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第八話 ベルモンド家の三人

「…………」

 勇輝はまるで気がついていなかったが、扉の外で客室の様子をうかがっている人影があった。

 その人影は勇輝が寝静まった事を確認するとその場をそっと離れ、そして主人の書斎をおとずれる。

 そこにはヴァレリアとランベルトの二人が待っていた。


「申し訳ありませんね、あなたには嫌な役割を押し付けてしまいました」

「いえ、これしきの事はお安い御用です猊下げいか

「…………」

「…………?」


 ヴァレリアの苦笑いに、影の主はくわえたハーブスティックをれ下がらせた。


「いつも言っているでしょうクラリーチェ、仕事以外で『猊下』はやめてください」

「……あっ、はい、ヴァレリア様」


 勇輝の様子をさぐっていた人物、クラリーチェは訂正ていせいして頭を下げる。


「ご苦労さま」

 労をねぎらうランベルトにも、彼女は目礼もくれいを返す。


 ランベルト・ベルモンド。

 クラリーチェ・ベルモンド。


 実はこの二人、ヴァレリアとは養母と養子の関係にあった。

 裕福な者が戦災孤児せんさいこじを養子として引き取る、という古き良き習慣がこの世界にあるのだ。

 二人ともそうした孤児上がりだった。


「それで、ユウキさんの様子はいかがでしたか」

「大人しく眠りについたようです。あの分では朝まで起きないでしょう」

「そうですか、客室は気に入っていただけたようですね」


 ヴァレリアは中指で眼鏡のズレを直した。

 それが会話中に間をとりたくなった時の養母のクセなのだと知っている二人は、黙って彼女が次の言葉をつむぎ出すのを待つ。


 数秒の後、尊敬する養母が口にした一言は、当人の慎重さを端的に表すものだった。

「あなた方は、彼女の――彼女と、あえて呼ばせてもらいましょうね。彼女の事をどう判断しましたか」

 おだやかなその表情の奥に、何事をも見逃さないという深い知性の光があった。


 このヴァレリア・ベルモンドという女性。

 一見すると単なるお人よしの貴婦人きふじんだが、実際にはそれほど甘い人物ではない。

 女の身ながら海千山千うみせんやませんの策謀家たちを押しのけて枢機卿すうききょうの地位にまでのし上がった、辣腕らつわんの政治家なのである。


 ランベルトとクラリーチェは、そんなヴァレリアの子飼いの部下としてこれまでに様々な極秘任務をこなしてきた。

 いわば非公式のスパイである。

 ある時は私腹を肥やし職を汚す聖職者の不正を暴き、またある時は少数精鋭の戦闘部隊として各地を転戦する。

 そういうきわどい真似を彼女たちは何度もやってのけていた。


 彼女たちは公正で忠実な神のしもべである。

 だが同時に怜悧れいり厳粛げんしゅく為政者いせいしゃとその配下でもあった。


 そうでなければ父権が幅をきかせる宗教国家で、女が大臣級の権力者になれるはずも無いのだ。

 万人が認めざるを得ないほど有能であり、また少なくとも表面上は、清廉せいれんな人格者でもある。

 だからこそ彼女たちの今があった。


 勇輝が身を寄せたのはそういう人物なのである。

 こんな人物が単なる善意ぜんいで保護を申し出たわけが無かった。





「さあ、あなた方が感じた事を、ありのまま聞かせてください」


 ランベルトは、求められたとおり実直に報告した。


「私は彼女、ユウキさんの事を呪われし異端者たちアナテマどもが送り込んできた密偵、あるいは破壊工作員ではないかと疑っていました」


 本人にとっては不本意であろうが、勇輝はランベルトにとって不審者以外の何者でもなかった。

 その美貌びぼう、奇怪な言行、見たこともない服装と所持品。

 まさに歩く不審ふしんかたまりだ。


 いまだかつてここまでとことん不審きわまる人間を見た事がなかった。


 この不審人物をうかつに街中に解放するわけにはいかない。

 そう判断したからこそ彼は最も信頼できる人物、養母であり主君であるヴァレリアの前に連れてきたのだ。


 すると案の定、ヴァレリアは勇輝を素直に解放しようとはしなかったのである。

 あくまで客としてだが、彼女を自らの屋敷にまねき入れた。

 いわば体裁ていさいのいい身柄拘束みがらこうそくである。


 そして客間で議論している最中、『言葉という魔法』の話になった時に、彼女は勇輝には伝わらないようにした言葉で、隣室に待機していたランベルトたちに向かってこう言ったのだ。



