第三十三話 黒き魔女、再び
蠅型の撃破に成功したという吉報に、軍司令部は歓声に満ちあふれた。
『三人ともご苦労様でした。ユウキさんのお加減はいかがですか』
『はっ、意識ははっきりしていますが、体力はほぼ限界です。
充分な休息が必要かと』
『あらあらそれは大変、次の作戦行動の件も相談したいので、すぐ本部に帰投してください』
『はっ』
『住民の避難も順調に進んでおります、今しばらくの苦労ですよ』
『はっ、それは何よりです』
会話に参加する気力もなく、勇輝は二人の通信を黙って聞いていた。
今、三人は運良く無事残っていた公園を発見し、そこでわずかな休息をとっている。
勇輝の疲労はまだ完全には癒えていない。
広場の真ん中に機兵を座らせて、ようやく一息つけたという有様だった。
『大丈夫ですか?』
心配そうなクラリーチェの声に、勇輝は力なく答える。
『うん、だいぶマシになってきたよ、ごめんね』
『謝ったりしないで下さい、あなたがいなかったら、聖都は今頃……』
無数の蟲が街を破壊する光景を想像したのだろう。
画面上の彼女は青い顔で身ぶるいしていた。
『大丈夫だ、あとは俺が全部終わらせるから』
勇輝はあらためて決意表明をして、クリムゾンセラフを立ち上がらせた。
だがまだ多少、機体がふらついてしまう。
『おっとっと!』
『いけません、まだ無理をしては!』
『でも帰って来いって命令だろ。
大丈夫、けっこう休んだから自分で空を飛ぶくらいできるさ』
『まったくあなたという人は、回復力も常人の数倍ですか』
感心しているのか呆れているのか、ランベルトが苦笑している。
『へっへっへ……えっ?』
勇輝は驚きのあまり硬直した。
ランベルトが乗っている《銀の鷹》の真後ろに、まったく何の前触れもなく、剣を握りしめた大きな影が現れたのだ。
影は、片手上段に剣を振りかぶった。
『あっ、あぶ……』
『どうかしまし……グアッ!』
一瞬の出来事だった。
どうしようもなかった。
突如現れた大きな黒い影は、黒光りする片手剣を振りおろして《銀の鷹》の首を一撃で斬り飛ばしてしまったのだ。
ドサッ、と音を立ててランベルトの《銀の鷹》は倒れた。
そのままピクリとも動かない。
『あ、あの、ラ、ランベルト……?』
あまりにも唐突な出来事に混乱して、勇輝は後退りした。
目の前で起こった状況が理解できずに、ただうろたえるばかりだ。
黒い影はそんな勇輝に向けて剣を構える。
そこにいち早く状況を理解したクラリーチェが、機兵を猛然と割り込ませてきた。
『よくも、よくもランベルトを!』
激しい怒りをこめた鋭い鉤爪が猛スピードで影に迫る。
だが、ふたたび不思議なことが起こった。
クラリーチェの攻撃が当たったと思ったその瞬間に、黒い影はその場から姿を消してしまったのである。
素早くよけた、などというものではない。
まったく何の予備動作もなく、完全にその空間から消えてしまったのだ。
『そ、そんな、一体どこに!?』
目標を見失ってとまどうクラリーチェの真上から、黒い影が急降下してきた。
落下による加速をのせた強烈な突きが、《銀の鷹》の頭部を容赦なく貫く。
『う、そ……』
『クラリーチェ!』
勇輝の叫びが夜空にこだまする。
クラリーチェからの返事は、なかった。
『フフフフ、まだちゃんと生きているはずですよ。
死んだら人質にはなりませんからね』
剣を引き抜いた影が、ゆっくりと近づいてくる。
火災の炎がその姿を照らし出した。
黒い影に見えていたのは、極限まで軽量化がほどこされた漆黒の人型機兵だった。
手には機体と同じく漆黒に塗られた片手剣。
どことなく暗殺者を思わせる姿だ。
そしてその暗殺者の中に乗っていたのは、見覚えのある女だった。
『私は執念深い女なので、しっかり復讐させていただきました』
勇輝は驚きのあまりさらに後ろへ下がった。
『そ、そんな、お前は死んだはずじゃ!』
『でもこうして生きているのですから、世の中はわからないものですねえ?』
クリムゾンセラフ内部の水晶スクリーン上に姿を現したのは、青く冷たい眼をした黒髪の女。
自爆して死んだはずの黒い魔女、ベアータだった。
『あんな状況で、一体どうして!』
『目の前で二回も見たくせに、まだ分かりませんか?』
ベアータは黒い機兵を少し前傾姿勢にすると、再び姿を消した。
『ど、どこへ行った!』
勇輝は刀を構えて周囲を見回す、だが見つからない。
右にも、左にも、上にも。
どこにもいない。
どんなに素早い動きだったとしても、離れた間合いから見失うなんてあり得ないはずなのに。
『私の特技は、瞬間移動なのですよ』
耳元で囁かれたその声には、背筋が凍りそうなほど恐ろしい殺意がこめられていた。
首を斬られる!
そう予感した勇輝はとっさに地面に転がろうと判断し、機体を大きく前傾させる。
その刹那、背中に激痛が走った。
『あ……が……っ!』
痛みで喉がつまって、悲鳴すらまともに出せない。
辛うじて首をまもった代償として、クリムゾンセラフは右の翼を根元から切断されていた。
『ぐ、うううううっ!』
痛い。とてつもなく痛い。
機兵のダメージが搭乗者にの感覚に還元される。
これは機兵と搭乗者が真に一体化しているという証だが、いまはとても歓迎できる話ではない。
『あら、外してしまいました。ですがもう逃げる事は出来なくなりましたね』
『誰が、逃げるかよっ』
気絶しそうな痛みに耐え、勇輝は身を起こして左右の刀を構える。
『それは助かります、でも念のため伝えておきましょう』
ベアータは黒光りする剣の切っ先で、倒れ伏した二羽の《銀の鷹》を指ししめす。
『あなたが逃亡したら、この二人にとどめを刺します。
あなたが私に負けても、三人まとめて殺します。
あなた方が生き残るためには、この私と決闘して勝つしかありません』
氷のように冷たい眼でじっ、と見つめながらベアータは言う。
脅しではない、本気だ。
『なんでだ、どうしてそこまで俺たちにこだわる。
その瞬間移動を使えば余裕で逃げられたんじゃないのか!』
ベアータは黒い長髪をかきわけると、眼をほそめてこう言った。
『今後どうなるかを予想したのですよ。
聖都を失った偽りの聖職者たちは、己の権力を維持するための汚い行動にうつるでしょう。
それはつまり、あなたを正式に聖女としてまつり上げ、政治支配の旗頭にするという事です。
それは我々にとって少々都合が悪い』
敵の言葉ながら、確かにありえそうな話ではあった。
絶望に打ちひしがれた人々を励ますためには、何か明確な希望の象徴が必要だ。
英雄や聖女といった分かりやすくて頼れる存在がいれば、人々は再び立ち上がれるだろう。
『だからあえて引き返し、あなたを殺す機会をうかがっていたというわけです。
この《不滅の刃》を用意して!』
黒い機兵が片手剣を振り上げ、クリムゾンセラフにせまる!





