第四話 聖なる都と紅い目の少女(♂)
それから、三十分ほども空を飛び続けたであろうか。
「ユウキさん、この丘を越えたら聖都が見えてきますよ」
「はぁ……?」
勇輝は無気力な顔を上げた。
先ほどの興奮ぶりから急転直下、目も当てられないほど意気消沈している。
自分が自分でなくなるというショックは、それほど深刻なものであった。
(なにが聖都だよ、こっちはそれどころじゃないっての)
何の興味もなく、誘われたまま目線を向ける勇輝。
だが丘の向こうから現れたその純白な巨大建造物は、勇輝のよどんだ心さえ洗い流してしまうほどの、圧倒的な輝きにあふれていた。
空の『青』も草原の『緑』も霞んでしまうほどの、圧倒的な『白』の輝き。
これを一体どう表現したらよいのだろうか。
この世の全てはその『白』を引き立てるために存在している。
全知全能なる神がそう定めたのだ。
――これではいささか陳腐すぎるが。
だがどれほど大げさに、そして装飾過剰に語っても言葉負けしないくらいに、その『白』の存在感は圧倒的だった。
その都は、何もかもが白かった。
華麗な宮殿。
荘厳な大聖堂。
民家や商店、
街道の敷石。
そしてそれらをぐるりと囲む長大な城壁も。
あらゆる建造物が純白の石材で形作られている、そうとうに大規模な城塞都市だ。
「これが、聖都?」
「はい、これが我々聖騎士の守るべきもの」
ランベルトは誇らしげに、そして愛しげに眼下に広がる白い都を見つめる。
「人類の希望、永遠の都、我らが聖主教の中心、聖都ラツィオです」
「人類の、希望……」
勇輝は宝石でも見るかのような気持ちで、輝く街並みを見下ろした。
二人が乗る銀色の鷹が着陸した場所は、どことなく空港を連想させる広場だった。
全く同じ銀色の鷹が数羽、翼をたたんで待機している。
その巨大な爪にそっと触れてみると金属の冷やりとした感触がした。
整列したままピクリとも動かない姿を見て、やはりこれは生き物ではなく人工物なのだという事を実感する。
少しの間その鷹を見上げていると、遠くからガシン、ガシンと重たい金属の振動が近づいてくる。
先ほど地上戦を行ったケンタウロス騎士たちが、やや遅れて帰ってきたのだ。
『おう、無事かいお嬢ちゃん!』
先ほどランベルトを侮辱した野太い声が飛んできた。
先頭にいた騎兵からのものだ。
この一体だけ胸に勲章らしき模様が描かれている。
どうやら隊長機らしい。
プシュー、と空気が抜ける音がして、騎兵の胸当てが開いた。
そこからいかつい体型をした中年男が姿を見せる。
「ガハハハ! お前あんな所で何をしていたんだ、ああん!?」
男は騎兵の手を使って地上に降りるなり、大声を出しながら勇輝に詰め寄ってきた。
ケモノじみた迫力のある中年男だ。
髪は赤毛のオールバック。
肉食獣のような鋭い目つきに、日焼けした筋肉質の体躯。
いかにも叩き上げの軍人という風貌。
男は勇輝の紅い瞳に気がつくと、あごひげをなでながらジロリと睨みつける。
「ほー、お嬢ちゃん珍しい目の色してんな」
「ど、ども」
「お前あんな所で何をしていたんだ、発見がもう少し遅れていたら今頃は犬っコロのエサだぞ、何考えてんだオイ!」
「す、すんません」
迫力におされて思わず勇輝は謝っていた。
男が怒っているようには見えないが、とにかくその威圧感に圧倒されてしまう。
でかい身長。
でかい筋肉。
でかい声。
でかい態度。
それらがまとめて上からのしかかってくるのである。
細くて小さな女の身体だと、それらすべては恐怖の対象だった。
「ガハハッ、そんなに怯えるなよ、まぁ命は大切にしろってこった!」
そう言って彼は勇輝の頭をわしづかみにしてグシャグシャとかき回した。
「い、痛てぇっ、やめてくださいよ!」
男の大きな手から逃れようともがく勇輝。
その態度が面白かったのか、男はムキになって離そうとしない。
『な~にやってんすかリカルド隊長』
『いつからそんな少女趣味になったんです?』
後方の騎兵から笑い声が聞こえてくる、助ける気はないらしい。
「あの、嫌がっていますからもうそのくらいで……」
「ガッハッハッハ!」
ランベルトの制止も無視して、リカルドと呼ばれた彼は勇輝の頭をいたぶり続ける。
すると。
「いーかげんにしやがれクソ親父!」
「イテッ!」
キレた勇輝にすねを蹴り飛ばされて、男はたまらず飛び上がった。
「痛ってえな! なにしやがるこのヤロウ!」
「それはこっちのセリフだ!」
痛みと腹立ちで恐怖も忘れ、にらみかえす勇輝。
負けじと涙目でにらむリカルド。
『ワッハッハッハッハ!』
部下たちはまた大笑いしている。
ランベルトはあきれ顔で額に手をあて天をあおいだ。
「そんなところで何をやっているのですか?」
二人のにらみ合いが膠着状態になっているところで、横槍が入った。
「上官殿、まだ任務完了の報告にいらしておられないようですが?」
少し離れた場所から歩いてきたのは、軍服を着た少女だった。
年頃は勇輝と同じくらい。
銀色の髪を結い上げた、なかなかの美少女である。
口の左側に細長い木の棒のようなものをくわえているのが印象的だった。
火のついていない葉巻に見えなくもないが、正確にはそれが何なのか分からない。
くわえた棒のせいか、顔が不機嫌そうにひきつって見えた。
