永遠の理想郷(笑)
グレーゲルは消し飛んだタコの姿を見て、納得したようにうなずいた。
悪魔の消滅を悔しがるとか、王子の身を心配するとか、そういう気持ちはさらさらない様子だ。
「……中身がアレではこんなものか」
背を向けて去ろうとする。
「待てッ」
勇輝が鋭い声で止めた。
「何者なんだお前!」
「……言ったところで意味はない。
そんなことよりもっと良い提案があるぞ」
「なんだよ」
「自害しろ、魔女。
お前のやっていることは無益だ。
その場しのぎのくり返しで世界を救うことはできない」
いつのまにか彼の声が若返っていた。
丸めていた背はまっすぐに伸び、フードつきの衣服でおおった身体も力強さを増していく。
彼の魔法で見た目を偽装していたようだ。
「社会構造そのものが劣化しているのだ。
自浄作用などとっくの昔に失われている。
破壊し、新生させることでしか人類は生き残れない」
男は自分からフードをとる。
人間離れした風貌をしていた。
真っ白い髪。
真っ黒な眼球。
金色の瞳。
とがった耳。
人間型の悪魔。
そうとしか言いようのない顔だ。
「聖女などやめろ。感謝されるのは今のうちだけだ。
やがて聖都の者どもはお前を妬み、恐れ、火炙りにするぞ。
権力者とはそういうものだ」
不吉な言葉を残して、グレーゲルの姿は闇の奥へ消えてしまった。
「ま、待てっ!」
呼んでももはや反応はかえってこない。
波がとめどなく打ち寄せる浜辺で、クリムゾンセラフだけが月光に照らされていた。
しばしの時が流れた。
東の空が明るくなっている。
もうすぐ夜明けだ。
クリムゾンセラフの姿はもうなく、倒れていたはずの漁師たちもいない。
ちょっとした時間の間にすべて終わってしまったのか。
いやまだ終わっていない者がいた。
フラフラによろけながら、彼は海中から岸に上がってくる。
服を着たまま全身ビショビショに濡れたマルティン王子だった。
「はあ……はあ……、まったく、なんという……」
しぶとく彼は生き残っていた。
たまたま運よく彼の入っていた心臓部が爆発によって飛ばされ、海の中に落ちたのである。
そこからは必死だった。
タコの心臓もすぐ黒い霧となって消滅。
王子は海水の中にほうりだされてしまう。
海水を吸った衣服が重くまとわりついてくる中、彼は懸命に泳ぎつづける。
体力の限界ギリギリまで肉体を酷使して、何とか浜辺までたどりつくことができた。
「なんという、ひどい夜だ。いやもう朝か……」
力つきて砂浜に倒れた。
せっかくの美貌が砂で汚れるが、かまっている余裕がない。
浜辺で寝転がったまま、少しずつ空が明るくなっていくのを眺めていた。
「殿下、王子殿下!」
男の声。
駆け寄ってくる。
「殿下、よくご無事で!」
「フェルディナンド、さすがに疲れたぞ。
着替えとタオルを頼む」
「はい!」
フェルディナンドはうなずくと停車してある馬車まで全力疾走していった。
彼も散々な目にあっているというのに、まだこうして忠義をつくそうとしている。
まったく……ちょろい男だ。
フェルディナンドが走り去りまた空を見上げていると、他の人物が近づいてきた。
「マルティン殿下!」
ミコール・エレナ・ソルベリ男爵令嬢だ。
彼女は後ろで手を組み、前のめりになって王子の顔をのぞき込んだ。
「ああ無事でよかった私の王子様……!」
ミコールは砂地にヒザをつき、汚れるのも無視して王子のとなりに座った。
「いけない、貴女が汚れてしまうよ」
反射的に気取ったセリフが出てくるマルティン王子。
こういう態度はもう魂に染みついている。
「いいんです。そんなこと」
ミコールは王子の手を取った。
「フッ……」
微笑みながら王子は心の中で、
(この女なれなれしいな)
と思った。
捨てた花に興味はないのだ。
彼の花瓶にはつねに新しい花こそふさわしいのである。
今は仕方ないのでこういうことも許すが、あくまで今だけだ。
帰ったらもう二度と会うこともあるまい。
そんな内心はまったく表に出さず、王子は男爵令嬢と見つめ合っていた。
「私、いい事を思いついたんです」
「へえ、どんな?」
「とってもいい事です」
(だからどんなだ、要領の悪い愚図め)
心の中で毒を吐くが、けっして顔には出さない。
王子はその道の達人である。
「私と殿下が一番しあわせになれる方法です。
汚いものが何にもない、ただただしあわせな所へ行ける方法です」
「へえ、そうなんだ」
(お前一人でいけ)
そんなことを思っているうちに、とうとう日の出の時間がきた。
眼球を突き刺すような強い陽光が二人を照らす。
まぶしくて目を開けていられない。
王子殿下は手で顔をかくした。
徹夜になってしまった。
もう舞踏会まで一日しかない。
こまったものだ、どうしようか。
何かしようにもすっかり疲れてしまって頭が働かない。
まぶしい。
眠い。
疲れた。
「きれいな朝日ですわ殿下」
「うん、だがちょっときついかな」
目をつぶったまま王子は返事をする。
「…………ねえ殿下。
あの太陽のむこうに行ってみたいと思いませんか」
「は?」
意味の分からぬ言葉に思わず聞き返した瞬間。
腹部に、激痛がはしった。
「うぐっ!?」
閉じていた眼をカッと見開く。
目の前に異様な目つきで微笑むミコールの顔が。
そして激痛はしる腹部には、小さなナイフが突き刺さっていた。
「ぐ、ぐああああっ!?」
「ごめんなさい。ごめんなさい殿下。
でもこうするしかないんです。
こうしないと私たちのハッピーエンドは来ないんです」
グリグリとナイフの刃がえぐられる。
鮮血が飛び散り、砂浜を赤く染めた。
「あの聖女はこんな事で殿下をあきらめたりしません。
あの男も私を狙っているんです。
もう無理なんです、これしかないんです」
「な、なにを言っ……!!」
激痛が凄まじく、最後まで言葉にならない。
「いきましょう殿下、あの太陽のむこう側へ。
真っ白で無垢な永遠の世界へ。
私がずっとお側にいます。
健やかなるときも病めるときも。
喜びのときも悲しみのときも。
ずっとずっとお側におります」
「ぁ…………!」
声が出ない。
力も出ない。
どうにか目の前に手をのばしたが、それをどう使うのか考える思考力も残されていない。
せめてもの抵抗だったその手も、幸せそうに微笑むミコールに握られた。
二人の手が鮮血で真っ赤に汚れる。
「愛してます、殿下」
大量出血のせいで意識が遠のいていく。
完全に意識が消える寸前に、王子はフェルディナンドの声を聞いたような気がした……。





