教皇選挙はじまる
聖都ではついに教皇選挙の儀がはじまっていた。
教皇暗殺という一大事のあとだけに、身分の高いものも低いものも普段とはちがう不安感をかかえて日々を過ごしている。
いったい誰が至高の頂にのぼるのか?
聖都住民・百万人の議論は尽きない。
議論の本筋とはずれた横道の雑談として、軍務省長官ヴァレリア・ベルモンドの話題も
頻繁に語られていた。
事実上のナンバーツーなどと言われながら、重傷を理由にかなり早い段階での棄権を宣言していた彼女。
残念だ。
彼女は絶好のチャンスを棒にふった。
しかし教皇の盾となったのだから名誉の負傷だ。
それほど重傷なら、軍務省長官の立場もあやういのではないか。
いやいや実はそんなたいしたケガではないと聞くぞ。
一度は生死の境をさまよったというが?
ヴァレリアを支持するものも、嫌うものも、そんなふうに好き勝手に嘆いたり喜んだりしてお茶やお酒のつまみにしている。
当の本人はようやく屋敷から外出し、軍務省本部に姿を見せられるようになっていた。
回復したのならせめて投票に参加なさっては? と言ってくる者も数人いる。
しかしヴァレリアは「すでに棄権を宣言してしまいましたので」と言ってそれらの要請を断りつづけた。
ヴァレリアいわく、今回の教皇選挙は「誰がどう切っても不満の出るケーキ」である。
体調に不安のある状況でこんな難しすぎる戦いに参加はできない、という判断であった。
参加しなかったせいで、もしかしたら軍務省長官の地位はうしなうことになるかもしれない。
だが枢機卿でなくなるわけではない。
現代日本でたとえると、防衛大臣ではなくなるかもしれないが国会議員でなくなるわけではない、といったところ。
だからあわてない、あわてない。
ヴァレリアは身近なものたちをそんな風になだめて日々をすごしていた。
選挙に参加しないとはいえ、仕事は山積みだ。
後まわしになっていた書類の承認。
大森林への遠征にかかった費用の計算と補填。
調査内容の確認などなど。
病み上がりにはきつい作業量をこなしていくなか、彼女は思わぬ方向からの重い報告も聞かなくてはいけなかった。
勇輝が宇宙空間で聞かされてきた、エウフェーミアの言葉である。
いつものように軍本部の執務室で、映像を見せられながら勇輝の話を聞くヴァレリア。
内容があまりに途方もなさすぎて、どんな反応をすればよいのかも分からなかった。
「はるか昔にみずからの存在を消し去った聖人・イグナティウス。
第三の聖人になるはずだった男性、カリス……。
そのような人物が存在したというのもおどろきですが、それを《呪われし異端者たち》が祀っていたというのですか」
「ええまあ、そうらしいです」
これはもう情報というより神話だ。
もはや政治の範疇とは思えない。
話が壮大すぎて笑ってしまいたくなるが、そこをグッとおさえて、ヴァレリアは勇輝に質問する。
「祀っていたことに、どういう意味があるのか分かりますか?」
「いいえ、サッパリです」
勇輝は勇輝らしく、バカ正直に答える。
ヴァレリアはうなずいた。
勇輝は知らないことを知っていると言って見栄をはったり、話に嘘をまぜてごまかしたりしないので、慣れればストレスのない話し相手だ。
「そして、あなたに接近してきたユリアナという女性は、死者を生き返らせる魔法を使ったと?」
「はい」
「それは、死んだように見えて、かすかに生きていたという可能性は?」
勇輝は顔を不機嫌にゆがめて、左右にふる。
ランベルトやベランジェールにも同じことを言われている。
しかし勇輝はその目でハッキリと見てきたのだ。
「首からとんでもない量の血をだして、それが止まって出なくなったんですよ。
生きているわけないですって」
「なるほど……」
確かにそこまでの状況ならば、ギリギリ生きていたとしても同じだ。もはや助からない。
「ならばそのユリアナという女性は、聖イグナティウスと何らかのかかわりがあると見て間違いなさそうですか?」
「そ、それは」
勇輝が口ごもるのを見て、ヴァレリアは違和感をおぼえた。
「それは、たぶん……、そうなんだと思います」
「そうなのでしょうね。
……もしかして、そのユリアナさんと何かありましたか?」
「い、いやあ、何かっていうほどじゃあ、ないんですけど……」
勇輝はつらそうな表情で下をむいてしまった。
「仲良くなれたって、そう思っていたもんで、ちょっと」
「そうなのですね。つらいことを聞いてしまい、すみませんでしたね」
「いえ……」
肩を落としたまま力なく笑う勇輝。
そんな姿を見て、数々の活躍をしてきたこの子もまだ十五の若者にすぎなかったのだなと、ヴァレリアは思った。
「これからどのようなことが起こるのか、聖エウフェーミアはあなたに語りませんでしたか?」
「いえ、それは分からないです。エウフェーミアもすごくおどろいていましたので」
「そうでしたか」
これ以上なにも起こらない、ということは無いだろう。
相手はこれから何かをしようとしている。
それも魔王戦役をこえるような何かを。
今にして思えば魔王戦役は《呪われし異端者たち》たちにとって始まりにすぎなかったのではないか。
聖都の滅亡は全世界に不安と恐怖をあたえる。
それは魔王と悪魔の誕生をさそい、世界そのものを危機におとしいれるはずだった。
それが勇輝の、紅瞳の聖女の登場によって防がれてしまった。
現在の曖昧で不安定な状況は、そのせいで発生している。
そんなように思えてならない。
「わたくしも、いつまでも傷を言いわけにはしていられませんね」
ヴァレリアはそう言って眼鏡のフレームを指で直した。





