第三十四話 声なき悲鳴、魔女の暗闇
クリムゾンセラフは二本の刀を交差させて、どうにかその一撃を受け止めた。
ギリッ、ギリッ、ギギギ……!
おたがいの刃が軋む。
機兵のスクリーンを通して、紅い眼の少女と青い眼の女はにらみ合った。
『お前はそんなに人間が嫌いか!
こんなに死なせてまだ足りねえってのか!』
『命の数など問題ではありません、汚れはすべて洗い流さなくてはいけないのです!』
『テメエだって大して奇麗な人間じゃねえだろうが!』
ギャリッ!
左右の刀で力まかせに押し返して、勇輝は怒鳴った。
『お前らの正義は誰も幸せにしない!
お前の仲間は全員自殺したぞ。全員だ!
味方まで死なせるようなイカレ野郎どもが「汚れ」だと!?
死体の山の上で一人勝ち誇って、それが一体何になる!』
『それは子供の理屈です。
犠牲のない戦いなど有りえませんし、戦いのない勝利もまた有りえない。
そもそも彼らは殉教者です。
魂は天に召され至上の幸福に満たされるのですよ』
『そんな奇麗事の方が、よっぽど偽善だ!』
クリムゾンセラフの刀が敵に突き出される。
だがベアータの機兵はまたも姿を消し、今度は真横に現れた。
『あなたは女狐たちに洗脳されているだけです。
もっと世界の有様を知れば、私たちの正しさも分かろうというもの!』
《ドゥリンダナ》が剣を上段に構える。
勇輝はとっさに刀で頭部をガード。
しかし剣はフェイントだった。
鋭い回し蹴りがガラ空きの胴体を直撃する。
『グエッ!』
勇輝は吐き気にたえながら後退する。
先ほど、生身での戦いは完敗だった。
クリムゾンセラフに乗っていても防戦一方。
実力差は明白だ。
気合でどうこうできるレベルじゃない。
『一部の者が大金持ちであり続けるために、それ以外の者が犠牲になるこの世の中をどう思います?』
ベアータは見下した表情で勇輝に問いかける。
『弱者の罪は微罪でも容赦なく裁くのに、権力者の大罪は裁かれないのはどう思います?
身分、家柄、性別、外見、年齢、財産、経歴、実績と果てしなく比較をくり返し、劣等感と優越感の狭間で生きねばならない世相をどう思います?
《人間はみな平等だ》などと言っておきながら、生まれた環境によって一生埋まらない差がついてしまっている現実をどう思います?
こんな腐った世の中は一度完全に壊してしまうべきだと、そうは思いませんか?』
『……だからって顔も名前も知らない人を殺す理由にはならない』
よろめきながら、それでも紅の天使は戦うことをあきらめない。
『人というものはどんな人物でも多少の罪悪を負っているもの。
この世を完全に白く美しくする過程においてその命が失われたところで、それは因果応報というもの!』
《ドゥリンダナ》は十分な助走をつけて斬撃を見舞ってきた。
ガキイィンン……!
強烈な一撃だった。
片方の刀が、音を立てて根元から折れてしまう。
『そんな勝手な理屈!』
勇輝は折れたほうの刀を柄ごと投げつけたが、それは瞬間移動で回避される。
直後、《ドゥリンダナ》が至近距離に出現した。
『世の中全てに立ち向かうためには、大いなる決断が必要不可欠なのです!』
地面すれすれから伸び上がってくる下段からの一撃が、天使の左手首を切り飛ばした。
『ウワアアアア!』
悲鳴を上げて飛びのく勇輝。
だが片方の翼を消失していたためバランスを崩し、無様に地面へ墜落してしまう。
ドズウウウン……!
『見苦しい、技も思想も半人前。
聖女などとおだてられていても、しょせんは小娘ね』
見下しながら歩み寄ってくるベアータ。
絶体絶命の危機にありながら、勇輝の紅い瞳はまだ輝きを失っていなかった。
『それでも俺は、お前から目をそらしちゃいないぞ』
『……何ですそれは?』
言葉の意味が分からず問い返すベアータを、勇輝は真っ直ぐに見つめる。
『《誰に対してもまっすぐ顔向けできるように、正直に生きれ》。
俺のばあちゃんの口癖だ』
『それが何か?』
『お前は、世の中すべてから目ぇそらして生きてんだ。
だからそんなイカれた思い込みに染まっちまってんだ』
『どうせなら、もっとましなことを言ってごらんなさい!』
次々とくり出される連撃を、勇輝は辛うじて受け続けた。
両者の武器がぶつかり合い、激しい火花が散る。
『本当にこの世は下らない人間ばかりか!』
火花散る戦いと同じくらいの激しさで、勇輝は叫ぶ。
『どうせこの国ぜんぶを確認したって話じゃねえんだろ!?
