第十八話 人、それを冤罪という
「あらあら、にわかには信じがたいお話ですね」
その日の夜。
ランベルトが作成した報告書を一読したヴァレリアは、困り顔でそうつぶやいた。
「ごもっともです、ですが証拠も証人もある件ですので」
「……証拠とはあれの事ですか」
ヴァレリアは窓の外を覗き込んだ。
そこには翼を生やした見慣れぬ機兵が一体、片膝をついた姿勢で停止している。
いつもの景観をふさぐようにでかでかと存在している紅色の巨体を見て、彼女はどんな気分でいるのだろう。
「クリムゾンセラフという名でしたでしょうか、なるほどとても強そうですね」
あきれ顔で言いながら、ヴァレリアは報告書に目を落とした。
《ユウキ・アイザワが守護機兵の像を改造して紅の天使を造り、それを操って悪魔を倒した。
両腕を上げると損傷した装甲はたちまち直り、光る手で悪魔の頭を殴ると敵は蒸発した》
要約するとそんな無茶な内容が書かれてある。
あまりにも馬鹿げた話だった。
この報告書には常識的な事柄が何一つ存在しない。
これではまるで幼児向けの演劇シナリオだ。
庭でひざをついている天使の姿がなければ、誰もが悪い冗談だといって笑うだろう。
悪い冗談といえば、帰還後の勇輝の言葉である。
これまた似たような意味で凄まじいものであった。
彼女はかなり疲れてはいたが、大仕事をやり遂げたあとの晴れやかな笑顔でヴァレリアたちに向かってこんなことを言ったのだ。
『俺は、聖女と天使が協力して造り上げた、最強無敵のクローン戦士だったんです!』
……なんですって?
『ナントカっていう聖女様の肉体を複製して、事故死した俺の魂を植えつけたんですって』
……何のために?
『来たるべき大いなる災いのために……とかなんとか言っていましたけど』
……それは、どんな災いですか?
『さあ、なんか疲れてきたらチャンネルが狂っちゃって、声が聞こえなくなったんですよね』
……誰の声です?
『天使です!』
……天使が、あなたを導いていると?
『ええ、とりあえず機兵の作り方と動かし方を習いました。
あなたはすごい、才能あるってほめられちゃいましたよ、へへ』
……いきなりの実戦でなぜ乗りこなせたのですか?
『自分の身体だと思えって教わりました。
自分の身体なんだから、動くのが当たり前だって』
………………。
『もういいですか、なんだか俺、すごく眠いんです』
……他に何か気づいた事や、望む事は?
『さあ……、ああそうだ専用の武器が欲しいな、剣とか光線銃とか。
まあ明日にでも考えますよ。
ファ~ア、とにかく今は眠いです、夕食には出ますんで、少し寝てきます……』
そう言い残して彼女は貸し与えられている客室に引っ込んでしまった。
そして時がたち夕食の準備が出来たが、彼女は部屋から出てこなかった。
クラリーチェが様子を見に行った所、思った以上に心身の疲労がひどいらしく安静にしておいた方が良いという事だった。
当然といえば当然なのだ。
普通の人間ならば衰弱死してもおかしくないほどの大魔法を何の儀式も道具も無く使ったのである。
むしろ意識をたもっていられる事が脅威なのだ。
この事例一つとっても、彼女がけた外れの魔力の持ち主だという事は明らかだった。
「まさか紅瞳の聖女なのでしょうか、彼女は」
そう言い出したランベルトの表情は真剣そのものだった。
質の悪いジョークのような事を言っているのは百も承知という顔。
「あの紅い瞳、信じ難いほど強大な魔力、弱者を守ろうとするその姿勢……」
顔を紅潮させながら情熱的に語るランベルト。
反対にヴァレリアは沈黙していた。
「近年、悪魔の襲撃事件は増加傾向にあります。
何か悪い事の予兆なのではないかと言う識者もいるそうではありませんか。
このような都合のいいタイミングで異世界から特別な力を持った人間がやってくるなど、偶然に起こりうる事でしょうか。
まさに彼女こそ、この聖都を守るために現代によみがえった聖エウフェーミアその人なのではありませんか」
熱を帯びた弁論を向けられても、ヴァレリアはあくまで平静を崩さない。
「まあまあ、そう断定するのは早いでしょう」
眼鏡のフレームを直してから、彼女は語る。
「眼が赤い、魔力が強い、荒唐無稽な事を語る。
組み合わせてみればなるほど紅瞳の聖女ではないかと思いたくもなりますが、明確な証拠などどこにも存在しません。
天使の声というのも、他の誰にも聞こえておりませんしね」
「それは確かに、そうですが」
口ごもるランベルトに代わって、クラリーチェが口を開いた。
「そもそもユウキさんの言葉が嘘である可能性を考えるべきです。
天使だの聖女の複製だのと、とても信じられる話ではありません」
ヴァレリアはもっともらしくうなずくが、今度はまったく逆の立場をとった。
「ではあの天使のような機兵については、どう考えますか?」
「それは……」
クラリーチェは言い返せない。
勇輝が偽物から本物を作り、しかも即座に実戦投入し、さらに圧勝してみせたというのは事実なのだ。
「でも……」
なにやら口をとがらせて、クラリーチェは不満を口にした。
「あんな野蛮な男女が聖女様なんて……イヤ……」
「プッ!」
ランベルトがたまらず噴きだした。
確かに「オラアアアア!」とか叫ぶ聖女は嫌だ、イメージ的な理由で。
「さてさて、悩ましい事ですね」
あまり悩んでいるようにも見えないが、ヴァレリアは首をかしげてみせた。
「うかつな決め付けは、かえってユウキさんに迷惑をかけることになってしまいます。
今は静かに見守る事にしませんか。
あまりに大きな期待は、かえって彼女の素質を潰しかねません」
これはつまり『この件は私たちだけの秘密にする、みだりに言いふらすな』という命令だ。
「は、はあ……」
煮え切らない態度のランベルトに向かって、ヴァレリアは勇輝に関する報告書を手渡した。
「とりあえず、彼女の罪はわたくしたちだけの秘密にしておきましょうね」
「はっ? つ、罪ですか?」
意味不明な発言に彼は目を点にした。
「ええ、だってここ」
ヴァレリアが白い指で書類の一点を指し示す。
「《ユウキ・アイザワが守護機兵の像を改造してあの紅い天使を造った》のでしょう?
公共物損壊か、あるいは窃盗か。
判断しかねるところですが、どちらにせよ罰せられる可能性があります。
後々面倒な事になるかもしれないので、いっそ無かったことにしちゃいましょうね」
にこやかに微笑みながら書類を返されて、ランベルトは戸惑うばかりだ。
「彼女はきっとわたくしたちの心強い味方になってくれるでしょう。
ならばこそ、今は彼女を守ってあげなくてはいけません」
「……はっ」
おだやかな口調であっても命令だ。ノーとは言えない。
翌朝、ランベルトは書き直した報告書をヴァレリアに再提出した。
《ユウキ・アイザワは『どこからともなく現れた』紅い天使に乗り、それを操って悪魔を倒した。
戦闘の際、周囲にあった守護騎兵の像は『悪魔の手によって』破壊された》
あの一つ目巨人が知ったら怒るだろうな。
ランベルトはそんなしょうもない事を思った。





