第二十話 アイス・ブルー・アイズ
席を移しても、紅い眼の少女を出せ、出さない、という不毛なやり取りは続いていた。
「つまりどうあっても件の少女を紹介してはいただけないという事ですかな」
「むしろそこまでご執着なさるお気持ちを理解しかねます。
あの場で何が起こったかなど、被災者の方々の証言だけでも十分なのではありませんか?」
「世間ではかの少女の噂でもちきりなのですよ。
聖女が降臨なされた、などと言ってね」
「まあまあ、デル・ピエーロ卿は噂話がお好きでしたか」
「少しばかり武功をあげた程度で聖女呼ばわりなど、かえって教会の権威をおとしめる元だと申し上げているのだ!
卿も教義を守る身として世情の軽率さを正そうとは思わんのか!」
デル・ピエーロ卿は興奮のあまり呼吸を荒くして胸を押さえていた。
苦しむ彼の背を、茶髪の秘書が心配そうにさする。
一方黒髪の秘書は、主に代わってヴァレリアに問いかけた。
「件の少女は、この屋敷で療養中なのでしょうか?」
「お答えできません」
「機兵があのような屋外に放置されているという事は、先の事件を解決した後ここへ飛んできて、そのまま動かしていないという事ですわね?」
「………………」
「そしてそれは『他に動かせる者がいないから』という推理にもつながります。
そうでなければ秘密主義のベルモンド卿があんな目立つ場所に放置なされるわけありませんものね?」
どこか冷たい刃物を連想させるような声色で、黒髪の女は追及する。
「つまり件の少女は少なくとも一度、確実にこの屋敷へ来ている。
聖都内の病院には眼の紅い少女など入院しておりませんでしたから、まだこの屋敷にいると考えるのが自然なのですけれど?」
「あらまあ、そんな事をわざわざ調べられたのですか?」
「いえいえ」
黒髪の女は笑う。
冷たい笑顔だった。
「被災者の方々のお話をうかがう過程で、『偶然』わかった事ですわ」
女は細めた目で見上げるようにして、再び問う。
「いらっしゃるのでしょう、ここに?」
ヴァレリアは眼鏡を直しつつ、静かに言葉を紡ぐ。
「……何度も申し上げましたとおり、お答えできません」
「貴様、いい加減に!」
顔色を変えて立ち上がったデル・ピエーロ卿。
敵意をむき出しにしたブルドッグのようなその顔のかたわらに、誰かの白い手があがった。
「あ、あの~お」
ずっとデル・ピエーロ卿の横で黙っていた、茶髪ショートの女だった。
彼女は変に間延びした弱々しい声で、ヴァレリアに懇願する。
「すいませ~ん、おトイレお借りしてもいいでしょうか~?」
彼女はひざをこすりあわせてモジモジしている。
どうやらずっと我慢していたらしい。
「ジ、ジゼル、貴様こんな時に!
我慢しろ!」
ジゼルと呼ばれた女は、叱られても「で、でもぉ~」と涙目で主に訴えかけている。
黒髪の女にチッ、と舌打ちされて、さらにジゼルの両目に涙がたまった。
「まあまあ良いではありませんか、クラリーチェ」
ヴァレリアはクラリーチェを道案内&見張り役として指名した。
当然彼女に異論は無い。
「ではこちらに」
「あ、ありがとうございます~」
冷淡な態度のクラリーチェに礼を言って、ジゼルはチョコチョコと小股で歩きはじめる。
本気で辛そうな姿が哀れだったので、クラリーチェは親切心から扉を開けてあげた。
「うぉわっ!」
その瞬間、扉に張り付いて盗み聞きしていた勇輝が室内に転がり込んできた。
「あひぃっ!?」
内股で歩いていたジゼルが、床を転がる人間に驚いてバランスを崩す。
「うお、おっととと!」
勇輝は支えようとしたが、力不足で反対に押し倒された。
ドタッと大きな音を立てて、二人一緒に床に倒れこむ。
偶然かわざとか、勇輝はジゼルのおっぱいをわしづかみしていた。
「むう……、おとなしい外見に似合わぬこの豊満な感触……。
さながら桃源郷の美田に実った、二つの完熟果実……」
「いやあ~!」
下から思い切り胸をもまれて、ジゼルは相手の顔面をひっぱたいた。
バチィン!
