第二十一話 うかつな迷探偵
「このクズ野郎!」
突然怒鳴り声を上げ、勇輝はデル・ピエーロ卿の胸ぐらにつかみかかった!
脈絡のない暴力に皆が騒然となる中、勇輝はさらに叫ぶ。
「てめえいきなり何て事をしやがる!」
「なあ!?」
胸倉をつかんできた勇輝が、つかまれているデル・ピエーロ卿に、なんてことをしやがると言ったのだ。
そりゃ誰だっておどろく。
「そ、それはこちらの言うセリフだ!
何だ貴様は!?」
怒りと驚きで肥満巨漢の老人は顔を真っ赤にする。
だが、続く勇輝の怒声に彼は声を失った。
「人の命は政治の道具じゃねえぞ!
てめえのせいでいったい何人死んだと思ってやがんだ!」
その言葉の意味を理解した一同は、それぞれ顔色を変えた。
ベルモンド家の者たちは驚愕と怒りに。
デル・ピエーロ卿と連れの二人は動揺と戦慄に。
「昨日の事件は、ヴァレリア様をおとしいれるために全部こいつらが仕組んだんですよ。
魔法で眠らせた悪魔をでかい馬車に閉じ込めて、街中に放置したんだ。
夕方の鐘を聞いて悪魔は目を覚まし暴れだす。
あとは悪魔の侵入を未然に防げなかった軍の責任者、ヴァレリア様の職務怠慢だといって失脚させれば作戦完了さ。
こいつらは悪魔を政治の道具として利用しやがったんだ。
やって良い事と悪い事の区別もつかねえのかてめえらは!」
「な、何をバカな、そ、そんな事知らんぞ」
「しらばっくれてんじゃねえ!」
締め上げようとする勇輝の腕を、ベアータがつかんだ。
「証拠はあるのですか?」
「なんだと?」
「それは確かな証拠があっての発言なのでしょうか。
無いのでしたら、我々はあなたを名誉毀損で訴える可能性があります」
冷たい刃物のような目つきで問い詰められて、勇輝はうろたえた。
「いやそれは、でもすぐに見つかるさ」
「つまり具体的な証拠はまったく無いのですね?」
「う……」
勇輝の勢いが止まったのを見計らって、デル・ピエーロ卿が腕を振り払った。
「不愉快だ、まったくもって不愉快だ!
ベルモンド卿、この件はただで済むと思わんでいただきたい。
失礼する!」
彼は半開きになっていた扉を乱暴に開け放つ。
そしてわざとらしいほどドスドスと音を立てて部屋を出て行った。
ベアータも足早について行く。
「あ~、ま、待って下さい~!」
情けない悲鳴を出しながら、ジゼルが二人の後を追った。
廊下から「トイレ~」「我慢しろ!」などとやりあっているのが聞こえてくる。
「……くそっ」
床を踏み鳴らして八つ当たりする勇輝に向かって、ヴァレリアが問う。
「今のお話は本当ですか?」
「本当ですよ!」
まだ怒りが収まらないといった様子で勇輝がまくし立てる。
「上のやつらに映像で見せられたんですよ。
あのクソ親父にとって、ヴァレリア様は邪魔な競争相手なんです。
あいつが一番偉い役職に、教皇っていうんですか。
それになるためにはあなたが邪魔だっていうんで、あんなふざけた真似をしたんですよ!」
「……まあまあ、あなたがそこまで知っているということは、本当にそのような映像を見たのでしょうね」
ヴァレリアは目を伏せて数秒思案した。
「なるほど、わたくしを追い落とすためにそこまで。
となれば、のんびりしている暇はなさそうですね」
ヴァレリアはその場でランベルトとクラリーチェに命令を下した。
「あなた方は今すぐ身を隠して様子をうかがいなさい」
突然の指示に戸惑う二人。
ヴァレリアはさらに念を押す。
「早くなさい、緊急事態です」
「り、了解いたしました猊下」
緊急事態、という言葉を聞いて二人は顔色を変えた。
ランベルトが何か言いたそうな表情で勇輝を見つめる。
「御無事で、ユウキさん」
「は?」
「ランベルト早く!」
「うむ!」
説明も無いまま、二人は部屋を走り去った。
「さて、我々はここでお茶でも飲んでお話をしましょうね」
「はあ?」
そう言いながらヴァレリアが新しいカップを用意するのを見て、勇輝はあっけにとられた。
「まあまあお座りなさい、少しだけ急ぎます」
「は、はあ」
急ぐから座ってお茶を飲めという。
まったく意味が分からないが、勇輝はとりあえず素直に従う。
