第十三話 ヒーローたちの苦衷(くちゅう)
――ウガアアアアアアアァァ!
そこで叫んでいたのは、三階建ての建物よりもさらに頭一つ飛び出した黒い巨体。
見上げるような人型の怪物が雄叫びを上げながら街を破壊していた。
まるでギリシャ彫刻のように筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)としたその肉体。
そいつの顔には、眼が一つだけしかなかった。
まさに神話に出てくるような一つ目の巨人だ。
先ほどから周囲に鳴り響いている破壊音は、そいつが暴れまわって建物を壊している音だった。
「馬鹿なっ、こんな街中にまで侵入を許すなど、監視塔は何をやっていた!」
いつの間に追いついていたのか、ランベルトたちが勇輝の隣に並んでいた。
「ここにいては我々も危険です、早く避難しましょう!」
その言葉は勇輝の耳に届いていなかった。
彼女はただぼんやりと目の前の光景を見つめている。
目の前で起こっている事態に、心がついていけなかった。
白く美しいこの街が、巨人の大きな拳によって文字通り手当たり次第に破壊されていく。
あんなに楽しそうにしていた人々が、泣き叫びながら必死に逃げている。
たった一体の巨人のせいで、素晴らしい大切なものたちがメチャクチャになっていく。
なぜ、どうして、こんな事に?
「あれも悪魔!?」
「ええ、亜人類・一つ目種。狂暴で血に飢えた強敵です、さあ早く!」
乱暴に手を引かれて勇輝も走り出す。
その時、勇輝はその紅い瞳で、世にもおぞましいものを見てしまった。
おそらく建物の壁面が砕かれて落ちたのであろう。
瓦礫が山となって道を急ぐ人々の障害となっている。
そのがれきの山の下から『赤いペンキのようなもの』が大量にあふれ出していた。
ちょっと横には『糸のきれた操り人形みたいなもの』や『トマトケチャップを山ほどぶっかけたような物体』が、たくさん、たくさん転がっている!
「ラ、ランベルト、あれ、あれは……!」
「見てはいけません!」
ランベルトは大声で怒鳴った。
否定すれば無かった事になるとでも言うかのように。
「なんで、なんでこんな事が」
勇輝は走りながら、ふるえる声でランベルトを非難した。
「騎士団は何をやっているんだ、守護機兵はどうして来ないんだよ!」
「今頃はすでに出撃準備を整えているはずです、もうすぐ必ず救助に来ます」
「もうすぐって一体いつだよ! もう人が死んでいるんだぞ! 遅すぎるだろ!」
「…………」
ランベルトは、何も言い返さずに黙ってその非難を受け止めている。
「どうしてこんな、ここは聖都なんだろ、人類の希望なんだろ、ずっとこのまま平和であって欲しいって、言ってたじゃないか! それなのにどうしてこんな事になんだよ、もっとちゃんと仕事しろよッ!」
一方的な難癖を続ける勇輝の態度に、横にいたクラリーチェが我慢の限界をこえた。
「いい加減にして! だったらアンタが自分でしなさいよッ!」
突然の豹変ぶりに、勇輝は息をのんだ。
「ここはおとぎの国でも舞台の上でもないの、現実なの! たった一匹、侵入されただけでぶち壊しになるのが、この世の現実なのよ!」
その目に怒りと苦悩の涙が光っているのを見て、勇輝は自分がいかに無神経な台詞を叫んでいたのか気づかされた。
「ごめん」
「……分かってくれればいいんです」
クラリーチェは正面を向いたまま、硬い表情でそうつぶやく。
「ランベルトも……」
名を呼ばれて、ランベルトはうつむきながら返事をする。
「あなたは、間違った事を言ってはいません」
きっと己の無力を責めているのだろう。
その横顔は苦渋に満ちている。
「……ごめん、無神経で」
勇輝の言葉に、ランベルトは無言でうなずく。
