益荒男(ますらお)と手弱女(たおやめ)
口の悪いものは軍務省長官ヴァレリア・ベルモンド枢機卿のことを
「ただ権力のイスに座っているだけの女」
と陰口をたたく。
実際のところ、彼女はレイピアひとつ握ったことがない。
鎧どころかその内側に着る鎧下も持っていない。
彼女のこなす職務の九割は執務室でおこなわれる。
ほとんどが書類決済と騎士団長への個別指導だ。
先代の長官のように大軍の前に立ち、猛々しい演説を打ったりはしない。
やったところでかの貴婦人の体力では、列の二人目か三人目までしか声が届かないことだろう。
そんなわけで、ヴァレリア・ベルモンドという御婦人はバリバリの戦闘職人たちからは受けが悪い。人気がない。
命をかけて戦う益荒男たちの頂点に立つのが楚々とした手弱女では、どうにも気合がのらないのだ。
どうもその
「気合がのらない」
というのも込みで、彼女が軍務省長官に任命されたようなふしまである。
「あの野蛮人どもは、むしろ女を相手にする方が大人しくなるかもしれない」
と、文弱の聖職者どもが小賢しく企んだのではないか。
事実として、東西南北そして中央の五大騎士団長たちは、教皇から任命されてきたこの貴婦人のあつかいに困り、悩み、そして脱力させられていた。
一番極端に変わった点は、出陣の時にかけられる言葉だ。
これまでは
「神のため、民衆のため、勇敢に戦って死んでこい!」
と怒鳴られてきた。
それが漢の生き様なのだと。
騎士に甘えは不要なのだと。
長年自分に言い聞かせてやってきたのだ。
ところが今は
「皆さんの無事をお祈りしておりますよ」
と微笑まれてしまう。
時には柔らかくて生温かい手で握手を求められる。
鞭を欲しているときに愛を与えられてしまうわけだ。
厳父と慈母の違いに、戦歴数十年のベテランたちは脳みそをグラグラ混乱させながら出陣するはめになってしまったのである。
さらにはやれ「騎兵の定期メンテナンス項目を増やしましょう」とか。
「健康診断を実施して心と身体を健やかにたもちましょう」とか。
あげくの果てには「食事のまえには手を洗いましょう」とか「寝る前に身体をきれいにしましょう」とか……。
『あんたいつから俺らのママになったんだよ!』
などと、中高年のおっさんたちはまるで思春期の少年のように苦しんだものであった。
しかしこんな事を周囲に愚痴っても、
「今までのお前らがおかしかったんだ。
風呂くらい入れ」
と言われてしまうだけ。
すべてパフォーマンスの低下をふせぎ、無用な死傷者をへらすため。
流行り病の蔓延をふせぎ、戦力の低下をふせぐため。
躾のなっていない子供あつかいされるのがイヤなら、子供みたいなだらしない生き方を改善するべきなのである。
……という理屈を『理解』はできても、『納得』はできないというのが大人のプライドの厄介なところ。
その厄介さを凝縮し続けてきた結果が、今日のこの事態なのかもしれない。
軍務省、指令室内。
今ここは聖エウフェーミア女学園占拠立てこもり事件の対応に追われていた。
『教皇聖下と軍務省長官猊下の連名をもって、悪魔討伐の大遠征をおこなうと宣言すること』
これが、第三騎士団が恥も捨て、命をかけてでも通したい要求であった。
「……どうも、私にはピンとこないのですが」
ヴァレリアに忠誠を誓う少女騎士、クラリーチェはつぶやいた。
「とりあえず宣言だけ出して、時期を先延ばしにしてしまえば、なし崩しに解決してしまう問題のようにも思えてしまいますけれど」
「まあそれで済ませないための手は打ってあると考えるのが自然だろうね」
クラリーチェの義兄、ランベルトが隣に立って返事をする。
「公式に発表してしまえば決して軽くない責任が発生する。
まして聖下の御名誉に傷をつけるとなれば、やはり実行せざるを得なくなるんじゃないかな」
二人の主君にして養母、ヴァレリア・ベルモンドは目をふせて沈黙している。
主君が何も言わないのを確認してから、ランベルトは続きを口にした。
「そんなに軽い事ではないんだ。
身分ある人の肝煎りというのは」
現代日本であっても、
