第十五話 騎士の矜持(プライド)
「い、今のはいったいどういう事?」
クラリーチェが先ほど泣いていた少年の手を引きながら歩み寄ってきた。
彼女の表情にも困惑の色がありありと浮かび上がっている。
「わ、分からない、私に聞かれても、困る」
もしや何かの間違いなのかと思い、ランベルトは機兵の横に立てられている看板を確認した。
『勇敢なる守護機兵の像』と、この国の言葉でハッキリそう書かれている。
『像』。
つまり本物そっくりに外見を整えただけのニセモノだ。
たしか木製の骨格に加工した鉄板を貼り付け、あとはサビ止めの魔法をかけただけの、安易なまがい物だったはずである。
実は聖都にはいくつもこの手の像が点在する。
これはいわば畑のカカシのような物なのだ。
常に聖騎士団がこの聖都を守っているという《象徴》であり、これを見て少しでも民心が安定するようにという願いを込められて造られた、平和を願う《像》なのである。
この国の文字を読めない勇輝がとんでもない勘違いをしてしまった事はしかたがない。
ちゃんとした説明をしなかったランベルトたちが悪いのだ。
だがどうして動いたのか、肝心のそこがまったく理解できない。
勇輝をその腹に飲み込んだ偽物の機兵は、それっきりピクリとも動かない。
片ヒザをついたままの姿勢で硬直していた。
「これはいったい、どうしたものか……?」
ランベルト達が困り果てていたその時、後ろから悲鳴が上がった。
「……しまった!」
即座にその悲鳴の意味を理解するのと同時に、深い絶望が彼の心にのしかかった。
――グウゥゥフフフフフ……。
広場に不気味な笑い声がこだまする。
通り沿いの入り口をふさぐ様に、一つ目の巨人が立ちはだかっていた。
――ウガアアアアア!
巨人は大量の獲物を見つけたことに狂喜していた。
その単眼に宿るのは狂気と殺意。
そしてこれから始まる殺戮の宴への期待感。
「くそっ、最悪だ!」
ランベルトは苦りきった顔で吐き捨てた。
取り残された民衆を守る方法も見つからず。
かといって守るべき女性たちを避難させることも出来ず。
何もかも中途半端なまま、最悪の展開をむかえてしまった。
こんな事ならば勇輝を殴り倒してでもこの場から連れ去るべきだった。
例え極悪人とののしられる事になろうとも、守れる命を守るべきだった。
だがもう遅い。
何もかも手遅れだ。
「やむをえん、かくなる上は……」
覚悟を決めたランベルトは、腰の長剣に手をかけた。
「クラリーチェ、民衆の避難誘導を頼む。一人でも多く逃げ延びさせるんだ」
その悲壮感ただよう指示に、クラリーチェは顔色を変えた。
「そ、それであなたは?」
華麗な装飾のほどこされた長剣を抜き放ち、ランベルトは告げる。
「あの悪魔と闘って、時間を稼ぐ」
「無茶よ!」
「他に方法は無い!」
雷のような怒声に貫かれて、クラリーチェは言葉を失った。
「私たちは騎士だ、民衆の盾として尽くさなければならない!」
「でも、でも……」
目に涙を浮かべるクラリーチェに向かって、ランベルトは優しく語りかけた。
「クラリーチェ、愛しい妹よ、後を頼む」
そのまま振り返ることなく、彼はたった一人で巨大な悪魔の前に飛び出した。
勝てるとは思っていない。
生身で勝てるような相手ならこの世に守護機兵など必要ないのだ。
だからランベルトは覚悟を決めた。
自分は間違いなく死ぬだろう。
だがただでは死なぬ。
一人でも多くの民衆が逃げられるよう、一分一秒でも長く時間を稼いでみせる。
騎士として最後の一瞬まで誇り高く戦い抜いてみせる。
ランベルトは、目の前の絶望に対して精一杯の意地をはった。
「わが名はランベルト・ベルモンド! 汚らわしい悪魔よ、この剣の切れ味を恐れぬのなら、かかってくるがいい!」
――グウウウ!
幸か不幸か、黒い巨人はランベルトの挑発を真に受けてにじり寄ってくる。
「……さすがに、大きいな」
やや離れて向かい合う騎士と悪魔。
それは大人と子猫ほども体格に差のある勝負だった。
ランベルトは巨人とにらみ合いながら、民衆に向かって叫ぶ。
「逃げろ! 私が奴をひきつけている間に、少しでも逃げるんだ!」
その声を合図にして、おびえていた民衆たちが蜘蛛の子を散らすように走り出した。
(そうだ、それでいい、一人でも多く生き延びてくれ!)