「……面倒くせえのが来やがった」
小声でそうつぶやくとリカルドは不機嫌そうにあごひげをなでた。
「猊下がお待ちかねです、上官殿」
彼女はリカルド隊長に冷たい視線を向ける。
まさに慇懃無礼といった雰囲気。
リカルドは嫌そうに目をそらしながら、弱気な口調で返事をする。
「あー、そいつはこれからランベルトにさせようと思っていたところだ」
「そうでしたか」
そう短くつぶやくと、彼女はツンと横を向いた。
「それでは参りましょうランベルト」
「あ、ああ」
うなずきながら、ランベルトは勇輝の方へ視線をやった。
「……そちらの方は?」
冷たそうな美少女が勇輝を見つめる。
勇輝は彼女のきつい視線にうろたえた。
「先ほど保護した少女だよ。ユウキさん、こちらはクラリーチェです」
紹介されて、軍服姿の少女は自己紹介を始める。
「聖都神聖騎士団、第一遊撃隊所属、クラリーチェ・ベルモンドです、よろしく」
「よ、よろしく、相沢勇輝です」
握手を求められたので勇輝はそれにこたえた。
ささいな事だが、あいさつで握手をするのは勇輝にとって初めての経験だ。
「それではユウキさん、こちらにどうぞ」
「は、はい」
クラリーチェにうながされて勇輝たちは立派な建物に向かって歩き出す。
と、そこでリカルドが耳打ちしてきた。
「気ぃつけろよ、その女ぁ何でも密告やがるからな」
「セクハラでもバラされたんすか?」
「うるせえ!」
図星だったらしい。
白い犬歯をむき出しにしたしかめっ面が、やはり猛獣じみていた。
「じゃーなークソガキ、こってり叱られちまえ!」
「ふん!」
後ろから飛んでくる大人気ない憎まれ口に、勇輝は鼻息を飛ばしてやり返した。
勇輝たち三人は、道すがら様々な人々とすれ違った。
出入り口を警備しているのは、金属鎧を装備した生身の騎士たち。
中央ホールには甲冑を脱いだ鎧下姿の男たちが大勢いた。
黒い僧服をまとった聖職者もいた。
ランベルトたちが彼らに道をゆずって頭を下げていたので、勇輝も何となく合わせて頭を下げておく。
廊下の掃除をしているおばさんたちは典型的なメイドさんスタイルだ。
勇輝はコスプレ以外でメイドさんを見るのが初めてだったので、汗をかきながら労働している中年のメイドさんというのは奇妙に新鮮だった。
彼らの髪の色は黒髪、赤毛、金髪と様々で、人種も様々。
しかし紅い眼をした人間はいなようだ。
やはり珍しいのだろう、勇輝の紅い眼に気付いた人は、みな目を丸くして驚いていた。
ランベルトたちはどんどん建物の奥深い場所へと進んでいく。
自然とすれ違う人の数が減り、静寂が三人を包み込んだ。
「あの、どこに行くつもりなんですか?」
なんとなく不安な気持ちになって、勇輝は小さな声でたずねた。
「おや言葉遣いが急にしおらしくなりましたね?」
ランベルトがちょっとからかうように笑う。
「いやその、さっきはごめんなさい。ちょっとパニックになっていたもので……」
頬をポリポリ指先でかきながら勇輝は謝罪した。
あやうく墜落して心中する所だったのだ。
こんないい加減な言葉ではつぐなえない話なのだが、ランベルトは気前よくその謝罪を受け入れた。
「どうぞ気にしないで下さい。あんなに怖い目にあったのですから、仕方のない事ですよ」
(いい人だ。俺はもしかすると、ひどい誤解をしていたのかもしれないな)
勇輝はこのランベルトという青年を見直した。
初めにお嬢さん呼ばわりされた時はカッと頭に血が上ってしまったが、この外見では当然だ。
彼はあくまで見たまま、感じたままの事を言っただけだったのだ。
「いやホント、すいませんでした」
「いえいえ騎士として、ご婦人をお守りするのは当然ですとも」
「あはは、ちょっと複雑だな。実はさ……」
「あなたには、これから私たちの長官に会っていただきます!」
勇輝たちの会話を無理にさえぎる露骨ななタイミングで、クラリーチェが割り込んだ。
「……はっ?」
「あなたは先ほど『どこに行くつもりなんですか』とたずねたはずです」
「あっハイ」
「私たちは今、長官の部屋に向かっています。これが質問の答えです」
そう言ってクラリーチェはプイと顔をそむけ、一人でスタスタ歩き出してしまった。
なぜかは知らないが、彼女は初めて会った瞬間からずっと不機嫌そうにしている。
「俺、彼女に何かしたかな?」
「そんな事はありませんよ、彼女は仕事熱心なだけなんです、どうかお気になさらず」
「そうかな、なんか敵意みたいなものを感じるんだけど……?」
勇輝は小さくつぶやいた。どうも彼女は勇輝を歓迎していないように思える。
「あのー、長官っていう人は、どういう人なんですか?」
この質問には、ランベルトが答えた。
「はい、軍務省長官ヴァレリア・ベルモンド枢機卿猊下。まあ簡単に言ってしまうと、この聖都を守る軍隊の中で一番偉い人です」
「はあ、何でまたそんな偉い人と会うんです?」
「……それは本人に会ってお確かめください。ほら、もうすぐそこですよ」
言葉を交わしながら廊下を曲がる。
すると突き当たりに手槍を握った騎士が二人、直立不動で立派な扉を守っていた。
中に居る人物から入室の許可を得るために待たされる事少々。
無事許可を得た三人のために、扉が重々しい音をたてて開かれていく。
その物々しい重厚な雰囲気に、勇輝はわずかに緊張したのだった。