第十九話 折り紙つきの天才だってばよ
次の日。
太陽が天頂をわずかに通り過ぎた頃。
勇輝が借りている客室には、勇輝とクラリーチェの姿があった。
「お加減はいかがですか」
昼食の食器を片付けているクラリーチェの言葉に、病床の勇輝は笑顔で答える。
「うん、もうすっかり元気だよ。
色々面倒をかけてごめんね」
看病してくれた彼女に頭を下げるが、クラリーチェは素っ気なく首を横にふる。
「別に大した事ではありません、お礼ですから」
「お礼って?」
「………………」
クラリーチェはなぜかうつむいて黙ってしまう。
「ふーん、……ん?」
突然勇輝は顔を上に向けると、しばし天を見つめた。
「あ、そうだったの?」
こちらは何も言っていないのに謎の受け答えみたいなことを言う。
勇輝が口を開けて天井を見上げる姿がかなり間抜けで、クラリーチェは眉をひそめた。
「……何です?」
「君、ランベルトの事が好きなんだってね」
「なっ!?」
いきなり胸中の秘密を暴かれて、クラリーチェはあからさまに動揺した。
「俺があの人を助けた事なんて、気にしなくてもいいのに」
またクラリーチェはうろたえた。
この発言の裏には、これまでの手厚い看護が義兄の命を救ってくれたお礼なのだ、という含みが間違いなく存在している。
「な、な、何をわけの分からない事をいきなり!」
とぼけようとするクラリーチェ、だが顔が真っ赤だ。
「だってみんなが言ってんだもの」
「み、み、みんなって、一体誰です!」
勇輝は人指し指を一本たてて、天を指さす。
「天使たちだよ」
その一言で、クラリーチェの顔色は一気に冷めた。
フッ、とつい笑ってしまった。
失礼だとわかっていても。
「あー、疑ってんなぁ?
心の耳をすまして聞いてみろよ、ちゃんと聞こえるから」
心の耳などと言われてもクラリーチェには分からない。
疑わしげな表情のまま顔を背けてしまう。
すると勇輝は意地悪な顔になって、先ほどの話をむし返してきた。
「上で連中が笑っているぞ。
クラリーチェは意地っ張りで積極性が足りないって」
ギリッ!
痛いところを突かれたのだろう、クラリーチェは口にくわえたハーブスティックを噛んで苛立ちをあらわにした。
「そんでもってぇ……、ぷっ、わははははは!」
脈絡もなく笑い出す勇輝。
身をよじって苦しみながら、にやけた目でクラリーチェをジロジロ見ている。
「ひっ、ひひひ、は、腹が痛てぇ……!」
それがひどく癇に障って、クラリーチェは厳しい顔で問いつめた。
「何がおかしいんです、あなたの言う上の連中とやらは、何を言ったのですか!」
勇輝は、笑い苦しみながら答えた。
「お、俺にやったようにね、力ずくで寝室に連れ込んでベッドの上に投げ倒せばいいって!」
そのあとベッドの上でどうしたらいいのか?
