第二十五話 ジゼルの願い
「旦那さまって、あのピエロ野郎の事か?」
勇輝の返事を聞いて、ジゼルは突然泣き出してしまった。
「旦那さまはだまされているんです、本当はこんなひどい事をする人じゃないんです」
彼女はたどたどしい口調で涙ながらに語る。
「昔からあの人が出世するのはおかしいとか、この人がいなければ自分はもっととか、そういう事を言う人でしたけど。
でもこんなひどい事をするような人じゃなかったんです。
旦那さまは、あのベアータを秘書にしてから人が変わっちゃったんです。
絶対だまされているんです」
「そんなこと言われてもなあ、俺たちはこうして迷惑を受けているわけだし。
そもそもこんな場所じゃ何にもできないし」
「じ、じゃあコレあげますから!」
ジゼルはポケットから小さな鍵を手渡してきた。
「この牢屋の鍵です」
「はあ!?」
勇輝は自分の目と耳を疑った。
なぜそこまで。
「私、ベアータが変な人たちとコソコソ相談しているのを見ちゃったんです。
何か変なんです」
ジゼルの表情は真剣だった。
「あの人、旦那さまを嫌っています。
口では旦那さまのためだって言っているくせに、時々すっごく汚いものを見るような目で旦那さまの後ろ姿をにらむんです。
ゼッタイ変です!」
女の勘というものだろうか。
勇輝もあの女と目を合わせた瞬間に、背筋に冷たいものを感じたが。
「うーん、でも具体的に何をすればいいんだ?」
「旦那さまの目を覚まさせてほしいんです。
昔のやさしかった旦那さまに戻ってほしいんです。
だから……」
「そこまでになさい、ジゼル」
話に夢中になっていたジゼルは、その声を聞いて顔面蒼白になった。
「まったく、あなたはろくな事をしないのね」
カツ、カツ、カツ、と乾いた足音が近づいてくる。
廊下の暗がりから、冷たい眼をした黒髪の女が姿を現した。
「べ、ベアータ、キャッ!」
バシッ!
ベアータは無言でジゼルの頬を張り飛ばした。
「おいよせ!」
「あなたに命令されるいわれはありません」
勇輝の言葉をはねつけながら、彼女は床に倒れたジゼルの髪をつかみあげた。
たまらず悲鳴を上げるジゼルの顔を、彼女はもう一度叩く。
「まったく、お茶くみしかできないグズのくせに何様のつもりなのかしら。
さすがの猊下もここまで明確な裏切りは許さないでしょうね」
「裏切ってなんかいないもん!
あたしはあんたなんかよりずっとずっと旦那さまのこと大好きだもん!」
「あらそう!」
ベアータは硬そうなブーツのつま先でジゼルのわき腹を蹴りぬいた。
「ヒグッ!」
悶え苦しむジゼルを見て、勇輝が逆上する。
「やめろこのバカ、手加減のしかたも知らねえのかテメエ!」
「裏切り者には制裁を、当然の事です」
ベアータは勇輝に向き直り、片手を差し出した。
「さあ鍵を返しなさい。まさか見えすいた脱走劇を演ずるつもりもないでしょう?」
勇輝は紅の瞳を怒りでたぎらせながら答える。
「条件がある、もうジゼルを傷つけるな!」
ベアータは鼻で笑ったが、それでも勇輝の要求を受け入れた。
「虜囚のあなたに交渉の権利があるとも思えませんが、まあいいでしょう」
ベアータは鍵を受け取ると乱暴にジゼルを引き、薄暗い廊下の奥へ連れ去って行った。
「なんなんだあの女、くそったれ!」
口汚くののしりながら、勇輝は鉄格子に蹴りを入れる。
「俺にどうしろってんだよ、俺は神様じゃねえぞ!」
ジゼルはあの悪党を助けろという。
みずからの危険もかまわずにあれだけの事をしたのだ、出来る事なら彼女の必死の思いにこたえてあげたいとも思う。
だが勇輝はシスターでも教師でもない。
悪党を改心させるなど、出来るわけがないではないか。
「あーわかんねえわかんねえ、この世界に来てから無理難題ばっかりだぜ!」
勇輝はベッドの中に飛び込んで不貞寝をはじめた。
「……みんなは、今頃どうしているんだ」
連れて行かれたジゼルの運命は。
ともに拘束されたヴァレリアの身の安全は。
逃亡したランベルトとクラリーチェは。
そして十五の若さで囚人になってしまった自分の未来は。
「分からねえ事ばっかりだ。
いっそ本当に脱獄してランベルトたちを探そうか」
実は、鍵など渡されなくともここから逃げ出すのは簡単なのだ。
魔法の国の牢屋だけあって魔法封じの結界らしきものは張ってあるようだが、勇輝にとってはまるで障害にならない。
実際にちょっと試してみたが、鉄格子をねじ曲げたり、壁の一部を出入り口に変えたりする事など朝飯前だった。
それでも逃げ出さないのは、ヴァレリアの身の安全を考えての事である。
「とりあえず暗くなってからだな。
夜になってからヴァレリア様を探して相談しよう」
勇輝はそう決めて、日が暮れるまでは大人しく体を休める事にした。
様々な人々の複雑な思惑が混ざり合いながら、時は自然と流れてゆく。
やがて陽は沈み、白く輝く聖都は闇に包まれる。
長い夜の始まりだった。





