聖女印のゴーレムマイスター
平和の反対とはなにか?
戦争でしょう。戦争で正解のはず。
そういうささやき声がそこかしこから聞こえてくる。
むしろ他の声は聞こえてこない。
平和の反対は戦争。
たしかに辞典にもそう書いてある。
「平和の反対は戦争?
うん、間違っちゃいないと思う。
けどそれだけじゃ不十分なんだ」
堂内にいるすべての人が、あまり上品とは言えない聖女の言葉に耳をかたむけた。
聖都にいる誰もがあの魔王戦役で生きるか死ぬかの恐怖を体験している。
その恐怖から救ってくれた人物の言葉だ。
他の人間が言うのとは重みが違う。
「戦争が無くってもさ、たとえば病気が大流行していたらどうだろう?
他にも地震、洪水、火山の噴火なんかで街が壊されてしまったら?
王様が頭おかしいやつでメチャクチャな政治をやっちまったら?
日照りや大雨で食べ物が手に入らなくなったら?
たぶんまだまだ色々あると思う。
平和って難しいんだ。
何でもかんでもぜーんぶそろってないと『平和だな』っていう気分になれないと思うんだ」
シーン、と静まりかえった礼拝堂内。
かすかに吐息やうなる声が聞こえる。
「だから平和の反対語は、『平和じゃない』だ。
バカみたいなセリフだけど、ちょっとでも欠けている部分があったら、俺たちは平和じゃいられなくなるんだ。
だから平和か、平和じゃないか。
これが俺なりの答えだ」
勇輝は視線を女生徒達から壇上の騎士団長へうつした。
歴戦の老将はまったく動じた様子を見せぬ。
しかし隣に立つダリアは何か思い悩む表情だった。
「だから騎士団長、俺はあんたの考えに賛成できないよ。
いま聖都には金がない。
っていうか大量に余っていたとしても、大遠征なんかしたらまるごと消し飛んじまう。
金や物が無くなった状態でちょっと事件がおきたりしたら、もう俺たちには対応できない。
助けられた命でも見殺しにするしかなくなる。
それはもう平和じゃない。
平和じゃなくなれば、悪魔はまた増える」
第三騎士団長、グスターヴォ・バルバーリは表情一つ変えずに答えた。
「それは、我々の考えるべきことではない。
騎士は悪魔を退治することだけ考えておればよいのだ。
それ以外のことに干渉するのは越権行為である。
政など政治家どもに任せておけばよいのだ」
ひどい暴論だった。
自分たちは迷惑をかけることになる。
だが償いはしない。
それをする専門家は他にいるから、その者たちが適切な対応をすれば良い。
自分たちはただ死ぬまで戦い続けるのみである。
他のことなど知らぬ。
といういうことだ。
いわゆる脳筋、脳みそまで筋肉というほかない。
先代の長官から『進め、戦え、そして死ね』と教育されてきた漢の、行きすぎた頑固一徹さ。頑迷。頑愚。
もはや頑な、という言葉の権化である。
意外なことに、勇輝はこの暴論にある程度の理解をしめした。
「なるほど、俺も戦うために造られた命だ、そこそこ分かるよ。
ハンパな気持ちじゃ悪魔とは戦えない。完全に専門家の領域だ。
同じようにそれぞれの仕事は、それぞれのプロがやればいい」
とりあえず相手の言い分を認めておいて、そこから反論を開始した。
「だったら余計に今の状況はダメだろ。
戦争をする、しないを決めるのは政治家の仕事だ。
政治家じゃない俺たちが勝手に決めることじゃない」
むう、とグスターヴォは言葉に詰まった。
これを文民統制という。
軍隊は国家の中でも特に強い力をもつ組織であるがゆえに、文民、つまり軍人ではない者が組織の頂点に立って暴走をふせぐ仕組みになっている。
軍務省の長官が騎士ではなく、高位聖職者である枢機卿なのはそのためだ。
「今のあんたたちは、脳の命令を無視して右腕が勝手に暴れているようなもんだ。
そんなアブネーやつ、ほっといて良いわけがねえ」
「だとしても!」
グスターヴォは腰の剣を鞘ごと引き抜き、尖端を床に叩きつけた。
ドンッ!
物騒な物音にお嬢様たちが鋭い悲鳴をあげる。
しかし百人以上の悲鳴よりも強い声で、グスターヴォは吼えた。
「たとえ世の理に反していようとも、これだけは譲れぬ!
もとより口先のやり取りで願いをかなえようとは思わぬ!
たとえわしが死んだとしても、志を継ぐものがきっとすべての悪魔を狩りつくす!
わしが地獄へ落ちるのはそれを見とどけてからだ!」
圧倒的な迫力を前に乙女たちは悲鳴を上げることすら忘れ、静まりかえった。
老いた猛獣を前に、行動できたのはやはり勇輝だけ。
「大したもんだよ。けど、止めるぜ」
「やってみるがいい!
遊撃隊隊長におんぶにだっこで支えてもらって、ようやく活躍できただけの小娘が!」
苦笑する勇輝。
「リカルドさんだけじゃねえさ。
天使にも。
本物の聖女にも。
みんなに支えられて、今はこれくらい強くなった」
勇輝たち三人の後ろはすべて壁となっている。
その壁の一部が、ボコッという音とともに崩れ落ちた。
他の部分も次々と崩れ落ちてくる。
ボコッボコッボコボコッ!
空いた穴から、まぶしい陽光が差し込んでくる。
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ!
まだまだ崩れていく。
ドンドン崩れて、勇輝がいない他三方面の壁も崩れていく。
ついには床石まで盛り上がってくる。
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ!!
堂内はもちろん騒然となった。
美しかった礼拝堂が無残に変わり果てていくなか、勇輝は笑った。
「さあ立ち上がれ、戦え、ストーンゴーレム!!」
崩れ落ちていた大量の壁が人型の怪物に変形して、立ち上がった。
『ゴォォォレェェェムゥゥゥゥゥ!!』
「ぎゃあああしゃべったあああああ!!?」
驚き叫ぶ騎士の顔面を、ストーンゴーレムが殴り飛ばす。
それを合図に四方すべてで戦闘が始まった。
「今です、マリアテレーズ様!」
勇輝から合図をうけて、皇女殿下は精一杯の勇気をふりしぼった。
「みなさん!
さあお立ちになって!
はやく!」
できるかぎりの大声で訴えかけるマリアテレーズ殿下。
こんなはしたない大声を出すのは、生まれて初めてのことだ。