そんなことは語るまでもない。
ガリッ! と音を立てて、口のハーブスティックが砕け散った。
「あ、あ、あ、あなたはいったいなんの権利があってそんな破廉恥な事を!」
胸倉をつかんで勇輝の首を締め上げるクラリーチェ。
いつぞやのように全身から白いオーラをあふれさせている。
《全身強化》の魔法だ。
「ちょ、ちょっと待って、言ったのは俺じゃないって!」
「天の御使いがそんないかがわしいセリフを言うものですか!」
「だって言ったんだってばよ!」
「お・だ・ま・り・な・さ・い!!」
首まで真っ赤になって勇輝を締め上げるクラリーチェ。
勇輝は泡をふいて失神寸前だ。
その生命の危機を救ったのは、この館の女主人であった。
「まあ、なんという事をしているのですか、おやめなさいクラリーチェ」
いつの間に来ていたのか、ヴァレリアが開かれた扉の前に立っていた。
後ろにはランベルトも控えている。
「手をお放しなさい、乱暴はいけませんよ」
「で、ですが」
思わず口答えをするクラリーチェだったが、ヴァレリアの眼がスッと細くなるのを見てしぶしぶその手を放した。
激しくむせる勇輝の背を、ヴァレリアがさする。
「この子もまだ幼いところがあります、どうか許してあげて下さいね」
「は、はい、ゲホ」
下品なことを言ってクラリーチェを怒らせたのは明白だったので、勇輝は素直にうなずいた。
それから小一時間ほど時が過ぎる。
客室の中は、勇輝の魔法によって別世界へと姿を変えていた。
赤、青、黄色、緑、ピンク、そして金、銀。
様々な色紙で作られた鳥や花、昆虫、動物などの折り紙が、部屋中をフワフワと飛びまわっている。
まるでおとぎの国だ。
「素敵ですね、オリガミというものは」
ベッド脇のイスに腰かけていたヴァレリアが、にこやかにそう語る。
この部屋の不思議な状況は、勇輝の魔法をこの目で見たいという彼女の要望によるものだった。
「そうでしょ」
楽しんでもらえて勇輝も上機嫌だ。
勇輝は部屋に用意されていたメモ帳のページを切り離す。
切り離したその紙を指先でなでると、次の瞬間には正方形をした水色の紙に変化していた。
次に彼女はその水色の紙を手放す。
じゅうたんの上に落ちたそれは、まるで見えない手で折りたたまれていくかのようにパタパタと動き、形を変えていく。
やがて色紙は一輪の花となって、完成と同時にファンファーレを鳴らした。
ジャッジャジャーン!
「どう、結構すごいでしょ」
「……は、はい、すごいですね」
ランベルトは己の指先で羽ばたくピンク色の蝶を眺めながら、半ば放心状態で返事をする。
「こんな一瞬で物質の再構成、遠隔操作、どんな理屈なのか音楽まで鳴る。
とても人間業とは思えません」
「へへっ」
勇輝は能天気に笑っている。
自分の能力がいかに優れたものなのか、まだちゃんと理解できていないのかもしれない。
「クラリーチェはどう?」
「……………………」
クラリーチェは驚きのあまり顔が青ざめていた。
ランベルトとは反対に、目の前の異常事態に恐怖心を抱いている様子だ。
足元を泳ぐ極彩色の魚たちを、むきになって避け続けていた。
「素晴らしい、あなたはまぎれもなく天才です!」
ランベルトにまたほめられたが、勇輝は少し表情をかたくした。
「でもね、聖女の力ってまだまだこんなモンじゃないらしいよ。
俺の魂には制御装置がつけられているんだって」
「制御?」
「うん、正義の心を無くしたら、この力は使えなくなるって忠告されたんだ。
ニセ金とかニセ宝石つくって大もうけするわけにはいかねーみたい。
ま、別にいいけどね」
勇輝が新しくちぎったメモ用紙は黄色いカニに姿を変えて、じゅうたんの上を歩きはじめる。
「こういうお遊びは、まあオマケみたいな感じかな」
「なるほど、あなたはまさに正義の使徒というわけですか!」
ランベルトは興奮に顔を赤くし、情熱的なまなざしで勇輝を見つめて熱弁する。
「あなたのように素晴らしい方が猊下の前に現れるなど、まさに天の導きでしょう。
こうして出会えた事を、私は主に感謝します!