「ひでぶっ!」
勇輝は妙な悲鳴を上げた。
「なにするんですかあ~!
……あれ~?」
とりあえずひっぱたいたジゼルは、まじまじと相手の顔を見て気の抜けた声を出す。
「あれえ、あなた」
ジゼルは馬乗りになったまま、下敷きになっている少女に顔を近づける。
「うわさの聖女さまみたいにお目々がまっ赤ですね~」
「……そこでボケるか」
下敷きになった女の子、勇輝は殴られた頬をひきつらせた。
「……は、はは、はっはっは、これはこれは!」
デル・ピエーロ卿が勝ち誇った顔で腰を上げた。
「ずいぶんと元気そうな病人ですな。
それとも人の話を盗み聞きしたくてたまらないという病気ですかな、ええ?」
嘲笑をあびせられて、ベルモンド家の三人は気まずそうに視線をそらす。
「なにやってんですか、あなたは……!」
ものすごく険悪な表情のクラリーチェに凄まれて、勇輝はうろたえながら弁解した。
「い、いやあ、一人ぼっちで寝ているのもいい加減飽きてきたかなーなんて……。
う、い痛つつつ……」
勇輝は身をよじって苦しそうにうめいた。
ジゼルにのしかかられたダメージが今ごろ痛みとなってやってきたのだ。
「おやいかんな、ベアータ」
「はい猊下」
ベアータと呼ばれた黒髪の女はジゼルの両脇に左右の手を差し入れ、ひょいと持ち上げた。
「お怪我は?」
「いや、大丈夫です」
何気なくベアータと視線を合わせた瞬間、勇輝は背筋に冷たいものが走った。
氷のような薄青の、小さめな二つの瞳。
ベアータは軽く微笑んでいた。
だがその笑顔がなぜか獲物を見つめる爬虫類を思わせる。
美しくととのった仮面の奥に、明らかな敵意がひそんでいた。
勇輝は警戒し、後退りながら立ち上がる。
「いやいや、お会いしたかったですよ!」
ところが緊張した空気をぶち壊す勢いで、デル・ピエーロ卿がドスドス音をたてながら迫ってきた。
「なるほど噂に違わぬ可愛らしいお嬢さんだ!」
デル・ピエーロ卿は両手を大きく広げたオーバーアクションで、ようやく勇輝を見つけた喜びを表現している。
ベタベタな親父だなあ、などとは思いつつも、勇輝も適当に愛想笑いを浮かべておいた。
「こんなに可憐なお嬢さんがたった一人で悪魔を何体も倒したなど、信じられませんなあ」
「はあ、あれはまあ半分偶然みたいなもので。
…………………………ああん?」
会話の途中にもかかわらず勇輝は突然上を見上げて、そして硬直した。
「どうかしましたかな?」
「……………………」
デル・ピエーロ卿の声には答えず、勇輝はなぜか両手で顔を覆った。
「どうしました」
クラリーチェが歩み寄った。
また何か変な事を言い出すようなら口を押さえてでも止めるつもりで。
だが顔を覆ったまま勇輝がブツブツとつぶやく言葉はあまりに不可解すぎて、クラリーチェの行動をためらわせた。
「催眠魔法……。
大型馬車に入れて……。
門兵はあらかじめ子飼いの者に変えて……」
そのまま勇輝はわけの分からない発言を続ける。
「……鐘の大音で、やつらは目を覚ます……。
軍の怠慢……監督者の責任問題……。
あの女狐はもう終わり……」
「ちょ、ちょっとユウキさん?」
明らかに様子のおかしい勇輝を心配して、ランベルトも詰め寄ってくる。
「……………………」
勇輝は黙り、そして覆っていた手をどける。
紅い眼は、怒りに燃えていた。





