この世に存在しないはずのもの
「今の状況は『誰がどのように切っても不満の出るケーキ』なのですよ」
ヴァレリアはそんな風に語り出した。
代々、教皇になれるのは枢機卿のみと、国法によって決められている。
しかしいま存在している枢機卿は、全員が教皇暗殺を阻止できなかった失敗者である。
失敗者の中から世界の最高権力者を選びだそうというのだから、これは世間の評価がそうとう厳しいことになるだろう。
他にも問題はある。
まず教皇をたて、そして空席となった各省庁の長官をたてなければいけないが、有力者が何人も天に召されたため人材不足が深刻だ。
『誰だそれは? 初めてきく名前だぞ?』
などと言われてしまうような人間を重要なポストにつけていくしかない。
これはもう誰が教皇になり、どんな人事をおこなったとしても、不平不満を言われるしかない状況なのである。
ヴァレリアはケーキにたとえたが、地球ではこれを『火中の栗』という。
まるで割にあわない、損な役回りである。
体調が万全ならまだしも、病み上がりで気力体力ともに不完全な今は手を挙げるべきではない……。
とまあこんな感じで、ヴァレリアの考えはいつも以上に慎重であった。
「あの……」
勇輝が遠慮がちにたずねた。
「もしかして、見た目以上にケガは深刻ですか?」
ヴァレリアはいつもとかわらぬ笑顔で優雅に首をふる。
「心配はいりませんよ。完全に癒えるまでには時間がかかるというだけです」
ウーンと勇輝はうなった。
ここにユリアナがいればすぐ治せるだろうに。
つい、そう思ってしまうのだ。
そんなことはあり得ないのに。
あの女は《呪われし異端者たち》だった。
だからヴァレリアを助けてくれるわけがない。
ユリアナは勇輝をだましていたのだ。
何をどうだましていたのか、いま一つよくわからないのだが、とにかく素性をかくしてだましていたのだ。
次にであった時には、きっと、あの純白の天使にのったユリアナと戦わなければいけないのだ。
正義のために、みんなのために……。
「ユウキ? どうかしたのですか?」
勇輝の表情が暗く沈んでいるのをみて、ヴァレリアが気づかう。
勇輝は自分みたいに単純な人間が隠しごとをしてもしょうがないと分かっているので、ありのままをヴァレリアに報告するのだった。
その日の夜。
しばらくご無沙汰だったのでエウフェーミアの所へ行ってみようと思った。
一人になるとユリアナのことを思い出してしまって、苦しくなってしまうのだ。
(エウフェーミア、エウフェーミア)
心の声で伝説の聖女を呼ぶ。
しばらく念じつづけていると、ベルモンド邸の上空に小さな門が開く。
勇輝はクリムゾンセラフに乗り込み、その門のむこうへ飛び込んでいった。
門のむこう側は宇宙空間。
世界の東のはてだ。
なにも存在しないはずの真空空間に、ポワンとでっかいシャボン玉が浮いている。
エウフェーミアはそのでっかいシャボン玉の中に謎のメルヘン空間をつくって暮らしていた。
「お帰りなさい」
エウフェーミアは笑顔で迎えてくれた。
「帰ってきてすぐあいさつに来るなんて、感心じゃないの」
「まあたまにはね」
大自然の中にポツンと用意された白いイスとテーブル。
その上に上品なティーセットがならんでいる。
勇輝は遠慮なく着席した。
「そっちのほうは?」
「平和なものよ。ずっとこのままでいてくれたら私も地上へ遊びに行くのに」
「ははっ、エウフェーミアが地上に来たら、片思いで苦しむ男ばっかりになっちゃうよ」
「あらそんなセリフも言えるようになったのね?」
軽い雑談から会話ははずんでいく。
ごく自然と北へ行って何をしてきたかという話の流れになった。
「そういえばさ、大森林の奥地で洞窟探検をしたんだよ」
「探検? 男の子ってそういうの好きよね」
「でね、その奥にはなんと古い教会があったんだ」
「ふうん。綺麗な場所だった?」
「一緒に行ったみんなはよくわかんないって言ってたなあ」
勇輝は大型テレビを作り出して、エウフェーミアに動画をみせた。
ハネエッガイに撮影させまくったやつだ。
「こんな感じだったよ」
「ふうん、ずいぶん古い感じの……」
ドッガアアン!!
突然使っていたテーブルが壊れた。
いや違う、エウフェーミアが力加減をまちがえて破壊したのだ。
この聖女、あまりにも絶大な魔力を有するがゆえに暴走するとこういうことになる。
「こっ、これはどういうことよ!?」
エウフェーミアは紅の瞳をカッと見開き、ひどく動揺した。
「ど、ど、どういうって?」
「こんなものが、どうして地上に残っているの!!」
「なんの話!?」
「これはもう地上に残っていないはずのものよ!
あの方がぜんぶ自分で破壊してまわったはずなのに!」
「あ、あの方って?」
エウフェーミアがなにを言っているのかさっぱりわからない。
いったいなにを興奮しているんだ。





