第10話 ヨルン
「ヴァロくん、今日帰ってきたら話があるんだけれど、少し時間もらえるかい?」
「わ、わかった…」
ギルドでの一件の後、ヴァロはどこかよそよそしくなった。
何か言いたいことがあるようではあるが、それを決意しては、やめる。そんなことを繰り返しているようだった。
ナハトは元来察しがいい方ではあるが、ヴァロは前髪で顔が隠れていて見えないこともあり、表情が読み取りにくい。というか、見えない。
(「まぁ、とりあえず話があることは伝えたし、大丈夫だろう」)
ナハトはドラコを肩に乗せると、ゴドの食事処へと急いだ。
「おはようございます、ゴドさん」
「おはようナハト!今日もよろしく頼むな!」
「はい」
背中の傷ももうほとんど治った。治りかけの引き攣るような痛みがほんの少しあるくらいで、もう完治したと言っても差し支えなくなってきていた。そうしてくると、いい加減居候でいるのは問題になる。いくらヴァロがお人好しでも、理由もなく居座り続けるのはあまりにみっともない。
それにナハトはゲルブ村がどうなったのか、そこにいた人達がどうなったのかを調べに行きたかった。ヴァロの家にはこの村周辺の、魔獣の森を含めた地図が貼ってある。どうしても視界に入るそれを見ると、邸宅の裏口から見た景色、何もなくなった場所から見たその景色が思い起こされ、こびりついて離れなかった。
魔術師についても知りたかった。ここにも魔術師はいるらしいが、冒険者ギルドではあまり見かけない。アンバスも、知り合いにはいると言っていたが、その知り合いの所在までは知らないようだった。彼自身、魔術は使えないようだった。彼の爪にも色はついていたが、冒険者と名乗っていた。ここが村で、依頼書の数が少ないのが理由なら、もっと大きな町へも行き、もっと情報を集めたい。
気持ちとしては今すぐ飛び出したいが、すぐにさようならというのも無理な話である。ナハトには、家もなければお金もないのだ。
だから手始めにゴドの店で雇ってもらえないかとお願いしてみたところ、無事配膳係として雇ってもらえた。ありがたい。
「お待たせしました。こちらポタタのサラダとカウムのステーキです」
「お兄さん、新しく入った人?」
「はい。ナハトと申します。以後お見知り置きを。お次でお待ちのお客様、こちらへどうぞ」
案内と配膳と片付け、それがナハトの仕事だ。提示されたお給金は、ヴァロの月の収入よりもほんの少し少ないくらいで、それだけもらえるなら十分生活できそうだと、二つ返事でお願いした。このままもう少しだけヴァロのところでお世話になり、その間にお金を貯めて、この村で家を借りるなり別の町へ行くなりするつもりである。
「ありがとうございました」
「お疲れさん。今日はもう上がっていいよ。これ、お土産ね」
「ありがとうございます。お先に失礼させていただきます」
外が暗くなってきた頃、仕事を終えて、ナハトは帰路へついた。余ったポタタを入れた袋を片手に、薄暗い道を歩く。
「ギュー」
「ん?ああ。本当に明るくていいね」
夜なのに明るい。夜初めて外に出た時、明るすぎて落ち着かなかったことを思い出した。ナハトやドラコにとって、夜は暗いものだった。月明かりや火の灯りはあったが、それがない時は本当に暗闇だった。
だが、ここではそれがない。森から出た時に初めて見た、道の脇にたくさんあった、地面に刺さった棒の先についた透明な箱に入った赤い石。透明な板をガラスと言い、あれは道を照らすものだとヴァロに教えてもらった。赤い石は空気中の魔力を吸収し、暗くなると光を放つ石だとも。
石には多くの種類があり、それらは総じて魔石と呼ばれるそうだ。用途は本当に様々で、灯りをともすものから水のろ過を行うもの、熱を発するものや風を起こすものなどもあるそうだ。
そしてそれは大変安価で、家の灯りも道路の灯りも、全てそれが使われているそうだ。事実ヴァロの家にもあるが、最初は本当に驚いた。紐を引っ張ると石のカバーが取れて明るくなるのだが、引っ張っただけで明かりが灯るなど誰がわかるだろうか。