家族や仲間とのちょっとした付き合いを楽しいと思った事は無いのか!?
人殺しばっかしてる生き方をおかしいと思わねえのか!?』
『お黙りなさい』
『お前は本気で世の中と向きあってねえんだ。
考えるのがイヤになったから逃げたんだ。
だから全部ぶっ壊せなんて雑な考えになるんだよ!』
『黙りなさい!』
勇輝の言葉に思うところがあったのか、冷静さをうしなうベアータ。
彼女の攻めが単調になった一瞬のスキをついて、クリムゾンセラフはドゥリンダナの右腕に斬りつけた。
『アアッ!』
悲鳴を上げるベアータに、続けて横なぎの斬撃を見舞った。
しかしそれは瞬間移動で回避されてしまう。
だが初めてベアータに一撃入れる事ができた。
しかも傷つけたのは利き腕だ。
少しだけ、勝機が見えてきたように思えた。
『おのれ偽善を語る魔女め、きいた風な言葉で私を惑わせるつもりか!』
ケッ、と勇輝はのどを鳴らした。
『魔女だ聖女だとみんな好き勝手に言いやがる。
俺は俺だ、相沢勇輝だ。
「俺」が「お前」に向かって言ってんだ。
都合のいい言葉で誤魔化すんじゃねえ!』
『うるさい!』
怒りの一撃を刀で受け流す。
その瞬間、不意に妙な映像が脳裏に浮かび上がった。
青い瞳をした黒髪の少女が、黒い僧服をまとった中年男性に押し倒されていた。
――きゃっ、神父さま、なにをするんですか?
『な、なんだ?』
何の脈絡も無く唐突に浮かび上がった映像のせいで、勇輝は反撃のチャンスを無駄にした。
その隙にベアータが苛烈な斬撃をくり出してくる。
『家族ですって? そんなもの私には必要ない!』
少女の粗末な衣服が引き裂かれる。
――イヤ! やめて、誰か助けて!
『この世界には下らない人間しかいない、汚れた人間しかいない!』
乱暴な、だが激しい気迫のこもった刃に接触するたびに、パズルのピースのような記憶の断片が伝わってくる。
その情景が少しずつ明確になっていく。
これはベアータの魂が発する激情の、はるかな深層に宿った記憶。
それを勇輝は図らずも感じ取っているのだ。
――大人しくしろアニータ、お前を買うのにいくらかかったと思っているんだ!
――か、買うって、そんな、そんな……!
少女は貧民街にある孤児院で暮らす、身寄りのない孤児であった。
ある日裕福そうな神父が孤児院を訪れて、このアニータという少女のことをいたく気に入ってくれたのだ。
神父は少女との出会いをとても喜んでいた。
孤児院の院長先生もとても喜んでいた。
二人が喜んでいた本当の理由を、アニータは今になってようやく理解した。
人身売買。
商品は、自分。
――ヒイイイイイッ!
とてつもない嫌悪感に耐えかねて暴れるアニータ。
めちゃくちゃに振り回した手が、たまたま神父の顔を傷つけた。
――この!
神父は乙女の顔面を容赦なく殴った。殴り続けた。
――誰か、誰か……。
少女は誰かに助けを求めた。
しかし誰も助けてくれなかった。
そうこうしているうちに邪悪な者は魔の手をのばしてくる。
――何か、何か……。
次に少女は何か助けになる物を探した。
あお向けにされた状態で、手探りで、何かを探す。
何かが、コツンと指先に当たった。
――さあアニータ!
邪悪なる者は両眼を血走らせ、少女に顔を近づけてきた。
――イヤーッ!
少女は偶然つかんだ物体を、邪悪な者の顔面に突き立てた。
それは十字架だった。
なぜそんなものが床に転がっていたのか分からない。
二人が争っている間に、机か何かから落ちたのだろうか。
それともこの神父が十字架を粗末にあつかうほどの不信心者だったのか。
どちらでもいい。どちらにせよ、少女はそれで救われた。
いや救われたと表現してもよいものかどうか、分からないが……。
――ギャアーッ!
必死の思いで叩きつけた十字架は、邪悪な者の眼球に突き刺さった。
相手はそのままひっくり返り、状況が逆転する。
この時、逃げるという選択肢もあった。
だが少女が選んだ道は違った。
激しい怒りと憎しみが、少女の運命を決めた。
何度も、何度も、少女は十字架で刺した。殴った。引っかいた。
相手は何かを叫んでいたような気がする。
だがそんなもの知ったことか。
こんな邪悪な化け物を、許せるわけがない!
やがて相手は動かなくなった。
何の反応もなくなったのに気づいて、アニータもようやく手を止める。
手を止めてから、泣いた。
血まみれの手で何度も涙をぬぐい、枯れるまで泣き続けた。
それが彼女にとって、はじめての犯罪。
はじめての殺人だった。





