1 セオドア・ギビンズの妹
「再婚なんてお断り」に出てきた画家のセオドアと妹の物語です。
セオドア・ギビンズの家に手紙が届けられた。
「ルーシー、手紙はどなたから?」
「ハリル子爵様とエレン・エックルズという方からです。どちらもセオドア様宛てです」
「そう。エレン様のお手紙はどんなご用事かしらね」
絵本の売上のことだろうか。売れているといいのだが。
ミリアム・ギビンズは右の頬に指先を当てて首をかしげた。
ミリアムの華やかな金髪は動作の邪魔にならないように後ろでひとつに結ばれていて、空を見つめている瞳は明るい茶色だ。黒目黒髪の兄は父似、ミリアムは母似である。
伯父のハリル子爵からの手紙は兄の縁談の話だろう。貧しい子爵家の次男である兄は裕福な家の娘と縁づかない限り生きていく手段がない。
兄は画家としては鳴かず飛ばずが続いている。当人は「僕がお前の面倒を一生見るから」と言ってくれているけれど、そんなことはしてほしくない。
生まれつき視力が弱くてぼんやりとしか物が見えない自分だけれど、慣れた場所であれば一人で暮らすくらいの家事は身につけてある。だから伯父の妻が持ってくるような裕福な男の愛人になる話も、まんざら悪いこととも思っていない。
「一生お兄様の足手まといになるのは嫌だわ。私を大事にしてくれる人がいるなら愛人でもいいのに」
「お嬢様。そんな悲しいことを」
「ルーシー、これは諦めじゃないわ。私にとっての挑戦なのよ」
そう、身内に気の毒がられながら一生を終えるより、一年でも二年でもいい、自分を欲しいと思ってくれる人と生きてみたいのだ。
夜になって兄のセオドアが帰宅した。
この家は王都に社交用のタウンハウスを持たないギビンズ家が契約している貸し部屋で、安いわりに治安も手入れも良い。画家を目指している兄と共に暮らすようになってから二年が過ぎた。
「おかえりなさいお兄様。手紙が届いているわ」
「ただいまミリアム。また伯父上からの縁談だろう?」
そう言いながら兄が手紙を手に取り、差出人の名前を見て大急ぎでそれを開封した。伯父からの手紙らしい封筒はポイと投げ出されたが、もう一通の方を落ち着かない様子で二度三度と読み返しているようだ。悪い知らせではないといいのだが。
「ミリアム、聞いて驚くな。『風の妖精』の売れ行きが良くて増刷するらしい。似た設定で他の絵本も描いて欲しいとあるぞ!」
「まあ!」
『風の妖精』は兄と自分の合作だ。絵本を頼まれたと言って帰宅した兄が「絵は描けるけど物語が思いつかない」と苦しんでいるのを見かねて自分が話を考えたのだ。
目が不自由な自分だからこそ、身軽な風の妖精になって世界中を旅する話を書いた。口述筆記してくれたのは侍女のルーシーだ。兄は「お前の名前も表紙に書こう」と言ってくれたけれど、それはきっぱりと断った。
目の悪い自分のことで苦労している兄のために少しでも役に立てればそれで十分だ。本が売れても売れなくても自分の手柄を主張する気は毛頭ない。
「ミリアム、今度も話を考えてくれるかい?」
「ええ、喜んで!」
翌日兄はエレン・エックルズ伯爵とオルブライト伯爵にお会いしたらしい。いい匂いのタルトを六個もお土産に持ち帰った。
「エレン様から『風の妖精』の取り分を手渡されたんだが、何かの間違いじゃないかと思うほど多かったよ。ルーシー、溜まっているツケをこれで全部払って来てくれるかい?」
「はい、坊っちゃま」
「残りはお前のドレスを買おうじゃないか」
兄の声は嬉しそうだが、そんな贅沢は身に余る。
「部屋から出かけない私にドレスを買うのは無駄遣いよ。その分をお兄様のコートに当てましょう?それと、伯母様のお話をお受けしようと思うの。私、一度でいいから誰かに必要とされたいの」
「だめだ!絶対にだめだ!まだ二十二歳のお前が二十も歳の離れた男の愛人なんて!」
ミリアムはことさら穏やかな声で兄を説得した。
「でも、あの方は奥様が長年病気でらっしゃるから。どうしても後継ぎが必要なのよ。お役に立てるなら私、不満はありません」
それを聞くと怒りのオーラを撒き散らしていた兄が、荒々しくドアを閉めて自分の部屋へ行ってしまった。
時間をかけてわかってもらうしかない。兄妹が手を取り合ってここで暮らしていたらいずれは共倒れだ。そうなったら今よりもっと悪い話に身を任せることになるだろう。
「ルーシー、私があちらに行くときは、あなたがついて来てくれると心強いのだけど」
「はい。もちろんお供させていただきます。でもお嬢様、本当にいいんですか?」
「ええ。私の人生はずっと誰かに世話をされて来たけれど、一度くらいは誰かの役に立ちたいの。それに子供を産んでみたい」
「お嬢様。生まれたお子様はあちらの家の子供とされてお嬢様が育てられるかどうかも……」
ルーシーの声が今にも泣きそうに震えている。
「それでもいいわ。私がこの世に生まれて生きてきた証を残せるもの。贅沢は言わないつもりよ」




