第三十話 そして本当の地獄がはじまる
「う、嘘だろ、自爆……なんて……」
二人のおかげで無傷でいられた勇輝は、眼前に広がる惨状を見て呆然としていた。
かける言葉も思いつかないのか、ランベルトたちは何も語らず、咳きこむ主の介抱を行っている。
「う、うわああああ!」
屋外から騎士の悲鳴が上がった。
「今度は何だよ!」
砕けて廃墟のようになっていた窓辺からのぞくと、ロープで縛られた男たちがぐったりと倒れて動かなくなっていた。
「こいつら自決したぞ、奥歯に毒を仕込んでいたんだ!」
「なんだと!」
地上は騒然となっていた。
十人以上いた殺し屋たちが、全員自殺したというのだ。
「いやああああっ!」
すぐ後ろで悲鳴を聞いて勇輝は振り返る。
部屋のすみでへたり込んでいたジゼルが、突然我を忘れて叫びだしたのだ。
「もういや、もういや、旦那さまー!」
ジゼルは泣き叫びながら部屋を飛び出した。
「おっ、おい、うかつに動くと危ないぞ!」
勇輝たちは彼女を追って走った。
ジゼルは迷う事なく上の階へと走り続けている、どこか目的地があって走っている様子だ。
そして彼女はこれまで見た中で一番豪華な扉を開いて飛び込んでいく。
……数秒の後、扉の奥から悲痛な叫び声があがった。
「だ、旦那さまぁ!」
勇輝たちが追いつくと、そこにはおびただしく広がる鮮血の中で倒れていたデル・ピエーロ卿と、彼にすがりついて泣くジゼルの姿が。
「どうして、どうして!」
身体が血で汚れる事も忘れて、ジゼルは泣き叫ぶ。
「悪い事をしたからですか、悔いあらためなかったからですか、だからこんな死にかたをしな
きゃいけないんですか神さま!」
死骸に顔をうずめながら、彼女は訴え続ける。
「優しい人だったのに。
泣き虫だった私をひろって育ててくれた人なんです。
学校にいれてくれて、仕事もくれて、ずっとそばにいろって言ってくれた人なんです。
それなのに、それなのに」
ジゼルはデル・ピエーロ卿のことを呼び続けた。
もはや返事をすることも無くなってしまった彼に呼びかける言葉は、『猊下』でも『旦那様』でもなく。
「お父さん、お父さあん……!」
それ以上は言葉にならず、彼女はただ泣きながら父と呼び続けていた。
「悲しい事ですね」
いつの間に追いついていたのか、後ろに立っていたヴァレリアがつぶやいた。
「家では良き父親でも、外で良き為政者とは限らない。
本当に悲しい事です」
祈りをささげる彼女に、勇輝はどうにか怒りをおさえながら質問した。
「あのベアータたちはいったい何なんです。
正義の味方みたいな事ばかり言ってやがりましたが、やっている事は単なる人殺しじゃありませんか!」
「……おそらくは呪われし異端者たちと呼ばれる者たちでしょう」
「何ですかそりゃ、カルトな宗教団体ですか」
「いえ、特定の団体を指す言葉ではありません。
教会の堕落と腐敗を叫び世直しを訴える、一種の思想活動家全般を指す言葉です。
今回の様に口で正義を語りながら民衆まで巻き込む、武装犯罪組織となる場合もあります」
「ああ、俺の国にもそんな奴らが居たそうですよ、正義を語る人殺し集団がね!」
毒づく勇輝の横から、クラリーチェが口をはさんだ。
「あの者たちの言い分にも一理あるわ。
私利私欲のために善良な民衆を食い物にする悪人は数知れず、法の下にいくら裁いても次から次へと……」
「だからって、こんなやり方が認められるかよ!」
泣き続けるジゼルの姿を見つめながら勇輝は叫んだ。
その紅い眼に涙が浮かんでいる。
「無関係の人を巻き込んで、敵を殺して、自分も死んで、仲間まで死なせて……。
こんなデタラメなものが正義であってたまるか! 喜ぶ神様がいてたまるか!」
涙をこぼしながら、勇輝は天に向かって叫ぶ。
「どうしてこんな大事な事を黙っていやがった!」
数秒の間をおいて、勇輝は腹立ちまぎれに壁を殴りつけた。
それ以上彼女を刺激しないように、ランベルトがそっとたずねる。
「……上は、何と言っておられるのです?」
「いびつな教義で曲がった魂は、ひどく見えにくいから分からねえんだとよ!」
勇輝が黙ると重い沈黙が室内を支配した。
物悲しい魔王の泣き声だけが周囲に響きわたる。
「あの巨大な化け物が何なのか、分かりませんか」
クラリーチェの問いに、勇輝は上を向きながら答えた。
「……あれは魔王という名だって言っている。
この聖都が出来てから千年間、ずっと溜め込まれた悲しみや苦しみの集合体だって」
言いたい事を言って少しは気がまぎれたのか、勇輝の声は多少冷静さを取り戻していた。
彼女の説明を受けて、誰に言うともなくヴァレリアがぽつりとつぶやく。
「山のように巨大で大きな声を出す魔王ですか。
