最期の笑顔
決着したその日から数日後。
もはや精魂尽きた聖騎士たちの目の前に『白い風景』が広がる。
緑広がる大自然の中、光り輝くその『白』こそ彼らの原風景。
故郷の色。
「せ、聖都だ……」
「帰ってきた、俺たちは帰ってきたぞ!」
男たちは泣いた。
死に直面しても泣かなかった男たちが、子供のように泣いた。
聖騎士団遠征部隊の帰還である。
北門から続々と傷ついた部隊が入ってくるのを見て、初め民衆はいぶかしげな表情を見せた。
前回の大敗北のときも、同じようにこの北門から帰って来たのだ。
しかし今度の聖騎士たちは泣きながら笑顔を見せた。
大喜びで自分たちが守りぬいた民衆に手をふっている。
民衆の不安は、歓喜にかわった。
ズシーン……。ズシーン……。ズシーン……。
閑静な高級住宅街に無粋な振動と重低音が鳴り響く。
住民たちが何事かと表に顔を出してみれば、巨大な守護機兵・天馬騎士が路上を歩いていた。
新品のようにツヤツヤのピカピカである。
聖女が勝手に修理したあとで使う機会が無かったからだ。
「もう少しです団長」
「おう」
言葉少なく、グスターヴォ・バルバーリはゆっくりと機兵の歩を進める。
「久しぶりじゃのォ」
「ははは、ご家族が首を長くしてお待ちでしょう」
この天馬騎士は世にもめずらしい三人乗りの守護機兵である。
二人の部下はグスターヴォをはげますように明るい口調で話しかけている。
「うむ」とか「おお」などと小さな相槌を打つ老将。
返事が来ないこともあった。
「さすがに疲れたのォ」
精気のないうつろな表情でつぶやくのを聞いて、部下たちの表情に緊張感が走った。
「ほ、ほら!
ご自宅が見えてきましたよ!」
「ダリア様もさぞビックリなさることでしょう!」
「………………」
ズシーン……。ズシーン……。ズシーン……。
ゆっくりと天馬騎士は歩きつづけた。
そして我が家の門をくぐる。
「おじい様!」
ちょうど機兵から出たところでタイミングよく孫娘のダリアが飛びだして来た。
機兵の足音が彼女にも聞こえていたのだろう。
「おお……」
子供のように飛びついてくる孫を、グスターヴォはフラフラしながら受け止める。
「勝ったぞ」
「はい!」
ダリアは手を引いて祖父を屋敷の中に招く。
ドアの前には彼の妻と、義理の娘――先立たれた息子の妻が立っていた。
「帰ったぞ」
「はい、お帰りなさいまし」
老いた妻にみちびかれ、老将は中へ。
後ろでひかえていた部下二人も招待された。
「今日はとびっきりの御馳走を作りますからね!」
元気よくそう言って厨房へ駆けてゆく孫娘を見送る三人。
家長であるグスターヴォは、自分専用のソファの上にドカッと乱暴に腰かけた。
「ふぅ……」
力なくため息をつく。
「ダリア様は日に日に美しくなっていかれますな」
「いやまったく。
花が咲きほこるようだとは、まさにこの事」
部下たちの言葉が聞こえているのかいないのか。
グスターヴォは我が家の天井を見つめてつぶやいた。
「守りぬいたぞ」
二人はひと言たりとも聞き逃すまいと、老将を凝視した。
「……ははっ」
「国も、家族も……。
なんだな、終わってみればいつも通りか」
「は、はは、我々を相手にするには、少々もの足りない相手でしたからな」
一人がそう言って笑うのを、もう一人がやめさせた。
「このわしが、まさか自分の家で終わるとはなぁ。
人生とはわからんなぁ。
ふっふっふ、はっはっはっはっはっは……!」
閑静な住宅街だ、笑い声は屋敷中に響きわたる。
ダリアたち家族もこの笑い声をたしかに聞いた。
きっと面白おかしく戦争体験を語りあっているのだろうと、そう思っていた。
そして厨房内でつまらない喧嘩がはじまり、ダリアは祖父のもとへ戻って来る。
「おじい様、今夜はお肉とお魚、どちらがいいですか?
おばあ様ったらお魚がいいって言うんですけど、お祝いなんだからお肉ですよね?」
そう言いながら部屋へ入る。
部屋の中は異様な空気に包まれていた。
――まるで時が止まっているかのようだった。
大口をあけて満面の笑みを浮かべている祖父。
直立不動の姿勢で祖父に敬礼している部下二人。
祖父は口をあけて笑っている、それなのに声が出ていなかった。
部下二人はそんな祖父を微動だにせず見つめている。
「……?」
異様な雰囲気に困惑するダリア。
部下の一人がようやく口を開いた。
「……はじめから、無茶な戦いなのは分かりきっていたのです。
学園で聖女様に敗れた次の日、すでに引退を口になさっていた御方なのです」
部下二人は敬礼したまま両目から大粒の涙をあふれさせる。
グスターヴォは笑顔のまま息を引き取っていた。
「……!?」
まだ現実が受け入れられず、ただガタガタとふるえるダリア。
無理もない、ついさっき大きな笑い声が聞こえたのだ。
あれが最期の瞬間だったなんて誰が想像できる。
「お爺様は誰よりも過酷な場所で勇敢に戦われました。
誰にも真似できないことをやり続けるお爺様のお姿をみて、周囲の誰もが「この人は特別なのだ」と勘違いしていました。
しかしそんなはずがないのです。
団長は、聖女様とは違う……!」
あふれる涙をぬぐい、一人はそれ以上話せなくなった。
「グスッ、ヒック、とっくの昔に限界だったんですよ!
団長は死ぬつもりだった!
捨て石になる覚悟だったんです!
俺たちも死ぬつもりだった、一緒に死にたかった!」
それでも不思議と三人は生き残ってしまった。
グスターヴォは最期の最期の力をふり絞ってこの屋敷へ、家族のもとへ帰って来たのである。
「…………」
ダリアは祖父の亡骸へゆっくり近づく。
頬にそっと手で触れてみると、まだほのかに温かい。
まるでよく似た別人を見ているような気分だった。
「……こんなに、お年寄りだったなんて」
いつもギラギラ眼を輝かせ、大声で部下に怒鳴り、野獣の形相で悪魔と戦っていた祖父。
しかしピクリとも動かなくなった祖父の顔は頬がやせこけ、肌つやも悪い。
いつでもどこでも気丈に振る舞ってごまかしていたが、その魂が抜け落ちた今はまさに老人そのものであった。
「お、お疲れ様でしたおじい様……!」
ダリアの瞳からも涙があふれ出した。
「家族を呼んできます!」
どうにかそれだけ言うと部屋を飛び出していく。
室内は再び時が止まったかのような光景になった。
グスターヴォ・バルバーリ。享年62歳。
戦死以外にふさわしい死に方などないと言われた闘将の最期は、満面の笑顔であった。





