビアスはすとんと椅子に座って息を吐いた。フィスカが気遣ってお茶を入れてくれるが、それに口をつける気にはならない。だがふと気づいて、コルビアスは顔を上げた。シトレンに一方的に文句を言われているリューディガーが視界に入る。
「…リューディガー、答えてください。僕は卑怯でしたか?」
「コルビアス様!?」
シトレンが声を上げるが、それを無視してコルビアスはリューディガーを見上げる。リューディガーは膝をつくと、コルビアスの目を見て口を開いた。
「コルビアス様のなさりようは卑怯ではございません」
ほっとコルビアスとシトレンが息を吐いた。
だがそのすぐ後に、「ですが」と言葉が続いて肩が揺れる。
「それは相手が貴族であった場合です」
「…貴族であった、場合?」
「はい。貴族であれば、コルビアス様に呼び出された時点で、この命令を”受けざるをおえない”と判断されたでしょう。それが嫌であれば、来ないという選択肢をとったに違いありません。仮病は、貴族の得意技ですから」
「はい…」
「ですが、今回は違います。呼び出しにはシトレンの印を利用し、貴族街へ呼び出しました。平民は貴族には絶対服従と言われて育ちます。彼らには、貴族に呼び出された時点で行かないという選択肢はありません」
コルビアスは目を見開いた。ここまで来たのだから、受けてくれるものだと思っていたのだ。なのに断られたから驚いたのだが、そういう事だったのか。
「彼らは断りの理由を述べていましたが、コルビアス様は寛大な態度でこれを許し、だからご自分の護衛をしてくれないかとお願いされました。…恐らくですが、その時点で彼らは覚悟していたでしょう。ですが、そこでコルビアス様は何と仰いましたか?」
「…ナハトが劣等種であること、ペットのトカゲがいることは知っていると言いました」
「はい。彼らは、私と自分たちの実力を測っていました。戦っても勝てない、抵抗は許されない。ならば受けるしかない。そう思っている時にコルビアス様の発言があって、彼らは思ったのでしょう。人質を取られている、脅されていると」
コルビアスとしては貴族の作法に従っただけだ。情報に強く、力が強いものが優位に立つこの世界では、そうやって下の者に自分の強さを示す。私はこれだけの情報網と力を持っている。だからあなたが従うだけの価値があると―――。
しかし、それは平民には通用しない。命を握られた状態でのコルビアスの発言は、まごうことなく脅しで、弱者を人質にやれと強制したことに他ならない。
コルビアスは体を震わせた。自分がそうしてしまった事が怖くて仕方がなかった。
「僕は…」
コルビアスは幼い頃、平民とも交流を持ったことがある。与えられた邸宅を抜け出して、下町から探検に来た子供たちと遊んだたった1日だけの記憶だ。だが、彼らに会ったから、コルビアスは人が好きになった。綺麗な格好をしたコルビアスを揶揄いながらも連れまわし、コルビアスを探しに来た大人にも、コルビアスが嫌がったからという理由で守ろうとしてくれた。
だからコルビアスは、平民を人と思わないニフィリムのやり口を妨害したり、平民に不利な法案などが出そうになったらそれとなく国の方針を邪魔するよう働きかけたりしてきたのだ。
なのに、いつの間にこれほど貴族の考え方に染まってしまったのだろうか。
「…確かに、僕は卑怯だね」
「コルビアス様!?あなた様は卑怯などではありません!あれは平民なのですから命令を…」
「僕は平民が好きなんだよ、シトレン」
コルビアスはシトレンの声を遮って言った。椅子から下りて、少し高い位置にあるシトレンを見上げる。
「シトレンが言っている事は分かるよ。僕は貴族で王族で、ナハトたちは平民。身分は大事だっていうのもわかる。僕は王族だけど、王族の誰よりも侮られているから…だから毅然とした態度でいつもいなければならない。なれあってはいけない」
「その通りです。ですから…!」
「だけど、それは僕の都合だよ。今回に限って言えば、僕は彼らを無理やり貴族の場に引きずり出して、貴族のルールで追い詰めたんだ。彼らは…怒って当然だ」
「そんな事はありません。貴族は統治者です。統治者が平民に合わせるなど体面に傷がつきます」
「違うよシトレン」
コルビアスは首を横に振った。
「平民がいなければ、成り立たないのは貴族だ。平民がいるからこその貴族で、平民をないがしろにしていいわけじゃない」
平民であるナハトたちに依頼をするのであれば、脅すような真似をせず、彼らの側に立ってお願いをしなければいけなかったのだ。そう考えれば、ナハトが言ってきた事は何ら間違いでも何でもない。彼らに命を懸けて守れと要求するのだから、こちらは必要な事は話すべきであったし、真摯にお願いしなければいけなかったのだ。
そうでなければ、守ってなどくれるはずもない。
「僕は人が好きだ。その中には平民も貴族もいる。どちらも好きで、どちらの立場も理解していたつもりになってたけど…いつの間にか、貴族の側に染まりすぎてたみたいだ…」
「コルビアス様…」
愕然とした様子のシトレンに、コルビアスは続ける。
「シトレンが僕を尊重してくれるのは分かる。だけどそれは、他者を下に見て得るものじゃ無いはずだ。僕が本当の意味で尊重される立場にならなければいけないんだよ。相手に下になれって、強制しちゃいけない」
「……はい」
シトレンは頭を下げた。主にこんな事を言わせて、そうしてやっと己の頑なさに気づけるなど情けない思いでいっぱいだった。「申し訳ありませんでした」と口にすれば、コルビアスは「いつも僕を心配してくれてありがとう」と労いの言葉をくれる。まだ8歳とは思えない、本当に素晴らしい主だと思う。
コルビアスは微笑んで顔を上げると、自分を見る面々に向かって口を開いた。
「僕は、ナハトとヴァロには今後も護衛を続けてほしいと思う。あの2人の実力は確かだし、新しく護衛を探すよりは確実だと思うんだ」
魔獣討伐で本当にこちら側になってくれる貴族がいたとしても、それは表だっての事ではないだろう。何故なら王が見ていたわけでもないし、結果として怪我人も極少数で済んでいる。ニフィリムやリステアードが主導で動きコルビアスには何の沙汰もない事を見ると、本来ならある勲章や表彰などもないに違いない。
(「犯人はどうせ秘密裏に処分されるだろうしね…」)
ならばやはりコルビアスには全てをわかって守ってくれる護衛が必要だ。様々な動きが活発化してきた以上、どうあっても引き入れなければならない。
「すぐには無理だと思うけど、近いうちにもう一度彼らにはお願いしてみるつもりだ。その時までに、僕が言ったことをよく考えてみてほしい」
コルビアスがそう言うと、リューディガーもシトレンもフィスカも、そろって膝をついて頭を下げた。