まあまあ、聖エウフェーミアの――紅瞳の聖女の伝説に出てくる魔王に、よく似ていますね」
ごく自然と一人の少女に視線が集まっていた。
紅い眼を持ち、聖女のクローンを自称する天才少女に。
「あー、つまり皆はこう言いたいわけだ。
俺はあの魔王を倒すためにこの世に送られてきたのではないかと。
……あん? なんだって?」
勇輝は天を向いて聞き直した。
さすがに慣れてきたので誰もその態度を奇妙だと思わない。
……が。
「……はあ?」
彼女が目をむいて驚いているのを見て、さすがに全員が不安そうな顔になった。
「みんな、天使たちが何か変なこと言っている」
皆はその言葉に耳を傾け、そして同時に眉をひそめた。
「俺の役目はあの魔王を『倒す』事じゃない、『救う』事だって」
誰もがその言葉に首をひねった。
「救う、ですか、悪魔の王を」
「うん、あいつは敵じゃないって……」
聞き返したランベルトも、答えた勇輝も、どちらも腑に落ちない様子だった。
この大地震は奴が飛び出してきたから起こったものだ。
そしてあのベアータたちが狙って呼び出したものだ。
そんな奴が、敵ではないのだという。
『猊下、猊下ぁ、出てきて下さい! 緊急事態ですぜ!』
屋外で待機していたリカルドが、突然、緊張感をはらんだ声でヴァレリアを呼ぶ。
何事かと皆が窓辺に向かうと、その上空を巨大な影が横切った。
「カラス……? いや、異様にでかいぞ、何だあれ!」
「悪魔、鴉型!」
勇輝の疑問に答えたのは一体誰の声だったか。
そんな疑問も吹き飛ぶような異常事態が目の前に広がっていた。
空を飛んでいるのは鴉だけではなかった。
様々な怪鳥が。
醜悪な昆虫が。
牙を生やした蝙蝠が。
羽の生えた蛇などの異形の生物が。
あらゆる悪魔があの泣き声に誘われて、同じ方角へと飛んで行く。
その数は一体どれほどになるのか、とても数え切れないほどの大群だった。
『ええい面倒くせえ、直接聞いてくださいよ!』
音声切り替えでも行ったのか、リカルドの機兵から何人もの声が響いてくる。
『報告! 北門に蜥蜴型が接近、その数およそ百、至急の援軍を要請します!』
『こちら東門、第三騎士団! 地震のせいで壁が崩壊! 悪魔に侵入されました、現状の戦力で撃退するのは困難です!』
『地震による火災が広がっています、あちこちから救助要請が来ていますが、とても手が足りません!』
『中央、応答願います! 飛行タイプの悪魔に次々と突破されています! 威嚇牽制の効果が全くありません! 何匹撃墜してもお構いなしに突っ込んできます、止められません!』
誰もが絶望的な声で叫んでいた。
魔王の噴出によって起こった大地震は都市の機能をマヒさせ、大規模な火災を巻き起こした。
そしてそれに呼応するかのようなタイミングで四方八方から悪魔の大群が殺到。
ベアータたちと争っていた小一時間ほどの間に、聖都は尋常ならざる危機を迎えていたのだ。
「地の底から魔王がやってきて、悪魔を呼び寄せ街を奪う。昔話の通りですね」
スカートのすそを翻してヴァレリアが歩き出した。
「軍本部に参ります。まさかこの状況で私たちを脱走犯扱いする方もいないでしょう」
彼女の部下たちは「了解!」と声をそろえる。
ただ一人、紅眼の少女をのぞいて。
「待ってください、どうするつもりです」
歩きながらヴァレリアは答える。
「民衆の避難誘導、悪魔の撃退、いざという時の避難路の確保、大急ぎで対処しなくてはならない問題が、山のようにありますね」
「それじゃダメだ」
確信をこめて勇輝は断言した。
「そんな方法じゃこの国は滅びる。魔王に引き寄せられてくる化け物の数は、まだまだこんなもんじゃないんだ!」
「……ではどういたしましょう」
さすがのヴァレリアにも、あらあらと言ってとぼけている余裕はないようだ。
道をふさぐ勇輝のことを能面のような表情でにらんでいる。
勇輝はひじを上げて天を指差し、顔は真っ直ぐにヴァレリアを見つめる。
「あいつらの言葉を伝えます。
あなたと俺が出会ったのは偶然なんかじゃないそうです。
全部上の奴らが計画した作戦だったんだ。
この聖都を救うためには俺とヴァレリア様が力を合わせなければいけないそうです。
権力者と聖女、両方の力が必要だと、そう言っています」
「そうでしたか。では具体的にどうすればよいのでしょう」
ヴァレリアはこれほどの緊急事態でも慌てた様子を見せない。
つとめて冷静に事態に向き合おうとしている。
これが政治家というものか。
「この聖都を守りたいならこれしかないと、そう言っています。
この案を使わないのなら、今すぐ全員でこの聖都から逃げるべきだ、二つに一つだ、と」
ヴァレリアは黙ってうなずき指先で眼鏡を直した。
「お聞かせ願いましょう」





