3 四人の顔合わせ
「初めまして。ミリアム・ギビンズでございます」
「兄のセオドア・ギビンズです」
兄妹はカッター伯爵家を訪問していた。
妹がカッター夫妻の招きに応じて家を訪問すると言って譲らなかったのだ。反対し続けていたら「では一人で参ります」と言い切られた。さすがにそれはさせられず、こうして付き添ってきた。
「チャールズ・カッターです」
「妻のフランソワ・カッターです。今日は私のお願いを聞き入れてくれて感謝します」
夫人のお願いとはどういうことだろうか。
夫人は療養中で子を産めないから嫌々この話を了承したのではないのか。
セオドアは眉を寄せた。
「私、ミリアムさんが社交界にデビューしたときに姪の付き添いであなたを一度お見かけしているの。そのときのミリアムさんの様子に感服しました。どうしても誰かにチャールズを任せるならば、あなたのような方がいいと思いましたの。なので人を頼んであなたを探したんです」
「デビューのとき、ですか。あまり良い思い出がないのですが」
「ええ、失礼なことを言う愚かな令嬢がいましたわね。その尻馬に乗っている令嬢もいました。でもあなたは毅然として対応されていて、令嬢たちが気まずくなって退散したでしょう?痛快でした」
セオドアはそんな話は初めて聞いた。
「お兄様はご存知ないようね?お話ししても?」
「それは、かまいませんが。大した話ではないのよ、お兄様」
ミリアムが苦笑しながらセオドアを見上げた。
カッター夫人によると、十六歳の少年少女たちの社交界デビューの夜、数人の令嬢が壁際に立っているミリアムに近づいた。
目が悪くて踊れないのになぜここに来た、ということを言葉悪くからかったらしい。ミリアムはダンスは得意だったのだが彼女たちは知らなかった。黙って意地悪な言葉を聞いていたミリアムは、彼女たちの口撃が止むのを見計らってこう言ったらしい。
「私は目が悪いけれど、一人に対して何人も集まって意地悪をするほど心根は曲がっておりません。今、私をそう育ててくれた両親に感謝しておりますわ」
美しいミリアムが虐められているのを心配しながらも手をこまねいて見ていたたくさんの令嬢令息たちは、一斉に感心した顔になったそうだ。拍手する者もいたとか。
そして怒りで顔を赤くしている令嬢たちの前で令息たちは次々とミリアムをダンスに誘ったらしい。
「お前、そんな恐ろしいことを?」
「あら、やられたらやり返せと言って送り出したのはお兄様なのに」
「エスコートしたジョージ兄さんはそんなことがあったとは何も言ってなかったぞ」
「ジョージお兄様にはよくやったと褒められたわ」
兄妹の会話を微笑んで聞いていたフランソワ夫人が口を挟んだ。
「私、あの時のミリアムさんの心根に惚れ込みましたの。どうか私達のわがままを聞いてはもらえないかしら。ミリアムさんには最大限の誠意で対応をいたしますし、使用人たちにも私が生きているうちにその辺りは徹底して指導しますから」
ミリアムが怪訝そうな顔をした。
「生きているうち、ですか?」
「ええ、私ね、実は右の胸に腫瘍がありますの。母も祖母も同じ病気でした。薬がありませんのよ。おそらく長くて五、六年。短ければ二、三年。残り時間は神様だけがご存知なの」
あまりにハキハキと話される口調と内容がそぐわなくて、ミリアムもセオドアもなんと言っていいか言葉が選べない。
「病気で命を落とすのは恐ろしいことばかりでもないのよ。こうして後のことを準備できることは感謝しているの」
ニコニコして夫人は話す。
「だから私が生きているうちにあなたを後妻として選んでおきたいの。話を持って行ったあなたの伯母様からは『愛人』と聞いていたかもしれないけれど、正しくは後妻です」
「そういう……ご事情でしたか。何も知らなくて」
「ミリアムさんだけじゃなく、あなたの伯母様もご存じないことなの」
そこでようやくカッター伯爵が口を開いた。
「私は生きているうちからそんなことを決める必要はないと反対したんだけどね。彼女は財産目当ての女と再婚したら嫌だと。この家のことを心配していたら寿命が縮むと脅すのです。自分の眼鏡にかなう女性を元気なうちに選んでおきたいと言うんですよ」
「だってそうでしょう?私が神の庭に行ったら彼は絶対に再婚しなきゃならないわ。彼の一族が黙っているはずがないもの。それなら私が納得できる人がいいの」
セオドアは困惑した。
金に物を言わせてミリアムの若い体を我が物にしようとしたり、子を産めない妻の代わりに子供を生んでもらおうという男を想像していたのに。
「しかし伯爵、ミリアムは、目が……」
「それについては失礼ながら調べさせてもらったよ。お産が長引いた結果だと医者は証言してくれた。本来なら視力に問題は無かったとね」
(高位貴族はそんな情報まで手に入れられるのか)
セオドアは勝手に妹のことを調べられた怒りよりも恐ろしさが勝った。
「承知いたしました奥様。精一杯務めさせていただきます。ですが後妻になっても子供は神様が授けてくれるものですから、確約はできません。その場合は潔くお屋敷をあとにいたしますわ。そのくらいの覚悟はございます」
「いいえ。あなたに子が生まれなかったらそういう運命だったと諦めて、私は養子を迎えますよ。それはちゃんと書面で残しましょう」
カッター伯爵の言葉に兄妹は何も返せなかった。
夫妻の提案は後妻の話だと理解できたしミリアムが本気だったのでセオドアは納得したが、ひとつだけ不安があった。夫人がこの先、自身の予想に反して何十年も元気でいたらミリアムはどうなるのか。後妻として収まることなく生涯を不安定な立場でいなくてはならないだろう。
だがその疑問は顔合わせが終わった瞬間に消えた。
話が終わるや否や、それまで背筋を伸ばして美しく座っていた夫人がぐったりと背もたれに体を預けた。夫人は夫に横抱きにされて部屋を出ていったのだ。厚い化粧で隠していたが、運ばれていく夫人はとても顔色が悪いことがわかる。
彼女は身体の不調を見せないようにして精一杯毅然としていたらしい。