あ痛っ!」
突然彼は足に激痛をおぼえて悲鳴を上げた。
嫉妬したクラリーチェに足を踏まれたのだ。
「痛いじゃないか、いきなり何をするんだ!」
義兄の抗議に対して、義妹は謝りもせずにフンと鼻を鳴らすだけだ。
「あははは」
そんな二人のすれ違いがおかしくて、勇輝は遠慮なく笑う。
楽しい時は永遠に続くかと思われたが、ふいにドアがノックされて終わりを告げた。
「失礼いたします、お客様がいらしておりますが……」
入ってきた使用人の言葉にヴァレリアは首をひねった。
「あら突然ですね、どちら様でしょう?」
「デル・ピエーロ卿がお見えです」
その名を聞いて、ランベルトとクラリーチェが顔色を変えた。
「まあまあ連絡も無しに突然いらして、どんな御用でしょうね?」
笑顔を少しくもらせながらヴァレリアが立ち上がる。
場が急に緊張し始めたのを感じて、勇輝はおそるおそるたずねてみた。
「そのピエーロさんて、どんな人なんですか?」
ランベルトがやや硬い笑顔で答えた。
「法務省長官ジョバンニ・アンドレア・デル・ピエーロ枢機卿。
簡単に言ってしまうと、警察と裁判所のトップですよ」
その緊張した雰囲気から察するに、どうも歓迎できない客が来たようだ。
部屋から出ないほうがいいと忠告されたが、それに従うほど勇輝は聞き分けの良い子ではない。
足音を殺しながらゴキブリのような素早さでシャカシャカと廊下を走りぬけ、匍匐前進で踊り場の手すりまで進む。
そこからホールを見下ろすと、縦・横・厚さの全てがでかい肥満体の老人が大声で笑っていた。
老人は二人の女性を後ろに並ばせている。
二人とも年の頃は二十歳くらい。
茶色い髪のショートヘアーと、黒髪のロングストレートだ。
二人はおそろいのスーツにタイトスカートという服装。
デブ親父の秘書だろうか。
「いやあ、いつみてもお美しいですなあベルモンド卿。
とても私と同年とは思えません!」
「まあお上手です事」
お偉いさん同士の会話はすでに始まっていた。
まずは他愛のない世間話が展開されている。
それにしても、同じ年齢と聞こえたが翻訳ミスだろうか。
どう見ても六十過ぎのデブ爺さんと、シワ&シミ一つないツヤツヤお肌のヴァレリア。
二人が同じ歳とはとても思えない。
もしやこれも魔法の力であろうか、それとも魔法に思えるくらいの努力の賜物であろうか。
「ところで、最近興味深いお噂を耳にしましてな」
デブ・ピエーロ卿、もといデル・ピエーロ卿の目つきが変わった。
話が本題に入る。
「昨日の悪魔襲撃事件、あの際に突如現れた天使のような機兵についてです」
ヴァレリアは、口を閉じたままニコニコ笑っている。
「庭にひざまずいていた赤い鎧の機兵がそうですな?」
「ええ、その通りです」
「乗っていたのは騎士ではなく、紅い眼をした少女だったとか」
「はて、どうでしたでしょう」
ごまかした。
「その少女は事件の重要参考人です、ぜひ捜査にご協力願いたい」
「おあいにくさまですが、彼女はあの戦闘で体調を崩して療養中です。
ですのでしばらくご紹介する事はできません」
半分くらいは本当のことを言っているが……。
「……彼女は今どちらに?」
「体調が優れないとお伝えいたしました、お答えできません」
「ではいつごろご紹介いただけますかな」
「さあ、わかりかねます」
「ではあの新型機兵はどこで開発されたものですかな?」
「それは軍の重要機密にあたってしまいます、お答えできません」
取り付く島もない、勇輝はこんなヴァレリアを初めてみた。
いつもどおりの笑顔に見えるが、どこか雰囲気が違う。
いまの彼女はまさに政治家なのだ。
「まあ、このようなところで長々と立ち話というのも何ですから、あちらでお茶でもいかが?」
人の要求を完全に無視しておいて、平然とそんな事まで言う。
デル・ピエーロ卿は明らかに気分を害した表情だったが、しかしその勧めに従った。
「む……、ふむ、そうさせていただこう」
腹が立ったから帰る、という安易な行動に出ないのはやはり『政治家』だからか。
ホールにいた者たちは、一斉に奥に向かって歩き出した。
勇輝も気づかれないようヤモリのようにはいつくばって静かに階段を下り、一同を尾行する。





