涙の夜
なおも北伐部隊の苦境はつづいていた。
聖都まで残すところ南へ一日の距離。
わずかな距離のようだが、疲労困憊の彼らには休息が必要だ。
日没の前に部隊を一時停止させる。
急ごしらえの野営準備をして少しの休みをとった。
もちろん敵の夜襲は警戒している。
かならず夜襲が来るに決まっていた。
危険なのはわかっているが、それでも休息なしというわけにはいかない状態だった。
ベランジェールは部隊を三つにわけ、それぞれ夜、深夜、夜明け前の三交代で警戒させることにする。
各部隊でたき火がおこされ、貧しい食事がとられた。
たき火なんか燃やしたら敵に見つかる、という意見も当然あった。
だがどうせ一本道である。
ちょっとやそっと隠れたって無意味だ。
それならいっそ温かい食事をとって身体をいやしたほうがいい。
各所でこんな結論になった。
みな、暗い顔でモソモソとまずいメシを食っている。
すすり泣く者もいた。
――こんなはずでは。
――なにが聖戦だ。
嘆くものがいる。
憤るものもいる。
いずれも体力はとっくに限界であり、やがて泥のように眠った。
「……グス、ヒック」
北伐部隊総指揮官代行、ベランジェール・ド・ボファンはみずからの馬車の中で泣いていた。
車内には黒い皮袋に入れられた友人の遺体がある。
ジェニー・ディ・ディオニジ。
背の高い大柄な女性で、ずっとベランジェールの支えとなってくれていた人物だ。
フォルトゥナートがはなった矢からベランをかばって、尊い犠牲となった。
「あたしは……なんて罪深いことを……」
生存者はおよそ300人。
死者100人以上。
行方不明者多数。
重軽傷者は数えきれず。
生き残った者の中で、無傷の者はほとんどいない。
ベランジェールが戦いの指揮をとった結果、このようになった。
大事な友達を死なせてしまった。
他の人の大事な人も死なせてしまった。
自分のせいだ。
自分が全軍突撃を命じたから。
もっと他にやりようがあったのではないか?
あまりにも力押しにこだわりすぎたのではないか?
自分は本当に最善をつくしたのか?
目の前の黒い皮袋を見ていると、どうしてもそんな気がしてしまう。
友人はもうなにも言ってくれない。
大丈夫だよベラン、と。
こんな時こそ声をかけて欲しいのに。
ゴンゴン!
馬車の扉がノックされた。
「ベランー、お客様だよ!
第五の騎士団長様!」
「え、マキシミリアンさんが?」
第五騎士団長マキシミリアン・ロ・ファルコ。
おそらく本日一番苦しい戦いをやりきった男である。
彼が前線で指揮しつづけてくれなければ、おそらく死者の数は倍になっていた。
きっと疲労の度合いも尋常ではない。
常人ならとっくに気絶しているレベルのはずだ。
用があるなら通信を使えばいいのに、なぜわざわざ。
さすがに会わないわけにはいかず、ベランは車外へ出た。
「休んでいたところ、すまんな」
「いえ……」
マキシミリアンはさすがに疲労の色が濃かったが、それでも表情にはまだ精気がのこっていた。
「毒が回らんうちに、直接礼を言っておかねばと思ってな」
「毒? ですか?」
なにを言っているのかベランジェールには分からなかった。
彼女の身体にはかすり傷ひとつない。
友人たちが身を挺して守ってくれたから。
「そう、毒だ。
人を死なせた罪の意識という、猛毒だ」
「…………!」
ベランジェールはビクッと身体を硬直させた。
直前までまさにそのことで自分を責めていたのだから。
マキシミリアンは深々と頭を下げた。
「君が指揮をとってくれて助かった。
私一人では全滅はまぬがれなかっただろう」
「そ、そんな。
あたしなんて……。
今ももっとうまいやり方があったんじゃないかって悩んでて」
マキシミリアンは生真面目な表情で首を横にふる。
「半端な策が通じるほどフォルトゥナートは甘い男ではない。
無駄なことに人数を使っていたら、かえって損害は大きくなっていたはずだ。
事実、奴本人は最後の包囲陣に参加していなかった。
こちらがなにか違う動きを見せれば、奴自身が別動隊を率いて殺すつもりだったはずだ」
「なら……?」
「ああ。
君の判断は正しかった。
君は100人以上を死なせたのではない。
300人以上を生きのびさせたのだ」
「…………!」
大量の涙がベランジェールの両眼からあふれ出した。
誰かが伝えなければならない言葉だ。
しかし誰でもよいという言葉でもなかった。
人の命をあずかるという重い責任と苦悩を知るものにしか、この役割はできない。
ベランジェールにとって激戦の指揮は今日が初めてである。
苦しんでいるであろうことを察して助けに駆けつけたマキシミリアンの判断は、さすがというべきだった。
「明日中には聖都につく。
生き残った彼らを無事に帰すことが、今の我々の役目だ」
「はいっ!」
「頼りにしているぞ、第二騎士団長殿」
「はいっ! わかりましたっ!」
涙を飛ばしながら、ベランジェールは何度もうなずくのであった。





