月下の夢
結局パウル皇子は一時間ほど妹からお説教されることとなった。
ミーシャに対しては見ようともしない。口をきくのも汚らわしいとでも思っているのだろうか。
帰りの車内でもマリアテレーズ皇女はムスっと不機嫌そうにしたまま無言だった。
大帝国の皇女といえど未婚の乙女。
世の中にはこういうこともあると知ってはいても、いざとなると生理的に受け入れがたい真実だったようだ。
気まずい雰囲気のまま馬車は学園に到着し、その夜はお開きとなった。
「おいぺネム、なんかヤベー空気になっちまったぞ」
満天の星空の下、クリムゾンセラフを飛ばしながら勇輝は不良天使に苦情を言った。
ペネムは姿を見せず念話だけ飛ばしてくる。
(ケッ、笑顔でニコニコ仲良しこよし、なぁんてワケにいくわけねぇだろ。
道ならぬ恋に波乱はつきものだろぉ?
これからこれから)
「テキトーなこと言いやがって」
そう毒づいてみるものの、勇輝にも皇子たちの恋がうまくいくかどうかは分からない。
結婚前からのW不倫。それも男女と女女。
バレたら面白い宮廷ドラマに……ですむ話ではない。どんなことになるやら。
「人生いろいろだなあ」
なんとなく消化不良気味でエネルギーが余っている。
グルンと空中でクリムゾンセラフを一回転させた。
赤いボディが月光に輝く。
眼下を見わたせば白い聖都が光を反射してまぶしいくらいだ。
この白い都市のいたるところでは今、百万以上もの命がひしめきあっている。
「全員もれなくハッピーライフってわけにはいかねえんだろうなやっぱり」
我が家が近づいてくるにつれてだんだん眠たくなってくる。
ファ~ア、と勇輝は大あくびをした。
一方、店に残ったフォルトゥナートだ。
彼はとことん飲みたい気分になってしまったので部下たちを相手にさんざん飲み食いをかさね、とうとう飲み潰れてしまった。
店主に財布を丸ごとほうり投げて店をあとにし、部下にかつがれて彼は自分の部屋に返ってきた。
「ウィ~ック」
部下が用意していった水をベッドの上でガブ飲みする。
いい奴らだ。
いい奴らだがしかし、明日や明後日には死体になっているかもしれない奴らだ。
なぜそんなことを思うのか。
これまでにもたくさんいい奴らが同じ目にあってきたからだ。
いい上司がいた。
いい先輩がいた。
いい同僚がいた。
いい後輩がいた。
みんな悪魔のエサになっちまった。
そして今いい部下にめぐまれたわけだが、こいつらだけ特別なわけがあるかって話。
過去の積みかさねが現在であり、現在の積みかさねが未来である。
過去に起こったことはきっと未来にも起こるだろう。
フォルトゥナートは騎士団長である。いわゆるお山の大将である。
死体の山の、大将である。
ベッドの上に座っていたはずが、いつの間にか死体の山に座っていた。
――寒い。なんだって俺はこんな寒いところにいるんだ。
いつだってフォルトゥナートの胸の奥には、凍てつくような吹雪が荒れ狂っていた。
「酔いすぎだ、貴様」
とつぜん軽蔑した声をかけられて、フォルトゥナートは目をさました。
いつの間にかウトウトと寝落ちしていたらしい。
「不法侵入だぞお前」
「悪所の法に価値などない」
いつの間に来ていたのか、それともはじめから家のどこかにいたのか、目の前に魔人グレーゲルが立っていた。
金色の妖眼が泥酔したフォルトゥナートを見ている。
汚いものを見るような目つきだった。
「しばしこの地を離れることになった」
「あ? ホームシックか?」
チッ、と舌打ちが飛んできた。
あいかわらず冗談の通じない男だ。
「《北》の地に、あのお方がお戻りになる。
いよいよその時が来るのだ」
「……へえ」
「貴様はくれぐれも軽挙妄動をつつしめ。
その命はまだ使いみちがある」
「へえそうかい」
ずいぶんな言い草だったが今さら腹も立たない。
どうでもいい。
こんな寒い世の中の事なんざ、みんなどうでもいい。
泥酔した騎士団長はふたたび夢の国に返っていった。
もう一度舌打ちがあびせられたが、それこそどうでもいいことだった。





