第十四話 魂の覚醒
「あ、あれだ、あれを使おう!」
指差したその先に、先ほどからずっと立ち続けている巨大な騎士像があった。
悪魔に対抗しうる唯一の手段、この世界最強の兵器、守護機兵。
だが、クラリーチェはため息をつきながら首を横にふった。
「言ったでしょう、この世はおとぎの国ではないと」
なぜ否定されるのか一瞬理解できなかったが、勇輝はすぐに気づいた。
この二人は勇輝の世界でいうところの戦闘機乗りだ、戦車は操縦できない。
さっきランベルトにそんな風な話を聞かされたではないか。
「だっ、だったら」
だったら俺が!
……というその言葉を最後まで言ってしまうほど。
さすがにそこまで幼稚ではない。
さすがに、いくらなんでも。
暴れまわる一つ目の巨人。
逃げ惑う民間人。
目の前に放置された、乗り手のいない人型巨大兵器。
それはまさに例のロボットアニメそのものだ。
たぶん日本で一番有名な。
初代だけでも何回再放送されているのか分からない、伝説級のあの作品。
だが当然ながら勇輝はアニメの主人公ではない。
あんな事、出来るわけがないのだ。
相沢勇輝はごく普通の高校生だ、何の軍事訓練も受けていない。
特殊な能力をもったエスパーじゃない。
人体改造を受けた無敵のサイボーグでもない。
傭兵部隊の軍曹じゃないし、遺伝子操作を受けた新人類でもない。
要するにただの凡人だ、どうしてあんな真似が出来る。
出来るわけが無い。
『自分があの機兵に乗って戦う』なんて、そんな事不可能だ。
不可能なんだ、出来るわけがないんだ……。
勇輝の心に理性という名の鎖が絡みつく。
さらに弱気という名の重石がのしかかった。
動きかけていた情熱という名のエンジンは、胸の奥で暗く冷たく沈黙してしまう。
「行きましょう、ユウキさん」
クラリーチェが悲しそうな表情で手を引いてきた。
これ以上ここにいても何も出来ない。
これは仕方のない事なのだ。
その目が、そう語っていた。
「……うん」
結局うなずいてしまう自分が、心底情けない。
でもこれは仕方のないことなのだ。
現実は厳しい。
アニメのように格好良くいくわけがないのだ。
今の自分は無力で無知で貧弱な女の子なのだ。
どうしようもない事なのだ。
そう自分に言い聞かせて、勇輝は力なく歩き出した。
ザッ。ザッ。ザッ。
石畳を一歩踏むごとに、取り残された人たちから離れていく。
彼らの命を見捨てていく。
(俺は、最低のクズ野郎だ)
自責の念が鋭い刃物となって、勇輝の心を切り刻む。
(何の役にも立たない、生きていてもなんの意味もない)
胸の奥がひどく苦しい。
あまりの不快さに、さっき飲んだジュースが逆流しそうだ。
(これからもずっとこうして状況に流されて生きていくのか、本当にこれでいいのか)
自分自身に対する怒りが嵐のように全身を駆けめぐる。
頭の中がやたらに熱い。
心臓の鼓動は激しく乱れ、キーンと耳鳴りまでしてきた。
(自分だけが無事ならそれでいいのか!
嫌なことは何も見ず、何も聞かず、何も考えず、人間らしい心を捨てて生き続けるのか!
それで満足できるのか、俺は!)
白い石畳の上に涙がこぼれ落ちた。
さらに二滴、三滴とこぼれ落ち、しみが広がってゆく。
(俺は、俺は……っ)
勇輝が良心の呵責に耐え切れなくなってきた、その時。
「ウワアアアアーン! ワアアアアン!」
広場に、子供の泣き声が響き渡った。
(あの子は、確か……)
子供が握り締めている騎士の人形に見覚えがあった。
つい先ほどこの広場で母親と一緒に歩いていた少年だ。
「ママ、ママぁー!」
どうやら母親とはぐれてしまったらしい。
人ごみに紛れてはぐれてしまったのか、それともまさかあの一つ目の巨人に……。
「ウワアアアアアアアアアアアア!」
少年が泣いていた。
恥も外聞もなく、必死に助けを求めて泣き叫んでいる。
火がついたように泣き叫ぶその姿を見て、勇輝の心はフラッシュバックを起こした。
――ウワアァァン、ワアァァァン!
――男の子がメソメソ泣くんじゃないよ、格好悪い!
