第三十二話 いっしょうけんめい心をこめて作りました♡(致死性の罠を)
『……フ、蠅型のよう、ですね。
あんな大群は、生まれて初めてだ』
ランベルトの声までひどくふるえている。
生身で悪魔に挑めるほど勇敢な彼でさえも、あまりの数に動揺を抑えきれないようだった。
現在聖都に侵入している悪魔の数はおよそ二千から三千。
今でさえかなり厳しい戦況だというのに、同じくらいの敵が目前に迫ってきているというのだ。
あんな大群に側面を衝かれたら、間違いなく味方は総崩れになる。
『本部、応答願います!』
すかさずランベルトがヴァレリアに報告。
映像を確認したヴァレリアは、沈痛な面持ちで目を閉じた。
『これは……聖都を放棄して民衆を逃がすほか無さそうですね』
『ええっ!?』
その速すぎる結論に勇輝はあわてて反発した。
『待って下さい、あともう少しで聖都が救えるんですよ!』
『残念ですが、あきらかに時間が足りません。
そして現在の戦力であの大群を押し留め、時間をかせぐ事も不可能と思われますね」
二千やそこらの敵でさえも抑えきれていないのだ、言い返す余地は無い。
無いが、それでも勇輝は食い下がった。
『もうちょっと考えましょうよ、そんなにアッサリあきらめないで!』
『ユウキさん』
ヴァレリアの表情は、癇癪を起こした娘をなだめるかのように優しく穏やかだった。
『今ならば多くの民衆を逃がす事が出来ます。
時間を遅らせるほどに罪も無い犠牲者は増え、彼らを守る騎士たちも次々と死んでいく事になるでしょう。
決断を遅らせるほど被害は増すばかりですよ、それともあの大群を抑える妙案があるのですか』
聞き分けのない子をさとすようなその丁寧な口調に、返す言葉も思いつかなかった。
何も無いのか、手段は。
『何度目だ、いつもいつもことばっかり……』
つぶやきながら意味もなく周囲を見回して、勇輝は考える。
聖都に来てからこんな無理難題にばかり直面している。
解決できたこともあった。できないこともあった。
今回は?
今回は、無理な方なのか……?
目の前に広がるのは地獄のような光景。
天は暗闇。
地は火炎地獄。
その狭間にはそびえ立つ魔王と、空を飛ぶ悪魔の群れ。
目を閉じ耳を澄ましてみても、聞こえてくるのは魔王の大きな泣き声と悪魔の奇声。
あとはせいぜい建物が崩落する音くらいだ。
『……音?』
勇輝の意識を反映して、クリムゾンセラフが額に手のひらを当てた。
『あいつらは魔王の泣き声に呼び寄せられているんだよな、って事は……』
勇輝の瞳に、輝きが戻った。
『いけるかも知れない、今ならまだ!』
クリムゾンセラフは巨大バエの大群に向かって颯爽と翼をひるがえした。
『ヴァレリア様、少しだけ時間を下さい、俺が時間をかせいでみせます!』
何の説明も無しに突き進むクリムゾンセラフの前を、クラリーチェがさえぎる。
『たった三機であの大群に何が出来るというの!』
『人数は問題じゃない、大事なのは手段なんだ!』
言いながらクリムゾンセラフは《銀の鷹》の下をくぐり抜け、左前方に進路を曲げる。
そのまま加速して直進、直進、直進……。
ついには聖都から出てしまう。
聖都を右後方に、巨大バエの大群を右前方に見る位置だった。
『よっしゃ、やっぱりこの位置だった、ついているぜ!』
嬉しそうな大声を出しながら、クリムゾンセラフが大地に降り立つ。
着陸したのは小高い丘の上だ。
ここは勇輝がこの世界にやってきたあの日に、狼の怪物に襲われた場所だった。
『二人とも、危険だから離れていてくれ!』
二羽の《銀の鷹》を離れさせてから、紅の天使は鋼鉄の両手を丘に突き刺した。
『いったい何をするつもりなの』
『シッ、静かに』
何の説明も受けていない兄と妹は、ただ言われるままに距離をおいて見守るばかりだ。
