第三十九話 紅き瞳をたぎらせ、そして蒼天に誓う
何も無い宇宙空間のような場所を勇輝はただよっていた。
大地も空もなく、ただ無明の闇だけがひろがる世界。
この場所には何となく覚えがあった。
おそらく一度死んだときに来た場所だ。
「もしかして、俺はまた死んだのかな?」
ただその場をただよいながら、勇輝はひとり言をつぶやいた。
「そーいやリカルドのおっさんにこれ以上は死ぬって言われたっけな……」
頭をかきながら、ちょっと反省する。
ところが、その想像はあっさり否定された。
「いいえ、あなたはちゃんと生きているわよ」
「ぬわあっ!?」
うしろろからいきなり声をかけられて勇輝は飛び上がりそうになった。
もっとも飛び上がろうにも、踏んばる地面が無いわけだが。
「ふふ、久しぶり、というほど時間は経っていないかしら?」
いきなり後ろに現れて勇輝をおどかしたのは、ものすごい美女だった。
金糸のようなブロンドの長い髪。
ルビーのように輝く紅の瞳。
それは一見、勇輝とまったく瓜二つのようで、さらにそれを上回る優雅な気品に満ちていた。
「あ、あんたは!」
再び驚く勇輝に、彼女は美しい微笑みを向ける。
「あんたは聖、聖……えっと」
「………………」
「ごめん、名前なんだっけ?」
美女は地面もないのにコケた。
「エウフェーミアよ! あなたいくら何でも失礼すぎない!?」
彼女――紅瞳の聖女エウフェーミアは、むきになって怒り出した。
「いやー昔っから人の名前覚えるの苦手なんだよー。
顔は忘れないんだけどね」
ヘラヘラ笑ってごまかす勇輝の事を、聖女は腕組みしてにらみつける。
「まったく、せっかくちゃんと働いてくれたご褒美をあげようと思っていたのに。
やめにしようかしら」
「え、ご褒美、なになに?」
「もう知らないっ」
機嫌を損ねたエウフェーミアは、嫌そうに横を向いてしまった。
「やだなあ、機嫌なおしてよお。
色々聴きたい事も有るんだからさ」
素早く横に回り、なれなれしく造物主の肩に手を置いて愛想笑いを浮かべる勇輝。
先日調子に乗ってクラリーチェに投げ飛ばされた事は、もうきれいさっぱり忘れ去っている。
「何よ」
「んん?」
「聴きたい事って、何かしら?」
「ああ、うん」
勇輝は咳払いをして、ちょっと真面目な顔になった。
「どうして俺を聖女にえらんだんだ?
俺は男で、異世界人で、自慢じゃねえが全然まじめじゃない男だぞ。
どうして俺なんかを二代目聖女の魂にえらんだんだ?」
「それはね、人に頼まれたからよ」
「頼まれたあ?」
思いもよらぬ話だった。
男を聖女にして下さいなんて、そんなわけの分からんお願いをする人物がこっちの世にはいるのか。
「そうよ、どうしてもあなたにしてくれって。
なんにも良い思いをしないで死んでしまったあなたに、もう一度生きるチャンスを下さいって。
それはもう一生懸命お願いされたのよ」
「……えっ」
そんな事をお願いするような人が、はたして自分の知り合いにいるだろうか。
いや一人だけいる。
正しくは、いた。過去に。
でも。
「話の順番がめちゃくちゃになっちゃったわね。
でもまあ、あなたは小さい事なんて気にしないでしょ?」
エウフェーミアは手前にそっと手を差し出した。
するとそちらに天使の一団が現れた。
クリムゾンセラフと同じ、熾天使タイプの守護騎兵。
色違いの兄弟機が、全部で十二体。
「お、俺のと同じのが、こんなにいっぱい!?」
「この子たちの紹介はまた今度にね。
ご褒美は他よ」
十二の機兵は縦にひろがって輪を作り、人間が一人通れるほどの丸いトンネルを作る。
「光栄に思いなさいよ、滅多にないスペシャルボーナスなんだからね」
トンネルの向こうから現れたその人物は、たしかに勇輝のよく知る人物だった。
彼女は片足を引きずって歩いてくる。
そう勇輝が中学に上がる頃から、足がしびれると言い出して片足を引きずるようになったのだった。
相手は勇輝の顔を見て、ちょっと戸惑っている様子だった。
それもそのはず。
彼女とお別れをした時、勇輝は男の子だったのだ。
それがこんな美少女になってしまっていたら、困惑するのも当然だ。
「俺、勇輝だよ、ばあちゃん」
困惑顔だった勇輝の祖母は、はにかんだ笑顔でこたえた。
「そんな可愛らしい声で呼ばれると、何だかくすぐったいね」
そのまま二人はだまって見つめ合う。
何か話そうとは思うのだが、うまく言葉にならない。
様々な思いが勇輝の脳裏をよぎる。
祖母が死んでからのさびしく貧しい生活の事。
不幸な事故にあって死んでしまった時の事。
ベルモンド家に来てからのあわただしくも楽しい日々の事。