ランベルトが民衆に気を取られたその一瞬の隙に、巨人は拳を振り上げ襲い掛かってきた。
巨大な拳がランベルトに迫る!
「なんのッ!」
ランベルトは全身から白いオーラを噴き出し、まるで獣のように俊敏な動きで回避した。
騎士の必修魔法《全身強化》だ。
腕力脚力はもとより、観る・聴く・嗅ぐといった感覚や心肺機能までアップさせる、総合的な増強魔法である。
――グゥアッ、ゴアッ!?
一つ目の巨人は獲物が突然素早くなったことに、多少の驚きを見せた。
地面に深々と突き刺さった拳を抜いて、見失った獲物を探す。
一方、回避したランベルトは、敵の強烈な破壊力を見て冷や汗を流した。
(もうすぐ私もあのように叩き潰されるのかな、フッ)
無残に潰された己を想像すると、そのおぞましさに寒気がする。
だがその一方、彼は奇妙に納得もしていた。
ランベルトは騎士だ。
教会と民衆のために生涯戦い抜く事を誓った誇り高き勇者の一人なのである。
こうして命を懸けた闘いこそ騎士の本分であろう。
卑怯者とののしられて生き残るよりも、いっそ勇敢に死して称えられようではないか!
「いいだろう、望むところではないか!
騎士を志した幼き日より、いつかはこの時が来るものと知れていた。
今日この時こそ、我が騎士道の成就の時なり!」
時代がかった言い回しで己を鼓舞させながら、ランベルトは巨人に向かって駆け出した。
一方、偽物の機兵像に飛び込んだ勇輝である。
彼女は何も無いからっぽの空間に突っ立ったまま、途方に暮れていた。
「どーなってんだ、こりゃ……?」
勢いよく飛び込んだそこは、公衆トイレの個室よりは多少大きいかなというくらいの、ガランとした空っぽの部屋だった。
何も無い。
操縦どころかそのヒントになりそうな物すら、何も存在していないのだ。
「どういうことだ、一体どうすりゃいいんだ?」
ここは操縦席のはずだ。
だったら操縦に関わる様々な物が用意されているはずなのに、何も無いとは一体どういう事なのか?
ランベルトの乗る鷹には穴の開いたベッドみたいな物が入っていた。
だから当然同じような物がこの中にもあるだろうと想像していたのだが、まさかこんな形で期待が裏切られるとは思ってもみなかった。
どうする、どうする。
耐え難いあせりが勇輝の胸を焼き焦がす。
苦しみ悩む彼女の心に追い討ちをかけるように、悪魔の雄叫びが広場に響き渡った。
――ウガアアアアア!
「くそっ、もう来やがった!」
非常にまずい、最悪にまずい。
こちらはまだ何の用意もできていないというのに、ズシン、ズシンという大きな足音が近づいてくる。
もう広場の中にまで入ってきている。
今すぐ何とかしないと。
「くそ、動け、動けよお前!」
半ばやけになって、勇輝は室内の壁をバンバンと叩きはじめた。
「お前は人類を守るために作られた兵器なんだろ、正義の味方なんだろ、だったら動けよ、動いて俺と一緒に戦ってくれよ! 頼む、頼むよ!」
無駄だと思いつつも、勇輝は叫び続けた。
しかしそれで何かが起こるはずもない。
結局ダメなのか。
何かが間違っているのか。
そんな暗い気持ちが胸の奥に広がってきた、そんな時だった。
――が……か……。
――いて……の、……い……。
誰もいないはずの室内で、何者かの声がした。
まるでノイズ交じりのラジオのような、ひどく聞き取りにくいか細い声。
「……誰だ、俺に話しかけているのか?」
――聖……よ、紅…………よ。
――あなた……、私たち……。
少年のような、女性のような、繊細で綺麗な声。
「何だ、聞こえないよ、もっとでっかい声で言ってくれ!」
――やっと……いた。
――耳……ない、心の……で……。
その不思議な声に誘われるかのように、勇輝は自然と目を閉じ、顔を天に向けていた。
声は、いや声ではない不思議な念波は、うっかりすると聞き漏らしてしまいそうなほどか細く、だが確実に天から降り注いでいた。
――やっと聞こえたのですね、私たちの声が。
――この時を待っていたぞ。
波長が合ってきた、とでもいえようか。
声なき声がはっきりと聞こえるようになってきた。
そして天から降り注ぐその声は、勇輝のもっとも望む事を語り始めた。
――さあ急ぎましょう。貴女の使命を果たすのです。