「さてわたくしたちは、きっとこれから酷い目にあいます」
彼女はいつも通りゆっくり穏やかに、しかしとんでもない事を語りはじめた。
「極悪人として逮捕され、きびしく尋問されるでしょう。
やってもいない犯罪を認めろと強要されるかも知れません。
ですが認めてはいけません、かならず否定し続けて下さい。
少しの間我慢していれば、ランベルト達が必ず助けに来てくれます。それまでの辛抱ですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください、何の話です」
まったく理解が追いつかず、勇輝は手をふって止めた。
「なんでヴァレリア様まで逮捕されるんです」
勇輝がやったことは暴行罪にあたる。
しかしヴァレリアになんの罪があるというのか。
「あなたがデル・ピエーロ卿のたくらみを見破ったのが原因ですよ」
「はあ!?」
全然意味が分からない。
「真相が明らかになればあの方の人生はそこで終わりです。
ですのでわたくしたちが証拠を得て糾弾する前に手を打たねばならないのですよ。
一番良い方法は今すぐにわたくしたちの身柄を拘束してしまう事です。
彼は司法のトップですから、おそらく子飼いの警察官を使って事件を出鱈目に改ざんしてくるはずです」
「じょっ」
勇輝は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「冗談じゃありませんよ、悪いのはあいつらじゃありませんか!」
「そうですね、でもそういう問題ではないのですよ」
ヴァレリアは何事も無いかのように微笑んでいた。
その笑顔があまりにもいつも通り過ぎて、勇輝は自分の方がおかしいのではないかと疑ってしまいそうになる。
「彼は権力闘争を始めてしまったのですよ。
それも一歩間違えば己の命を失うほどリスクの高い手段を用いてね。
ずいぶんと嫌われてしまったものです」
勇輝は内心のイライラをおさえるのにずいぶん苦労した。
ヴァレリアはなぜこんなにも冷静でいられるのだろうか、不思議に思う。
「分かりません、なんでそんなにあなたが邪魔なんですか」
「あらあら、それは簡単な事です。
彼の求める椅子がたった一つしかないからですよ」
「イスぅ?」
ヴァレリアは優雅にうなずいた。
「あなたも先ほど言われたではありませんか、あの方が教皇になりたがっていると。
自分で言うのも恥ずかしいのですが、わたくしの事を『人類初の女教皇になる人物だ』などと言って支持して下さる方々もいらっしゃるのですよ。
デル・ピエーロ卿は次の教皇選挙の儀でわたくしに負けるのではないかと、不安に思っていたのかもしれませんね」
「そんな、そんな汚い派閥争いために、何人も死ななきゃいけないなんて」
「ええ、彼のやり方は明らかに間違っています。
悪事を重ねて人の上に立とうなどと、神も人も許しません。
彼らの暴挙は、わたくしたちの手で止めなければいけません」
「だったら逃げましょうよ、あんな連中のやり方に付き合っちゃいけない!」
だが、ヴァレリアは首を横にふる。
「逃げれば重犯罪者として国中に指名手配されてしまいますよ。
そうなればわたくしたちの言葉に耳を貸す人もいなくなってしまうでしょうね。
わたくしたちがこれから成すべきは、逃げる事でも戦う事でもありません。
真相を明らかにする事です。
それに……」
ヴァレリアは窓の外を見た。
「もう手遅れのようですよ。
彼はご自身の動きこそ緩慢ですが、人に命令するのは迅速なお方ですからね」
彼女の視線の先をうかがうと、そこにはすでに数十人の警官隊が険しい顔で身構えていた。
「ユウキさんの見た映像というのは、やはり実際の出来事だったようですね」
「えっ?」
「もし誤解だったのなら、こんな大げさな人数は必要ありませんでしょう。
腕の良い弁護士を一人よこせば済む話です。
これほど多くの人数で取り囲まなければいけないという事は……?」
「腹の底にやましい秘密を隠している証拠、ですか」
うなずくヴァレリアの態度は、あくまでも落ち着いていて優雅だった。