「これは社長みずから決定なさった仕事だから、必ず成功させなくてはならない」
というヘンテコな理屈でおかしな仕事をさせられるケースは普通に存在する。
社長の考えた仕事、というのが良い内容か悪い内容かは問題ではない。
始めた人間が偉いか偉くないかで優先順序が決まってしまう。
他にもっと重要な仕事があったとしても、人材や資金は他より優先的にまわされ、極限の努力をもって目標を達成しなくてはならない。
他の部分で笑えないレベルの損害が出ても、偉い人の決定を優先しなくてはならない。
こういうアホとしかいいようのない出来事は、残念ながら実在する。
トップの人間がやると言ってしまったら、下の人間は言われた通りに動かなくてはいけなくなってしまうのである……。
「イヤな感じっ」
クラリーチェは乙女らしい潔癖さを見せた。
普段は勇輝にたいして大人のお姉さんぶっている彼女だが、こういう面はまだ未熟だ。
大人の世界は必ずしも純粋ではない。
そして不純すぎるというものでもない。
白でもないし黒でもない。
この世のほとんどすべては灰色に染まっている。
その曖昧さは、乙女心にストレスを与えた。
ヴァレリアとランベルトはそんな彼女の不機嫌な顔をしばし見ていたが、通信使が場に緊張感をもたらした。
「猊下!
第三騎士団長殿から通信です!」
指令室の大スクリーンに、第三騎士団長グスターヴォ・バルバーリの顔が映し出された。
『結論は出ましたかな』
厳しい表情で凄味を見せるグスターヴォ。
「いいえ、わたくしはあくまで平和的な解決を望みます」
日頃とかわらぬ微笑みを浮かべるヴァレリア。
『まだそのような悠長なことを……!』
「あらあら、それほど急ぐ状況でもないかと思っておりますよ?」
『何を言う!』
ダン!
グスターヴォは拳であちら側の通信機を叩いた。
音声と映像が一時的に乱れる。
『こちらには大勢の貴族令嬢が人質としていることを、貴女はご理解いただけないのか!』
獅子が吼えたかのような怒号に周囲の者たちは震えあがった。
戦場往来四十年、老いたりとはいえいまだ気迫は衰えず。
しかし肝心のヴァレリアは平然としていた。
吼えるべき時に吼え、唸るべき時に唸る。
確かにすごい迫力ではあるが素直すぎて面白味がないとさえいえる。
来るとわかっている恐怖なら耐えられる。
耐えられないのは、何が起こるか分からないという恐怖心だ。
たとえば勇輝がやらかすハチャメチャなトラブルのような。
「グスターヴォ団長、そのことで聞きたいことがあるのです」
『なんですかな』
「実は、わたくしの『家族』も今朝、その学園に行ったはずなのです」
グスターヴォの表情がさらにけわしくなった。
「まだ帰ってきておりませんので、もしかしたらそちらで預かっていただいているのではありませんか?
紅い眼の、女の子です」
ギリっと音が聞こえてきそうなほど、グスターヴォは歯噛みする。
ヴァレリアの手元には、金属のプレートが置かれていた。
ベルモンド家のドアに突き刺さっていた、紙飛行機ならぬ『鉄』飛行機だったものである。
『コウジョ ブジ テキキヘイ 30 クリムゾンセラフ ホシイ ユウキヨリ』
そう文字が刻まれている。
勇輝が祈るような気持ちで送ったメッセージは、たしかにヴァレリアの元へ届いていた。
「少々気の短い子ですので、無茶なことをしないかと心配しているのです。
それと皇女殿下にもひとことご挨拶をさせていただいてもよろしいですか?」
この言葉はヴァレリアの牽制だった。
――あなたが自分で言うほどその学園内を支配できていないことを、わたくしは知っていますよ?
「……ッ!」
グスターヴォは顔を真っ赤にしたまま、言葉を失った。
ヴァレリアは確信している。
何をするかは分からない。
だが確実に何かをするはずだ。
出会って二日目に守護騎兵を作り出し、三日目に世界を救った少女。
みんなと仲良くするように学園に送りだしたら、国宝は壊すわ皇女殿下に破廉恥な真似をするわで大騒ぎになった少女。
何をしでかすか分からない。まったく予想がつかない。
だが何かをするはずだ。
絶対に、間違いなく。





