第十七話 涙の中から生まれた天使
紅の熾天使。
あらわれた機兵の姿はまさに真紅の鎧をまとった天使だった。
それも人々を祝福するために現れる優しい天使ではない、邪悪を滅ぼすために降臨する、神の兵士としての天使だ。
『さあさっさと立ちやがれこの残りカス野郎、それともそうやって寝っ転がったままぶっ潰してやろうか!』
――ウグウゥゥ!
巨人が単眼に怒りを燃やして立ち上がった。
『来るぞ、離れろランベルト!』
「は、はい!」
大声に押されるように、ランベルトは走り出した。
走りながら彼は思う。
なぜこんな機兵がこの場に現れたのか。
なぜ勇輝が乗っているのか。
なぜなんの訓練も積んでいない彼女に操れるのか。
彼の胸中にとめどなく疑問が湧き上がる。
だがそんな事をのんびりと考えているひまも無く、謎の天使と悪魔の巨人は激突した。
――ウガアアアッ!
単眼の巨人は、先手必勝とばかりに猛然と突っ込んできた。
その勢いのまま拳をふり上げ、クリムゾンセラフに撃ち込んでくる。
クリムゾンセラフは剛腕の一撃を片腕で受け止めた。
ドゴオォンン……!
巨体がぶつかり合う強烈な衝撃に地面が大きくゆれた。
両者の重量に耐えかねた敷石が数十枚もまとめて砕け、飛び散った破片が周辺を破壊する。
――グガッ、ガアッ、ゴアアッ!
巨人は情け容赦なく左右の拳を撃ち続ける。
五発、十発、十五発、まだまだ止まらない……!
猛攻を受け続けるクリムゾンセラフの腕は、やがて耐久力の限界を超えた。
装甲の一部が砕けて地面に落ちる。
それでもなお反撃せずに、紅い天使は攻撃を受け続けていた。
「何をやっているんだ、まさか動けないのか!」
ランベルトの声にはあせりの色がありありと浮かんでいた。
いくらなんでも殴らせすぎだ。
防御などしょせんは攻撃するための布石に過ぎない。
攻めない者が勝つ事など有り得ないのだ。
クリムゾンセラフとやらの腕はすでに無残なほどゆがみ、その損傷は両肩や胴体にまでおよんでいた。
このままでは搭乗席まで破壊されかねない。
『プッ』
開始早々のピンチの中で、なんと笑い声が聞こえた。
我慢しようとしてもしきれないという感じの、かみ殺した笑い声だった。
『プッ、ククク、クハハハハ……』
クリムゾンセラフが、中に乗っている勇輝が、笑っていた。
『こんなものか、ええ?
お前の力はこんなもんかぁ!?』
紅い天使は大振りの右ストレートをバックステップでかわすと、そのズタボロに傷ついた両腕を悪魔に見せつける。
『効かないんだよそんな攻撃、無駄無駄無駄無駄無駄無駄ああああああっ!』
天使の両腕がまばゆく光り輝く。
その光が収まった時、天使の両腕は何事も無かったかのように元通りになっていた。
「―――ーッ!?」
その場にいたものは、悪魔も含めてみな言葉を失った。
異常、というにもあまりにその頻度が多すぎて、どこからツッコミをいれたらよいやら。
目の前で起こっている事は、あまりにも常識からかけ離れすぎていた。
『ボケッとしてんじゃねえぞおらあああああ!』
全身をすっかり元通りに治した天使が、翼をひと羽ばたき。
首の高さくらいに浮き上がると、そのまま巨人の顔面にドロップキックをぶちかました。
――グワーッ!