「本当にすごいね。…おや?」
ナハトの歩く道の正面から、柄の悪そうな数人の男が歩いてくるのが見えた。
服装からして柄が悪い。センスを疑う派手な色のシャツ、複数の原色が入った上着とズボン。金属のアクセサリをジャラジャラつけていて、ナハトの耳にまでその音は届いた。
(「…なんだあれは…。あんなセンスの悪い服は初めて見た…」)
この村の人たちは、エルゼルに紹介してもらったからかもしれないが、皆一様にいい人だった。もちろん、変な服装の人もいなかった。かっこいいもの、可愛いものはあったが。
ほんの少しの嫌な予感を感じながらも足を進めていくと、なんとあちらがこちらを指さした。
(「…私には見覚えないが、彼らにはあるらしい」)
ドラコにしっかり捕まるようにいうと、ナハトは「ああ、忘れ物をしました」と言って、そのまま踵を返して走り出した。
「あっ!てめぇ!」
後方で声がした。どうやら本当にナハトに用があるようである。
(「さて、どうしたものか…」)
残念ながら武器はない。唯一持っていた短剣も、背中を切られた時に落としてきてしまった。
背中が治るまでは引きこもっていたし、外に出るようになってからは暴力ごとからは離れていた為、武器を持つということがすっかり抜けてしまっていた。
「待てって言ってんだろう!!!」
そんな怒声とともに、上から人が降ってきた。
轟音を立てながらナハトの前に着地したのは、カーキ色の長い髪と同じ色の小さな三角耳の男だった。
(「…この男がヨルンくんか?」)
なんとなくそう感じた。人を小馬鹿にしたような顔、顎で手下らしき人を使う小物さ、ヴァロより小柄な体格ではあるが、腕や足の筋肉はかなりのものである。
「おまえ、ヴァロのところにいるやつだな?」
やはりヨルンのようだ。なんのつもりかわからないが、ヴァロではなくナハトに声をかけてきた。こちらに来るならば、若輩者だがいくらでも相手にしてやろう。おそらく重傷を負うだろうが。
だが、ドラコの安全だけは確保しておきたい。安心させるためにドラコを撫でながら、ナハトはあたりに視線を走らせた。
「いかにもそうだが、君は誰だね?私と君は初対面だと思うのだが、自己紹介はないのかね?」
「…気持ち悪りぃやつだな。まぁいい。俺様はヨルンだ。てめぇは?」
「私かい?私はナハト。それで、ミスターヨルン。君は私になんの用があるのかね?」
ナハトの尊大な態度に、ナハトの後ろにいる手下2人が怯んだのがわかった。以前、ヴァロにミスターと言われると偉い人みたいに聞こえると聞いていたから試してみたのだが、思いの外効いているようだ。
だが、ヨルンには学がないのか、彼が怯む様子は全くない。
「ああ。今日もおもしれー技を思い付いたんだけどよぉ、ヴァロの奴がいねーんだ」
「ほぉ。それで?彼がいないから代わりに私を使って試そうということかな?」
「話がはえーじゃねぇか」
「ふふふ。ミスターヨルン、君はどうやら相当愚かなようだねぇ」
「ああ!?」
いきり立つヨルンと、それを傍観する手下。あたりには幾人か人がいるが、絡んでいるのがヨルンと見ると、皆一様に去っていく。
「落ち着きたまえ。私は相手をしないとは言っていないよ?ただ…ふふ、ヴァロくんがいいようにされるから、私も同じようにできると思ったのだろうけど、残念ながら、それは大間違いだよ」
「ああ!?なんなんだテメー!?」
「ヴァロくんは反撃をしないんだろう?」
ナハトの言葉に、ヨルンが言葉に詰まった。そうではないのかと思っていたのだ。ヴァロの傷は、いつも体や頭を庇ったものばかりだった。拳に殴った時にできる跡や傷、足にもそれに付随するものはなかった。だからいつも抵抗せずに一方的にやられているのだと思っていたが、どうやら当たりのようだ。
それを好機とみて、ねめつける様にヨルンの目を見る。
「私は反撃をする。それどころか、私も攻撃する」
ゆっくりと拳を握り、振り向くと、後方の2人が悲鳴を上げた。
「…なにを…」
「それでもよければ…かかってきたまえ」
