第三話 絶世の美少女とひとつになる(意味がちげーよ!)
巨大な生首はドスンと地面を振動させながら地面をころがり、やがて草原の上に止まった。
「な、な、な……」
あの首があと数メートル近くに落ちていたら、勇輝たちは下敷きになってつぶされていた。
危ないところを金髪の彼に助けてもらったのだ。
――ハアーッ……! ハアーッ……!
「ひっ」
ギラギラと底光りする眼光に射すくめられて、勇輝は小さく悲鳴を上げた。
巨大な灰色狼は首だけになってもまだ息があった。
切断された傷口から黒い霧のようなものを大量に噴き出している。
だがそんな状態にもかかわらず、獣は怒りと敵意の視線をこちらに向けていた。
その凄まじいほどの殺気に、勇輝は全身の震えをおさえ切れない。
だが、そこまでだった。
凶獣の首をはねた騎士がとどめを刺しにやってきたのだ。
『しつこいんだよ、この犬畜生が!』
巨大な長剣の切っ先が狼のこめかみに突き刺さった。
狼は断末魔の悲鳴を上げながら、まるで煙のように風に溶けて消えていく。
『ランベルト、テメエ女と乳繰り合っている場合じゃねえだろ!』
四本足の騎士から怒鳴り声が飛んでくる。
『邪魔だからとっとと行っちまえ!』
「……了解!」
ランベルトと呼ばれた美形さんは、変態呼ばわりされて一瞬ムッと不快感をあらわにした。
だがそれでも命令に従って身を起こし、そして勇輝を抱え上げた。
いわゆるお姫様だっこだ。
「ちょ、ちょっとっ」
「今は身の安全を優先して下さい!」
勇輝の苦情を一喝すると、ランベルトという青年は勇輝を軽々と抱きかかえたまま銀色の鷹に飛び乗った。
細身なのにたいした腕力だ。
彼は六十キロ強もある勇輝の身体を、まるで女の子でも抱えるように軽々と運んでしまったのである。
鷹の内部はひどく狭くて、そして薄暗かった。
狭い空間内にシングルベッドほどの箱が立てかけられている。
だがベッドと違う所は、それには人型のくぼみがポッカリ空いている点だ。
ランベルトはそのくぼみの中に自らの身体をはめ込んだ。
「あなたはどこかにつかまっていて下さい。揺れますから、できるだけしっかりと」
そう一方的に言い聞かせると、彼は眼をつぶってなにやら呪文のようにつぶやき始めた。
「機体状況確認、良好。総魔力残量、確認。保護壁を展開」
彼の言葉に反応したのか、穴あきベッドの表面が透明な膜によって覆われる。
その姿はまるでアニメショップで販売されているキャラクターフィギュアだ。
「同調開始、思考ノイズ修正、同調率、十、二十、三十……」
ランベルトの数える数字が増えるとともに、狭い空間内のいたるところが光り始めた。その光は線を結び、見た事もない図形や文字を描いてゆく。
大きな十字架。
それをぐるりと囲む長い文章。文字はまったく初めて見る種類のものだ。
円と直線を組み合わせた魔法円のような図形。
それらの隙間を埋め尽くすかのように散りばめられた、無数の記号。
これらが一体どのような意味を持つのか、それは分からない。
だが明滅を繰り返す光の数々は、まるで生物の身体が脈打つかのような活力に満ちていた。
「水晶スクリーン、展開」
「うおっ?」
突然視界がまぶしくなったので勇輝は驚いた。
壁や天井、そして床までがガラスのように透明になり、外の光景が見えるようになる。
自分が宙に浮いているかのような光景に彼はとまどい、そして興奮を覚えた。
「では行きますよ!」
目の前の光景に心を奪われていた勇輝は、一瞬反応が遅れる。
「え、行くってな――」
なに、と言い終わるよりも早く、勇輝の全身に凄まじい重圧が襲いかかった。
「ぐ、うぁ……っ!」
たまらず、見えない床に手とひざをついて四つんばいになる。
それでも重圧は楽にならない。
全身の血液が地の底にでも引っ張られているみたいな苦しみ。
「大丈夫ですか?」
すぐ近くに居るはずのランベルトの声がやけに遠く聞こえた。
意識を失いかけている証拠だ。
数秒の後、ようやく重圧から開放された勇輝は、苦しそうに息を吐いた。
「ぶはっ、はあ、はあ、死ぬかと思った……」
激しく息を切らせていた勇輝は、気を抜いたその瞬間、反対に息を詰まらせる事になった。
彼らは空を飛んでいた。
床も壁も透明になっているため、まるで彼ら自身が大空を飛んでいるかのような錯覚におちいる。
目の前には果てしなく広がる大空。
まばゆい陽光に照らされて、雲さえも輝くように美しい。
大地を見下ろせば緑豊かな草原が広がり、その一角で先ほどの騎士と狼の戦いが繰り広げられている。
地上の闘いは、今まさに終幕を迎えようとしていた。
――ギャオオオオオン!