『隣人さんたち、しばらく様子を見ましょう』と。



 あのわけの分からない言葉は、実はランベルトたちに向けられたものだったのである。

 少年少女のころから従っている主の言葉だ、ランベルトたちはその意味を正確に理解した。



 つまり『二人とも、しばらくこの少女を監視しなさい』という命令。



 その結果はいまだよろしくない。

 とりあえず言えるのは、彼女はほぼ確実にこの国の人間ではないという事。

 そしてあの短気で落ち着きの無い性格は芝居しばいでは無かろうという事ぐらいだ。


「今日一日ずっと彼女を監視しておりましたが、どうも私の思い過ごしであったようです」

「……つまり悪意ある侵入者ではないと?」

 はい、とランベルトは胸をはって肯定する。


「その根拠は何でしょうね?」

「暴飲暴食でつぶれるような人間に密偵はつとまりません」

 そう言いながら、ランベルトはつい口元がゆるんでしまうのをおさえ切れなかった。

 あのベロベロに酔っ払った能天気な笑顔。

 まるで幼女のような無警戒さだった。


「なるほど」

 ヴァレリアもつられて苦笑してしまった。

 勇輝を敵対勢力のスパイだとして疑うのは少々難しい。

 なぜなら彼女は実にありとあらゆる面において目立ちすぎるのだ。

 こんな女に密偵スパイなど務まらない。


 そして流言飛語りゅうげんひご世論よろんを操る工作員という線も無かろう。

 知性も色気も感じられない小娘の言動に、どれほどの説得力があるというのか。


「し、しかし、あれがすべて演技だったという可能性もあります!」

 クラリーチェがやや興奮しながら反論した。

 確かに正論ではある、が。


「本当にそう思っているのかい、さっきはずいぶんにぎやかだったね?」

 ランベルトに茶化ちゃかされて、クラリーチェは顔を赤くした。

「あ、あ、あれはっ、礼儀れいぎ知らずの酔っ払いにマナーを教えてあげただけですっ!」


 クラリーチェは興奮のあまり、くわえていたハーブスティックをポロリと落としてしまった。

「あっ!」

 そのムキになった様子がおかしくて、二人はまた笑う。

 笑われたクラリーチェはさらに顔を赤くした。

「もうっ、二人ともからかわないで下さい!」

 落とした棒を拾ってポケットにしまう彼女に向かって、ヴァレリアは軽く頭を下げた。


「……では密偵ではないとして、彼女の正体は何だと思いますか」

 ヴァレリアの声色が元に戻ると、二人の態度も引き締まった。

 だが彼らは同時に表情をくもらせ、首をひねる。


 ランベルトが言った。

「それは、今の段階では分かりかねます」


 なぜ彼女はあんな場所にいたのか。

 性別が変わったというのは本当の事なのか。

 異世界から来たというのは真実なのか。

 そしてなにより、あのあかひとみはまるで……。


「あの瞳の色はまるで聖エウフェーミア、かの紅瞳こうどうの聖女のようでしたね」

「っ!?」

 心の中を読まれたかと思ってランベルトはぎょっとした。

 だがすぐに考えすぎだと気付く。

 あの宝石のように紅い瞳を見れば、誰だって彼女の事を連想れんそうするに違いないのだ。


 東方の守護者、魔王討伐の聖人、紅瞳の聖女エウフェーミアの事を。


「ユウキさんの手は、まるで赤ちゃんのように柔らかでした」

 ヴァレリアは右手を閉じたり開いたりして、その感触を思い出していた。


「人間の手には、その方の人生が現れるものです。あなた方騎士の手には剣だこがあり、私の手にはペンだこがあります。農夫の手には農具のたこがある事でしょう。使用人の手はガサガサに荒れ、職人の手はぶ厚く傷だらけになっているものです。しかし……」


 冷たく光る青い眼で見すえられて、配下二人は背筋がうすら寒くなった。


「あの方の手は奇妙でした。まるで生まれたての赤子のように柔らかくて、しみの一つも無くて。これをどう思いますか?」

「さ、さあ、本人が言うように不真面目な学生だった、という事でしょうか。ペンだこもできないくらいに……」

 その周到しゅうとうさに寒気を覚え、ランベルトの声はかすかに上ずった。


 こういうお人なのである。

 なにげない会話のひとつひとつにも意味がある。

 わずかな接触からも情報をしぼりだし、そして相手は調べられた事に気付きもしない。



 勇輝とヴァレリアが握手をかわしたのは「しばらく我が家に滞在してはいかがですか」と提案したときの一瞬だけである。

 あんなわずかな行動が、自分の素性を探る行為であったなどと気づける者が、はたしてこの世にいるのだろうか。



 もし仮にあのアイザワユウキという少女が悪意を持って聖都に侵入してきた人物だったとしたら、いまごろ彼女は拷問ごうもん部屋で異端審問官いたんしんもんかんに責められ、あわれな悲鳴を上げていたに違いない。

 それを思うとこの主君の存在は頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。


「彼女の語る異文化が、この国の発展につながる可能性もありますからね。それに今後の彼女の生活も心配ですし、もうしばらく我が家に逗留とうりゅうしていただく事にしましょう」



 これはつまり『監視を継続しろ』という命令だ。



『はい、承知いたしました猊下』

 ランベルトとクラリーチェは、同時に深々と頭を下げた。

「あらあら、またそんな事を」

「えっ?」「は?」


 急に主君の気配が柔らかくなったので、二人は顔を見合わせる。


「猊下はやめてくださいと、先ほども言ったばかりですよ」

 あっと息をのんで、二人は訂正した。

『承知いたしましたヴァレリア様』

 眼を伏せていても、彼女が慈愛に満ちた表情で見つめているであろう事がひしひしと感じられる。

 ヴァレリア・ベルモンド、彼女こそランベルトたちの冷徹なる主君、そして最も敬愛する二人の養母であった。

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