三人はそれ以上何も言わず、ただ黙って破壊と殺戮の現場から逃げた。
先ほど休んでいた広場には、すでに多くの避難民たちが集まっていた。
勇輝たち三人もひとまずそこで息をつくことにする。
「主よ、我々の身が無事であった事を感謝いたします」
クラリーチェが手を合わせて祈りを捧げている。
大げさだともいえなかった。三人ともちょっとした間違いが起これば死んでいたかもしれないのだ。
現にそういう人たちを何人も見てきたばかりだった。
「う、わ……、ハハッ、足が、ハハッ、今さら……」
不覚にも広場についた途端に、勇輝は膝がガクガクふるえ出した。
先ほど見た悲惨な光景を思い出して、今さらながら恐怖心がわき上がってきたのだ。
なぜか顔が無意味に笑顔をつくる。笑い声が出る。
脳の防衛本能というやつなのだろうか。
怖い。
ただひたすらに怖いものを見せつけられてしまった。
殺意に満ち満ちた黒い巨人、あんなに露骨な恐怖の象徴がそうそうあるだろうか。
「さあ、安心するのはまだ早いですよ。もっと遠くまで避難しなくてはいけません」
ランベルトの言う通りだった。
あの一つ目巨人が本気で走り出したら、この程度の距離など十秒もかかるまい。
だから今はできるだけ遠くまで逃げておかなくてはいけなかった。
「う、うん、でも」
勇輝はためらいながら、周囲を見回した。
「ここにいる人たちは、どうなるんだ」
この広場には、息を切らして路上にへたり込んでいる人たちが何十人も残っていた。
身軽な者たちはとっくの昔に避難してしまっている。
ここに残っているのは怪我人や老人、妊婦などの体力弱者と、その付き添いがほとんどだった。
杖をついた老人やお腹の大きな妊婦さんがここまで無事に逃げてきたということ自体、よくやったとほめられるべきだろう。
この人達にさらなる努力は期待できそうにない。
だがそれでもあの巨人との距離は大して開いていないのだ。
事態は一分一秒を争う、あいつが新たな獲物を求めて移動し始めるその前に、ここに居る人たちは避難しなくてはならない。
「早くなんとかしないと、急がないとあいつがこっちに来てしまうぞ!」
「………………」
だがランベルトはとても苦しそうな表情で、血を吐くようにこう言ったのだった。
「……もうすぐ、救助が来ます。
この人たちは、それまでの辛抱……です」
自分たちに出来る事は無い。
だからこの人達は見捨てて自分たちだけ避難しようと、遠まわしにそう言うのだ。
「ふっ……」
ふざけるな、その一言を勇輝は辛うじて飲み込んだ。
文句を言うだけなら誰でも出来る。
だが「ならばたった三人でどうやってこの人数を助けるのだ」と問われても、答えられない。
ランベルトだって自分の命が惜しくてこんなことを言っているのではないはずだ。
勇輝とクラリーチェ。
二人の女性を守る義務があるからこそ、あえて苦渋の選択をしているのだ。
彼の提案を冷酷だと非難するだけなら誰にでもできる。
だが非難するならその者がかわりに、ここにいる全員を救う手段を示すべきではないのか。
それが人としての責任というものではないか。
そんな想いが、薄っぺらい偽善の言葉を封じ込めた。
「……っ!」
勇輝は荒ぶる感情を抑えるために唇を噛んだ。
人命救助の方法なんて自分は知らない、考えた事も無い。
だがここにいる全ての人たちを見捨てて自分だけ生き残るという事もできない。
そんな卑怯な人間にだけはなりたくない。
どうすればいい、自分はいったいどうすればいいのだ。
こんな所で死ぬのは嫌だ、だが残された人たちを見殺しにするのも嫌だ。
どうすればいい、何か方法は無いのか!
叫びたいほどの苦悩に天を仰いだその時、勇輝は、視界のはじっこにその『方法』を見つけた。





