第二十九話 悪女は閃光に消えた
「おのれ、女狐の飼い犬どもが!」
ベアータは表情を苦々しくゆがめ、窓際に跳んだ。
「私の手にかかった方が幸せに死ねるというのに、運の悪いお嬢さんだこと」
彼女は捨て台詞を残して、大胆に窓を突き破る。
グワッシャアアアアン!
ガラスが砕け、ベアータの周囲をキラキラと彩る。
そのまま地上に逃れようとする彼女だったが。
「逃がさない!」
クラリーチェのハーブスティックが、光を帯びて口から放たれた。
光の矢に変化した棒はベアータの心臓をわずかにはずれ、肩甲骨のあたりに突き刺さる。
「うぐっ!」
ベアータは苦痛にうめきながらも何とか姿勢を崩さず、うまく地上へ降り立つ。
「逃がしちゃダメだ、そいつらおかしな事を企んでいやがる!」
傷口を押さえながら叫ぶ勇輝に、大人の声が返ってきた。
「心配いりませんよ。あの方はもう逃げられません」
捕まっていたはずのヴァレリアが、壊れた入り口の前に立っていた。
「ヴァレリア様、無事だったんですね!」
「ええ、皆さんのおかげで」
ヴァレリアはしずしずとに歩み寄ると、勇輝の傷口に触れた。
「あっ、ダメですよ、汚れちゃいますって!」
「まだ痛みますか?」
「はっ?」
ヴァレリアは自分のハンカチで手をふきながら、再度たずねてきた。
「傷の具合はいかがです?」
驚いた事に出血は止まり、傷口は消滅していた。
ふさがったのではない、まったく傷一つない元通りの左腕に戻っていたのだ。
もしかして回復魔法?
そういえばこの女性は高位僧侶だった。
「えっ……、えっと、ど、どうも……」
「どういたしまして」
たどたどしい礼をのべる勇輝に向かって、ヴァレリアは相変わらず微笑んでいた。
なんという神業。
すさまじかった激痛もすっかりおさまっていた。
「ユウキさん、ご無事で何よりです!」
ランベルトが詰め寄ってくる。
「あ、う、うん、ランベルトたちも無事でよかった」
「もう大丈夫です、この私が来たからには何人たりともあなたに危害は加えさせませんからどうぞご安心を!
この身に変えてもあなたを守って、痛っ!?」
後頭部にゴツーン! とハーブスティックが直撃して、彼はうめいた。
「戦場で気を抜かないように」
嫉妬丸出しで彼をにらんでいるクラリーチェに向かって、勇輝は口をはさんだ。
「それ武器だったんだ」
「ええ、飛び道具であり、また気分を落ち着かせるハーブでもあります」
ぜんぜん落ち着いてねえじゃんよ、という突っ込みを勇輝は飲み込んだ。
下手な事を言うと自分にも飛ばしてきそうなほど、彼女は怖い顔をしていた。
「そ、そうだベアータは?」
勇輝が身を起こして窓辺に向かうと、彼女は数十人の騎士に取り囲まれていた。
『逃がしゃしねえぜ、殺し屋のお姉ちゃんよ!』
後ろに控えている半人半馬のケンタウロスが、前脚を振り上げて威嚇していた。
その野太い男の声には聞き覚えがある。
「あの声……確か、えっと……」
勇輝がこの世界に来てすぐの時、巨狼の群れから助けてくれた部隊の隊長。
「リ、リ、リ……リヒャルト・ワーグナー!」
『リカルド・マ―ディアーだ!
てめえ命の恩人の名前、三日で忘れんじゃねえよ!』
「あんたが援軍だったのか、サンキュー!」
『ったく……』
不満そうに喉を鳴らしながら、リカルドは片手を振った。
それを合図に数十人の騎士たちがベアータに向かって身構える。
さすがの女傑にも突破は不可能な布陣だ。
『お仲間もみんな俺たちでとっ捕まえてやったぜ。観念しな』
リカルドの機兵が指し示したそこには、いつの間に捕らえていたのかロープでグルグル巻きにされた男たちが転がっている。
「…………くっ」
彼女が短くうなったきり立ち尽くしていると、ヴァレリアが窓辺に立って語りかけた。
「ここは投降なさったほうがあなた方のためでしょう。
捕虜となった者たちもまだ生きています。
神より授かった大切な命を、粗末になさってはいけません」
温情ある言葉をかけられても、ベアータは鼻で笑った。
「腹黒い偽善者が、良くそんな奇麗事を言えるものですわね」
「貴様っ、猊下を侮辱する気か!」
興奮するランベルトをおさえて、ヴァレリアは語り続ける。
「貴女にも愛する家族がいるでしょう。
大切な友人たちがいるでしょう。
罪を重ねてその方々を悲しませてはなりません。
悔い改めるなら、神は全てをお許しくださいます」
その言葉が琴線に触れたのか、ベアータは声を出して笑い出した。
「フフフフフ、まだそんな台詞を吐くのですか。
死ねば《真実の目》にかけられぬからそのような事を言うのでしょう。
首謀者の私にここで死なれては、何かと不都合ですものね!?」
「……あらあら」
反論しないヴァレリアをみて、勇輝は目をむいた。
(そこ否定しねえのかよ!?
けっこういい性格してんなこの人!?)
赤目の小娘が豆鉄砲くらったような顔をしている横で、大人の女枢機卿は静かに微笑んでいる。
「全くあなたの態度は見事ですわ。
あのデル・ピエーロ卿よりはるかに上等で一貫している。
あなたがもっと欲を表に出す方ならば、私たちはあなたにこそ取り入る道を選びましたのに。
とても残念です」
そう言うとベアータは十字架の錐刀を鞘に収め、中央の宝石を騎士たちに向ける。
そしてその姿を見つめる全ての者に向けて、彼女は不気味な宣言をした。
「残念ながら、あなた方は私たちの計画をまるで防げていません。
事は全て成っています。
私たちがこの聖都を脱出できるかどうかなど、初めから大した問題ではないのですよ!」
ベアータは胸を張って夜空を見上げた。
その視線の先には彼女たちが生み出した、巨大な魔王の姿がある。
ただただ巨大としか言いようのない魔王は、相変わらず泣き叫んでいた。
「正義は成れり、世に再び光はあふれ、我らは神の膝元で永遠の安らぎを。
滅びよ、汚れに満ちた背徳の都よ!」
彼女は十字架に向かって強力な魔力を送り出した。
その行動を見てなにかを察したのか、リカルドが血相を変えて部下に怒鳴る。
「総員退避! 自爆する気だ、下がれ!」
その命令に騎士たちは大騒ぎとなり、背を向けて走り出した。
「え、自爆って、え?」
「ボサっとしないで!」
リカルドの言葉を聞いても戸惑っていた勇輝は、ヴァレリアもろともクラリーチェに押し倒される。
ランベルトがさらにその上から乗って、主君の盾となる。
次の瞬間、黒髪の殺人者は閃光に包まれて、周囲のものすべてと共に砕け散った。