最後の一匹の横腹に騎士の槍が突き刺さる。
狼は大きく首をそらせ、断末魔の苦痛にうめきながら黒い霧となって飛び散った。
『オオオオー!』
敵を全滅させた半人半馬の騎士たちは、それぞれの武器を高らかに掲げて勝どきを上げた。
陽光が彼らを照らし、全身鎧をまぶしく輝かせる。
その様はいかにも勇ましく、そして格好よかった。
「もう大丈夫ですからね」
《プラスチックケースに入ったお人形さん》状態のランベルトが、変わらぬ微笑で勇輝に語りかけてきた。
「とりあえず安全な場所まであなたをお連れします、どうぞご安心ください」
「あ、ありがとうございます」
勇輝は戸惑いながらもお礼を言った。
とりあえず命の危機は去ったらしい。
それはとても嬉しいのだが、それにしても自分の身には何が起こっているのだろうか。
先ほどから全くわけの分からない事ばかり起こっている。
ここはどこだ。
あれは何だ。
一体どうなっているんだ。
記憶喪失にでもなったかのような言葉を、勇輝は繰り返しつぶやいていた。
「心配しなくても大丈夫ですよ。我々は常に正しきものの味方です」
「あ、はい」
彼の力強い言葉に少し安心した勇輝だったが、次の瞬間、彼は本日最大の驚愕に襲われる事になってしまった。
例えるならば、ホラー映画のクライマックスが終わってめでたしめでたし……、と思っていたら最後のドッキリが仕組まれていたという、そんな感じ。
まず思った事は、(うわっすっげえ可愛い娘!)だった。
ひと目で心奪われた勇輝だったが、その『美少女』の正体に気付くとたちまち表情を凍らせてしまう。
ランベルトが包まれているツルツルのプラスチックカバー(?)の表面に、紅い眼をした美少女が映りこんでいる。
勇輝が映っているはずのそこに、彼女は映っているのだ。
彼女の紅の瞳は、まるで宝石のように美しかった。
次に目に留まったのは背中まで伸びたサラサラの金髪。
そして肌は透き通るように白く、ニキビどころかホクロさえもなさそう。
まさに絵本から飛び出してきたお姫様のような美少女ぶりだ。
しかしせっかくの美貌も、いささかセンスのない服装によって大幅に魅力を損なっていた。
少女はなぜか勇輝と全く同じ学生服を着ている。
彼女は引きつった表情で勇輝を見つめていた。
まるで鏡に映った自分の姿を見るかのように。
(おい、アンタ何をそんなに驚いているんだい、どうしてそんな所に居るんだい)
凄まじく不吉な想像が勇輝の脳裏をよぎる。
だがそんな馬鹿な。
認められない。
認めたくない。
極度の不安を胸に潜ませつつ、鏡面のようにツルツルとした保護壁に手を当ててみる。
目の前の美少女の手が、ピッタリと重なり合った。
ああ、なんて繊細な指先だろう。なんでそんなものが『自分の手に生えている』のだろう。
「……ねえ、ランベルトさん」
「はい?」
「俺の姿を見て、どう思う?」
質問しながら勇輝は、妖怪口裂け女の気持ちが少し分かったような気がした。
暗い夜道で待ち伏せして『ねえ、私ってキレイ?』と聞いてくるという、アレだ。
「どうって」
鷹の操縦に専念していたランベルトは、勇輝の顔をまじまじと見つめて、こう言った。
「とてもお綺麗ですよ」
「ノオオオオオオーッ!」
ガッタン、ゴットン!
勇輝はパニックを起こしてランベルトをケースごと揺らし始めた。
「ちょ、ちょっとやめてください!」
「なんなんだ、これはいったいどういうことだああ!」
「危ないです! 墜落しちゃいますから、とにかく落ち着いて!」
「そりゃ俺だって美人は好きだ! でもこういう意味じゃねえんだよお!」
「う、うわーっ!」
二人を乗せた銀色の鷹が右に左にフラフラ揺れる。
まるで酔っ払い運転だ。
「俺どうすりゃいいんだよ、これじゃ家に帰れないじゃん!」
ガタン、ゴトン、ドスン!
一人で訳の分からない事を叫びながら暴れる勇輝。
ガタガタ揺すられるランベルトこそいい災難であった。
まさか救助した少女から暴行をうけるとは思わなかっただろう。
「う、うわ、うわぁ! いい子だからやめてください、本当に墜落します!」
「女あつかいするなー!」
「落ちる、落ちるーッ!」
結局、このバカ騒ぎは勇輝が疲れて沈黙するまで続いた。
その間ついに墜落する事なく空を飛び続けたランベルトの技量は賞賛に値するだろう。
彼の技術がほんのわずかでも未熟であったなら、二人仲良くあの世行きだったに違いない。
少し気分を落ち着けた勇輝は、まだ荒い呼吸を整えながら自分の股間を確認する。
…………ない。
その『喪失感』に、ガクリとひざをついた。
「は、はは、俺いったいどうなっちまったんだろう……?」
ここはどこ?
私は誰?
このセリフは記憶喪失になった者が使う言葉のはずだ。
だが今の勇輝にこれ以上ふさわしいセリフがあるだろうか。
自分がどこに居るのか分からない。
何でこんな姿になってしまったのかも分からない。
相沢勇輝、十五歳。
公立高校に通うごく平凡な男子高校生。
彼はこうして突然、見知らぬ世界で絶世の美少女になってしまったのだった。