ポタタを置いてナハトが構えると、ヨルンが明らかにたじろいだ。後方の2人がヨルンに駆け寄る。
「ヨルンやめた方がいい!こいつヤベーよ」
「うるせー!こんなチビに、俺がやられるわけねーだろ!」
「だけど…!あいつめちゃくちゃ強そうじゃんか!」
「…どうしたんだい?やるのかやらないのか、ハッキリしてもらえないか」
こそこそ話す3人に向かってナハトは笑いかけた。大袈裟に音を立てて地面を踏みしめると、それだけでヨルンの手下はびくりと肩を揺らす。
「やばいって!もう行こうぜ!?」
「そうだよ!明日にでもヴァロに試そうぜ!?」
慌て出す2人に、さらに一歩だけ近づく。
「さぁ。やられる覚悟は…あるんだろう…?」
低くそう言うと、手下2人が叫んで逃げ出した。それに釣られたのか、ヨルンも歯を食いしばりながら駆け出した。
3人の姿が闇の中に溶けた頃、ナハトは大きく息をついて、その場に座り込んだ。
(「…危なかった。ギリギリだった…」)
「ギギュー!」
緊張の糸が切れて、今更汗が吹き出てくる。心配して甘えてくるドラコを撫でていると、後ろから低い笑い声が聞こえた。
「くっ…ぶふ、おまえ…良くやるなあ」
振り向いた先にいたのは、タバコを蒸すアンバスだった。笑いながら近づいてきて、ナハトに手を差し出してくる。その手をありがたく借りながら、ゆっくりと立ち上がった。
今になって膝が笑っている。
「おまえ、よく口だけで追い返したなぁ。いつ助けに入ろうかと思ってたんだが、いらない世話だったな」
「そんな訳ないでしょう?そろそろアンバスさんが帰ってこられる頃だろうと思って、私はわざわざここまで走ってきたんですよ?見ていたなら助けてくださればいいのに、意地悪な方だ」
ぽんぽんと汚れを払って汗を拭うと、まだ手が震えていた。武器もない、ドラコもいるこの状態で、追い返せたのは奇跡に近い。正直、もう2度とやりたくない。
「まぁそう言うな。次に絡まれた時は助けてやるからよ」
「それはそれは、ありがとうございます」
「あとなぁ、おまえ、武器の一つくらい持っておいた方がいいぞ?使えるもんはあんのか?」
「そうですねぇ…短剣なら多少心得がありますが、今は懐がさみしく、用意できそうにないのですよ」
チラリと見上げると、突然バンと背中を叩かれた。あまりの衝撃に前に飛び、息が詰まった。ゲホゲホとむせていると、ナハトよりも少し離れたところに吹っ飛んだドラコが泣きながら戻ってきた。
「げほっ、な、何を…わっ!」
ポンと何かを放られて、慌ててそれを受け取った。それは一枚の中銀貨。威嚇するドラコを宥めながらアンバスを見ると、ニヤリと笑って彼は踵を返す。
「アンバスさん!これは…」
「そりゃぁ見物料だ。大事に使えよー」
後ろ向きで手を振る彼に、ナハトは深々頭を下げた。この中銀貨で短剣を買えと言うことだろう。それにしてはかなりの金額だ。それとも、ここでは武器はそこまで効果なのだろうか。
その銀貨を懐にしまい、置いておいたポタタを持つと、ナハトはすっかり暗くなった帰路を急いだ。
その場からナハトがいなくなって少し、近くの建物の影に白い塊がいた。真っ白な長い髪で顔を覆った彼、ヴァロは、ナハトが襲われている一部始終を見ていた。囲まれたところも、ヨルン達を撃退したところも、震えて座り込んだところも、全部見てたのだ。
「おまえ、よく口だけで追い返したなぁ。いつ助けに入ろうかと思ってたんだが、いらない世話だったな」
アンバスがそう言っているのが聞こえる。
(「お、俺だって!もしナハトが襲われたら、出て行こうと思ってた!」)
そう思ってた。確かにそう思ってはいたのだ。アンバスも同じように傍観していたから、ヴァロも彼と変わらないはずだ。彼と同じ言葉を言って、ここから出ていけるはずだ。
そう思っているのだが、結局、ヴァロは出ていけなかった。
物凄い虚しさと悔しさで涙が流れた。
(「ナハト…あんなに困ってたのに…震えてたのに。俺は…」)
次から次へと流れてくる涙を拭いながら、ヴァロはゆっくり家へと向かった。




