みずからを助けなさい。そうすれば天が君を助けるだろう
「か、勝ったか……!」
「はい!」
教皇イナケンティス四世は執務室で秘書官から戦勝報告を聞かされて脱力し、あやうくイスからすべり落ちそうになった。
「聖下!?」
「いや、大丈夫。
大事ない」
ちょっと魂が抜けかけたが、こんな理由で死んだら世界の笑いものだ。
気をたしかにもって、姿勢を正した。
「いやしかし良くやってくれた。
聖女殿はまさに救国の聖女だ」
「はい」
「良くやってくれた……!」
わずか15歳の、それもずいぶん軽薄そうな少女に国家の命運をあずける。
ヴァレリアのそんな提案を聞かされた時はさすがにどうかと思ったが、聖女は見事に役目をはたしてくれた。
「しかし、おそれながら聖下」
「うん?」
秘書官は視線を横にそらしながら後ろ暗いことを小声で口にした。
「これでいよいよベルモンド枢機卿の権勢がおさえきれないものになってしまうやも知れません」
「ああ、まあそうだね」
イナケンティス四世はもうあきらめたような顔で肯定する。
一度はヴァレリア・ベルモンドを軍務長官の座から外したものの、調子が良かったのは初めの頃だけ。
北伐の大失敗、さらにリグーリアから宣戦布告をうけても、新政府はアタフタすることしかできなかった。
結局ヴァレリアに泣きついて軍務長官に復任してもらうことに。
そしてヴァレリアは聖女を使って見事に問題を解決してみせた。
つまりヴァレリアは教皇より頼りになると、誰の目にもあきらかに証明されたのだ。
人類史上初の女性教皇誕生までの道筋が、ハッキリ出来あがったと言っていいだろう。
今回の大事件は、彼女にとってむしろ幸運だった。
はやくも『先代』長官になってしまったデ・ブッチ氏はとんでもない貧乏くじを引かされた形になる。
「よもやこの事態をあらかじめ予想していたのでしょうか、あの――」
――女狐は。
そこまで言いかけて、秘書官はハッと口をふさいだ。
「それは無理だよ」
イナケンティス四世はカラリとした表情で笑った。
「『みずからを助けなさい。そうすれば天が君を助けるだろう』ということわざがあるでしょ。
彼女はそれを実践しただけさ。
こんな不確定要素だらけの展開を予測できる人間なんていないよ」
これは『人事を尽して天命を待つ』ということだ。
長年の積み重ねがヴァレリアに今日の勝利をつかませた。
これから先の未来がどうなるかは、天のみぞ知るというところだ。
戦勝報告をどこかで聞いたのか、高官たちが次々と教皇のもとへやって来る。
どんどん人数が集まってきてまるで会議室のようになってきた。
そこへうわさの彼女もやって来る。
ヴァレリア・ベルモンド軍務省長官。
いつものように赤い僧服を身につけて楚々とした美女が姿を見せる。
うるさかった室内が一瞬でシン、となり静寂が彼女を出迎えた。
「大義であった。
汝の功績は永遠に語り継がれるであろう」
「光栄至極に存じます」
教皇とヴァレリアのあいだで形式的な会話がおこなわれる。
ひと通りの儀式めいた会話がなされた後で、ヴァレリアはこれからのことを語りはじめた。
「侵攻してきた悪魔の大群は退散させましたが、衛星都市リグーリアはいまだ《呪われし異端者たち》に占領されたままにございます」
「うむ」
「放置してはまた力を蓄えさせることとなりましょう。
すみやかな討伐を進言いたします」
静まりかえっていた室内がにわかにざわめきだした。
「二度目の北伐、か……」
一度目の失敗はあまりにも苦い経験だった。
教皇の名のもとに発令した聖戦。その敗北。
あの敗戦からまだわずかな日数しかたっていないというのに。
「今度は聖女の率いる軍にございます。
《呪われし異端者たち》の野望を阻止するのに、これほどの適任はおりません聖下」
「……うむ」
しばし目を伏せていたイナケンティス四世であったが、やがて顔をあげ決心する。
「世界の運命は汝らに任せよう。
良きに計らえ」
「はっ」
これで形式的な手順はすませた。
今度はこちらから攻める番だ。