『頼むぜ大地よ、俺に力を貸してくれ……!』
天使の手から発せられた閃光が、大地に染み渡っていく。
光は急速な勢いで丘の上に広がり、あっという間に全体にいきわたった。
『いっけええええ!』
勇輝の叫びが夜空にこだまする。
その瞬間、勇輝を中心とした一帯に小さな地震が発生した。
光に包まれた丘が激しい地響きを轟かせながら急速に盛り上がっていく。
自然現象ではありえないような鋭い角度だ。
『ウオオリャアアアアッ!』
紅い天使が発する気合の大声がおさまった時、小高い丘だった場所は極端に細長い山となっていた。
『ハア、ハア、次は……』
さすがに息切れを起こしながら、勇輝が最後の細工をほどこす。
細長い山のあちこちから小さな光が噴き出すと、そこに無数の小さな穴が開いた。
そしてその穴々から、魔王の声と瓜二つの悲しそうな泣き声があふれ出してくる。
――オオオオオオオオ……。オオオオオオオオ……。
『これで、よし』
フラフラと頼りない動きで、クリムゾンセラフは山の頂上から飛び立った。
暗闇のかなたからブブブブ……、という無数の羽音が接近して来ている。
巨大バエの大群がこちらの泣き声に反応して進路を曲げてきたのだ。
――ブブブブブブブブ……!
ーーブブブブブヴァヴァヴァヴァヴァブオオオオオオン……!
一匹ならどうということもない羽音だっただろう。
だが数千倍ともなるとその音だけで十分な圧力、恐怖の対象だった。
もはや固形物質にも感じられる超密度の音の壁は、勇輝が作った異形の山を取り囲み、魔境ともいえる空間と化した。
もしなにもせずにボーっと待っていたとしたら、この数の暴力が聖都を直撃して人間を殺していたのだ……!
『やった、ぜ……』
『危ない!』
突然クリムゾンセラフの翼が力を失って急降下した。
地面に向かってまっすぐ落ちていく機体を、間一髪のところでランベルトが拾い上げる。
『意識をしっかり持って、私の声が聞こえますか!?』
『ハア、ハア、聞こえている、よ……』
いつの間にか勇輝の全身がぐっしょりと冷や汗でぬれていた。
極度の疲労のせいで、いつまでたっても呼吸が整わない。
『へへ、スピーカー作戦、せい、こう……』
『無理にしゃべらないで下さい、あなたは力の使いすぎで意識を失いかけたんですよ!』
心配そうにわめくランベルトのかたわらで、クラリーチェが驚きの声をあげた。
『すごい、蠅型の群れが、みんなあの山に集まっているわ!』
クラリーチェの言葉通り、数千匹もの巨大バエがあの尖った山に吸い寄せられていた。
それでもなお山は大きな泣き声を上げ続け、近くにいた他の悪魔まで呼び寄せている。
『……あれは、魔王の声を録音して再生する、レコーダー兼スピーカーなんだ。
本体よりも近い場所で同じ大声を聞けば、そっちに向かって来るはずだろ? だから……』
『分かりました、もう十分に分かりましたから、それ以上しゃべらないで!』
『まだ、だよ』
ひどく弱々しい声を出しながら、クリムゾンセラフは右手をグッと握る。
瞬間、悪魔を吸いよせた山が、まばゆい光をはなち大爆発した。
ッゴオオオオオオオオオオオオン……!!!
『キャーッ!』
『うおっ!?』
爆風にあおられて二羽の鷹から悲鳴があがる。
閃光は、先日一つ目の巨人を殴り斃した時の、聖女の光だった。
山に群がっていたハエの大群は閃光に引き裂かれ粉々に消し飛び、悪魔が滅びた時に出す黒い霧を盛大にぶちまけた。
『へへ……、山の内側には、ちゃんと爆弾を仕掛けておいたんだ。特盛で』
『先に言いなさいよそういう事は!』
クラリーチェに本気で怒られてしまった。
ともあれ目の前の危機は回避できたようだ。
消耗し空を飛ぶ力も失ったクリムゾンセラフは、仲間に抱えられて聖都の内部へと引き返していった。