巨人は悲鳴を上げながら地面を転がった。
『お前は、弱いな』
身もふたもない雑言をあびせられて、巨人は憤怒の形相になる。
『パワーも足りない、スピードもない、技もないし、駆け引きも知らない』
巨人が右の拳をふり下ろす。
紅い天使はそれを左手で無造作に受け止めた。
『だからそんなお前にできるのは、生身の人間をいたぶって遊ぶ程度の事だ』
クリムゾンセラフの握力で拳がメキメキと悲鳴を上げ始めた。
『笑ってやがったなテメエ、人間殺しまくって、笑ってやがったなあ、アア!?』
巨人は痛みにうめきながら、空いていた左の拳で殴りかかる。
だがそれも楽々とつかまれた。
メキッ、ゴキッ、左右の拳がじょじょに砕けていく。
巨人の顔が泣き顔になっていた。
『テメエも、痛みを、思い知れオラアアアア!』
何人もの命を奪った巨人の両拳が、凄まじい握力によって握りつぶされた。
拳を失った両手首から黒い霧をあふれさせ、巨人は絶叫する。
――ギャアアアアアアア! アアアアアアアッ!
巨人は叫びながら背を向け、たまらず逃げ出した。
だが今さら許すわけがない。
『逃がさねえ!
お前はもう、この世に居ちゃあいけねえ奴だ!』
白い翼を羽ばたかせ、クリムゾンセラフは大空に舞い上がった。
巨人は逃げながら後ろをふり返り、自分を追う天使の姿を探す。
悪魔の単眼にまぶしい夕日がしみる。
暴れだした時すでに傾きかけていた太陽は、今や美しい夕日に変わっていた。
その美しい夕日をバックに、灼熱色の天使が猛禽類のような勢いで急降下してくる。
それが、一つ目の悪魔が見た最後の光景であった。
『ううおおおっ!』
クリムゾンセラフの右拳が悪魔の顔面をとらえた。
殴ったまま大地に叩きつけ、何十メートルも引きずったまま深々とめり込ませる。
『消えろおおおおぉっ!』
顔面に突き立てたままの右手が、黄金色に激しく光り輝いた。
その光が悪魔の全身をズタズタに引き裂いていく。
――ウギャアアアアアア……。
断末魔の悲鳴を響かせながら、巨人はあとかたも無く消え去った。
「……勝った、のか?」
誰かがそうつぶやく。
誰かは分からない。
だがどうでもいい。
口にするまでもなく皆が同じ気持ちだからだ。
取り残された人々は、避難も忘れてその場に立ち尽くしていた。
突然現れた巨大な天使があの凶悪な悪魔を退治した。
自分たちは救われた。
どうにかそれだけは理解できたが、あまりに現実離れした出来事を素直に受け止める事が出来ない。
誰もが戸惑いながら、広場に立つ紅い天使を見上げていた。
その時、子供の大声がその静寂を破った。
「ママ、ママ!」
人々が振り返ると、涙を流して抱き合う母と子の姿があった。
先ほど母親とはぐれて泣いていた少年と、その母親だ。
『な、俺の言った通りになっただろ?』
天使が、いや天使に乗っている少女が、男の子に優しい声で語りかける。
なぜだろう、動くはずの無い機兵の鋼鉄の顔が、優しく微笑んでいるように人々には思えた。
「うん! お姉ちゃんありがとう!」
少年は、はじけるように笑った。
それをきっかけに、誰かがパチパチと拍手を始める。
それに同調した人達が同じように手を鳴らしだす。
やがて大きなうねりとなって、天使の勝利を祝福する大喝采となる。
大声で命の恩人を讃える人々の顔には、再び笑顔が戻っていた。
ところが、拍手喝さいの中から、新しい悲鳴が上がった。
「見ろ! 何だあの煙は!」
見れば遠く離れた場所で黒煙が上がっている。
何か異常が起こっているのは明らかだ。
『ああ、なるほど』
クリムゾンセラフ内の勇輝は、再び声色を低くした。
『どうやら他にも暴れている化け物がいるみたいだな。
だーからいつまで待っても救助がこなかったんだ。クソッタレ』
そう言い捨てて、紅い天使は宙に浮き上がった。
「ど、どうするつもりですか!」
ランベルトの質問に、勇輝は威勢良く答える。
『もちろん、みんなまとめてぶっ潰してやるのさ!』
返事も聞かずにクリムゾンセラフは猛スピードで飛んでいってしまった。
あんなものを人の足で追いかけるわけにもいかない。
ランベルトたちはしかたなく避難民を安全な場所まで誘導することにした。
小一時間ほどもかけて到着した緊急避難場所では、早くも謎の天使の活躍が噂されていたのだった……。