勇気をふりしぼって悪魔たちと戦い抜いた事……。
何もかも話したかったが、でもそのどれもがこんな時にするような話には思えなくて。
だから口をついて出てきた言葉は妙に事務的な、使命をやり遂げたことについてだった。
「俺やったよ、仕事を全部終わらせてきた」
そうだね、と祖母はやわらかくうなずく。
「俺すごいんだぜ、魔法使いになったんだ。
手で触ると何でもグニャグニャ思い通りに変形させられてさ。
その力で悪い奴らを全部ぶちのめしてやった。
敵もすげえ強かったけど負けなかった。
あきらめなかった。
本当はメチャクチャ怖かったけど、でも俺、逃げなかった」
「ああ、見とったよ」
祖母は目に涙を浮かべて何度もうなずく。
「上から全部見とった。
全部聞いとった。
お前が下から見上げていた時、私もお前を見つめていたんよ……」
涙をあふれさせながら、しわだらけの両手で勇輝の頬を包んだ。
その温かさに、勇輝の両目からも涙があふれ出した。
「よう頑張ったね」
「うん」
「本当に、よく……!」
お互い胸がいっぱいになってそれ以上は声にならず、抱きしめ合い涙を流し続けた。
永遠に失ったはずの温もりの中で、勇輝は声を出して嬉し涙をこぼし続ける。
本当に思いもかけない、素晴らしい褒美だった。
目を覚ますと、目前には覚えのあるベッドの天蓋があった。
ここは勇輝が貸し与えられているベルモンド家の客室だ。
「夢……。
じゃなかったよな、きっと」
よっと気合を込めて起き上がると、すぐ横から女の悲鳴があがった。
「聖女様!?」
「は?」
横を向けばそこにはなぜかメイド服を着たジゼルが立っていた。
「なんでそんな格好でここに……ぶっ!」
ジゼルの大きな胸に抱きしめられて、勇輝は顔面を封鎖された。
「よかった、もう一生目をさまさないんじゃないかって心配したんですよ!」
「はんごはがぎがごほげ(何の話だよそれ)!?」
魅惑の谷間にはさまれて騒ぐ勇輝。
苦しいと感じるべきか幸せと感じるべきか、状況分析は難しい。
「だってもう一ヶ月も眠り続けていたんですよ!」
「ふんがっげ?」
「みなさんも大喜びしますよ、早く呼んでこなくっちゃ!」
ろくな説明も無いまま、彼女は部屋を飛び出していった。
どうも服装からさっするに、彼女の再就職先はこの家のメイドさんらしい。
養父を失って泣き崩れていた彼女だが、意外なほど健気に新しい人生を歩みはじめてくれたようだ。
「それにしても、一ヶ月も寝ていたって?」
考えられない事でもなかった。
クリムゾンセラフを作ったときも勇輝は過労で寝込んだのだ。
ベアータたちとの戦いで限界以上に身体を酷使した代償として、それほど長くの休息が必要だったのかもしれない。
あいかわらず無駄にでかいベッドから抜け出して窓を開けてみると、やや熱気をおびた風が室内に流れ込んでくる。
どうやら季節は夏をむかえようとしているようだ。
空気は熱く。
しかし風はすがすがしく。
庭園には若葉が青々と茂っている。
何もかもが光り輝いていた。
そして広い庭園の向こうには、復興途中の聖都の姿が見える。
あちこちに建設中の建物が並び、その周りで作業している職人たちの姿も見えた。
街道には屋台が立ち並び、道行く人々を相手に食料、衣料品など、あらゆる品が売買されているようだ。
苦境にもめげず、人々は立ち直ろうとしている。
かつての美しい聖都を取り戻すために。
「良かった……!」
勇輝は大空を見上げた。
雲よりも高く大地よりも広い、遥か彼方に想いを寄せる。
「この空も、ばあちゃんに繋がっていたんだね」
受け継いだ家も財産も失い、育ててくれた命さえも失った。
だがそれでもまだ、この魂が残っている。
胸の奥に刻まれた言葉と心が、今も彼女のハートを熱く滾らせている。
「見ていてくれよ、俺はこれからも絶対に負けない、逃げない、あきらめない!」
そこで勇輝は少し思案すると、天に向かって即席の決め台詞を言い放った。
「この瞳が紅く燃えている限り、悪い奴らに勝手な真似はさせないぜ!」
少女の大声が空にこだまする。
それに対する返事は、耳には届かない。
だが、心の奥にははっきりと届いていた。
「ユウキさん、目を覚まされたというのは本当ですか!」
ランベルトを先頭に、ベルモンド家の面々が客室に駆け込んできた。
いつもの三人にジゼルを加えて四人、顔を紅潮させてこちらを見つめている。
「おはようみんな、聖女紅のユウキ、完全復活だぜ!」
勇輝は満面の笑みを浮かべてⅤサインを送った。
こうして一つの戦いが終わった。
だが人の営みは終わらない。
今もこの空の遥か彼方で、相沢勇輝は正義の味方をやっている。
第一章 完