幼い頃、祖母はよくそう言って、泣きじゃくる勇輝を励ましたものだった。
泣く理由は様々だ。
死んだ両親に会いたいと言っては泣き。
喧嘩に負けたと言っては泣き。
お前の家は貧乏だとバカにされては泣き。
そんな時、祖母は勇輝を抱きしめてずっとなぐさめてくれた。
そして、いつも通りにこう言って聞かせるのだ。
『お前は偉い人や金持ちになんて成らんでもええ。
人として正しく生きれ。
誰に対してもまっすぐ顔向けできるように、素直に正直に生きれ』
勇輝はその言葉にいつもうなずき、そしてその通り生きてきたはずだった。
「……そうだった、そうだったよな」
ここで逃げたらきっと一生悔やむだろう。
思い出すたびにやましくて死にたくなるだろう。
そんな人生に、何の価値がある。
勇輝は空を見上げた。
それは勇輝の知っている空ではないけれど、同じかそれ以上に美しい澄んだ空だった。
(きっとこの空はばあちゃんのいる所にはつながっていない。
俺のやることは、もうばあちゃんの目には届かない。
でも、それでも)
あふれ出る涙をぬぐい、表情を引き締める。
(俺は、やるよ)
勇輝はクラリーチェの手を振り払った。
「ユ、ユウキさん?」
クラリーチェの制止を振り切って、猛然と走り出した。
そして今も泣き叫んでいた少年の前に着くと、少年の肩に手を置いて優しく話しかける。
「どうした、男の子がそんなにワーワー泣くもんじゃないぞ?」
少年は弱々しい表情で勇輝を見つめていた。
きっと昔の勇輝も同じような顔をしていたに違いない。
勇輝は祖母がしてくれたのと同じように、少年の頭をなでた。
「もう大丈夫だからな。
お前のお母さんはすぐに見つかるさ。
それに……」
勇輝は、通りの向こうを睨みながら言った。
「お前たちを怖がらせる悪い奴は、すぐ雪みたいにとけて消えちまうからな」
「ほんとう……?」
「ああ本当だ、この兄ちゃんに……じゃなかった、姉ちゃんにまかせておけ!」
ドンと胸を叩いて威張っているところに、ランベルトたちが駆けつけてきた。
「何をやっているんです、早く行かないと!」
「ランベルト、やっぱり俺、逃げるのはやめたよ」
「え、ちょっ」
一方的に相手の言葉をさえぎって、勇輝は少年をランベルトに押し付けた。
「この子の母親を探してやってくれ、まだ近くにいるはずだ」
そう言い残して、再び走り出す。
後ろでランベルト達が何か叫んでいる。
だがもうのんびり聞いてなどいられなかった。
ズシン、ズシンという振動が、通りの方角から近づいてきている。
とうとうあの一つ目の悪魔が動き出したのだ。
もう一刻の猶予もない。
やるしかないのだ、他でもない勇輝自身が。
守護機兵の足元にたどり着いた勇輝は、まず昇降装置の場所を探した。
縄ばしごらしき物はどうやら存在しない。
だったら何かしらの昇降装置が存在しているはずで、だとするとそれは足元にあるのが道理というものだが……。
「ユウキさん、馬鹿な真似はやめてください!」
どうやら勇輝の意図に気付いたらしく、ランベルトがさけぶ。
「仕方ないだろ、他にどんな方法があるって言うんだ!」
怒鳴り返しながらも、勇輝は足元の探索を怠らない。
「そうではなくて、それはダメです、その機兵は動きません!」
「やってみなけりゃ分かんねえだろ、そんな事!」
消極的なランベルトの言葉を、勇輝は一蹴した。
(くそっ、どこだ、どうやって乗り込むんだ……)
こんな事でもたついている暇はないのに、急がなくてはいけないのに。
勇輝は祈るような気持ちでさけんだ。
「有るはずなんだ、『昇降装置が有る』はずなんだッ!」
叫びながら右手で機兵の足を殴った。
金属製の足がガン! と大きな音を立てる。
その瞬間、勇輝の手元が激しく光った。
「うおっ!?」
突然のことに目がくらむ。
太陽光の反射か!?
それにしては突然すぎないか!?
当然おどろき、一、二歩あとずさる。
光はすぐにおさまった。
するとそこには勇輝が捜し求めていた物が。
ぽつんと、手のひらサイズの小さな扉がある。
その小さな扉を開くと、中に一個だけスイッチがあった。
(あれーおかしいなー、こんな目立つ場所にあったのに、なんで気づかなかったんだ?)
首をひねりながらも、押してみる。
すると。
ガリガリガリ……!
ゴゴン……!
騒々(そうぞう)しい金属音と共に、胸部ハッチが開いた。
同時にピクリとも動かなかったこの鋼鉄の塊が、まるで臣下の礼をとるかのように片ヒザをついて、『ここに乗れ』とばかりに左手を差し出してくるではないか。
「いよおぉぉしキタコレっ!」
「ば、馬鹿な、そんな馬鹿な!?」
やけに大げさな驚き方をしているランベルトを無視して、勇輝は機兵の左手に飛び乗る。
すると守護機兵はその胸元に勇輝を運んだ。
「大丈夫、時間稼ぎくらいはやってみせるさ、まかせてくれ!」
そう言って勇輝は機兵の胸部に勢いよく飛び込んだ。





