第十二話 悪(ピー音)実ではありません
それからもクラリーチェのショッピングツアーは休むヒマもなく続いた。
靴にバッグにアクセサリー、生活必需品から化粧品にいたるまで。
クラリーチェは実にありとあらゆる店を渡り歩いては、品物を一つ一つ吟味し尽くしてから会計を済ませる。
初めのうちこそ周囲の視線を恥ずかしがってああだこうだと文句を垂れていた勇輝だった。
だが果てしなく続く買い物地獄に疲れきって、最終的にはクラリーチェの言いなりになってしまう。
一方ランベルトはというと、こちらはもはや肉体的ダメージが抜け切ったあたりから悟りの境地に達したらしく、黙って荷物持ちに徹している。
こうして買い物のメッカを練り歩くこと数時間。
勇輝たちはようやく全スケジュールを消化する事ができたのだった。
現在三人は大量の荷物を抱えたまま、広場のベンチに腰掛けている。
「つ、疲れたあ」
「そうですね、少し疲れてしまいました」
疲れた、というわりにはクラリーチェは満面の笑みを浮かべている。
もともとストレス発散にショッピングをするクチなのだろう。
ヴァレリアの金とはいえ、盛大に現金を使いまくった快感に彼女は恍惚となっていた。
「何か飲み物でも買ってきましょう、待っていてください」
そう言い残して彼女は立ち上がった。
足取りは軽やかに、鼻歌まじりで去ってゆく。
疲れているようには全く見えない。
「いやー単なるカタブツかと思っていたら、中身はしっかり女の子だねえ……」
「ええ、クラリーチェはああ見えても普通の女の子なんですよ。
少々人使いが荒くて、他人に厳しいのは事実ですがね」
「あははは」
大量の紙袋を抱え込む者どうし、大いに笑いあう。
「あー、平和だなあ……」
することもなくベンチに腰掛けていると、ついそんな言葉がこぼれた。
昨日も今日もろくでもない目にあっているというのに、この場はまるで別天地である。
だらしない姿勢で休憩しながら、勇輝は人々を見やった。
勇輝が暮らしていた世界とは様々な点が違うが、それでも人々は栄え、それなりの暮らしを送っている。
この広場に集まる人々の笑顔がそれを物語っていた。
ベンチに腰掛けて愛を語り合う恋人たち。
片手で騎士の人形を振り回している少年、その子の手を引いている母親。
酒瓶を片手に早くも酔っ払って、えたいの知れない歌をうたっている赤ら顔の中年男。
少し離れた所では人垣ができていて、そこでは顔にペインティングをほどこした大道芸人たちがジャグリングや手品などを見せて人々を楽しませている。
そして柵で囲われた植え込みの奥には、人々を見守るように仁王立ちしている鋼鉄の巨人、守護機兵の姿があった。
二本の足で直立して人々を見下ろしているその様は、まさに守護神のようだ。
この世界にも苦労が無いわけではない。
悪魔という天敵の脅威がつねに付きまとっていて、人々の生命を脅かし続けている。
貧民窟は明日をも知れぬ貧困者たちであふれ、犯罪の温床となっている。
だがそれでも人々は今を生きている。それはきっと素晴らしいことだ。
人は人として生きているだけで尊い、といったのは誰だっただろう。
前の世界にいたとき、無料動画サイトの歴史系動画でみたのだが、誰の言葉なのかは忘れてしまった。
「なんだかさ、良いよね、こういうの」
「え?」
突然そんな事を言われて、ランベルトは聞き返した。
「ランベルトはさ、ここが『人類の希望・永遠の都』だって俺に言ったよね」
彼は深くうなずく。
「その意味、俺にも分かる気がするよ。
ここはとても素敵な所だ、ずっとこのままあり続けて欲しいと俺も思うよ。
何十年も、何百年もこんな風に平和であって欲しい」
「……はい、そうですね。私もそう思います」
ランベルトは何かを思い出すかのように遠い眼をする。
「だからこそ私は騎士になりました、この祖国を守るために」
「おおー、カッコイイ事言うねえ!」
勇輝の屈託のない笑顔につられて、やがてランベルトも口元をゆるませた。
微笑み会う美男と美少女。
周囲の人間たちには、さぞ似合いのカップルに見えたことだろう。
だが、いつまでもその雰囲気を維持できないのが勇輝という『少年』のサガだ。
「いいよねえ……」
うっとりとしながら、勇輝は広場の反対側に立つ鋼鉄の巨人を眺めた。
おそらく乗り手は入っていないのだろう、人型の巨人は直立したままピクリとも動かない。
「守護機兵だったよな。やっぱ巨大ロボットは漢のロマンだよな!」
「は……?」
唐突に話題を変えられてランベルトは目を白黒させた。
だが勇輝の、つまりアニメ好き少年の思考回路としては、それは決して飛躍した話題ではなかった。
勇輝は「よっ」と声を出して立ち上がると、身振り手振りを加えながら情熱的に語る。
「愛する国を守るため、ロボットに乗って巨大な敵をぶっ倒す。
くーっ漢のロマンだぜ!
世のため人のため、正義の剣が悪を断つ!
くっそー、俺もそんなのやってみたいなあ!」
拳を突き出したり振り回したりして舞台役者のモノマネのような事をしている様は、まるで五つか六つの少年のようだ。
「ランベルト、あれを動かしてよ、あの機兵にも乗ってみたい!」
無邪気な勇輝の要求を、ランベルトはおだやかに断った。
「無理ですよ、そんな簡単に乗りこなせるような代物ではないんです。
一つの機兵を乗りこなすだけでも長く厳しい訓練を要します。
私は自分の『銀の鷹』以外乗れないんですよ」
戦闘機と戦車の違いみたいなものだろうかと、勇輝は推測する。
「えーっ、じゃあクラリーチェも?」
「ええ、彼女も私と同じ『銀の鷹』乗りですよ」
「ちぇーっ」
露骨にすねる勇輝を見て、ランベルトは笑った。
「ハハハ……」
「笑うなよ、あんたにだって気持ちは分かるだろ。だから騎士になったんだろ?」
「まあ確かにそうですがね、実際の戦争を知ってしまうとなかなか子供時代のようには」
「……俺がガキっぽいって言っているように聞こえるんだが?」
「おや、それは翻訳ミスでしょう、聞き間違いですよ」
ランベルトの薄笑いを見て、勇輝はケッ、と喉を鳴らした。
ランベルトはその無邪気な態度を見て再び笑っていたが、ふとある事に気付くと慌てて顔をそむけた。
「ユ、ユウキさん、活発なのはまことに結構ですが、服装の事も少しは考えてください」
「はあ?」
その言い方が回りくどくて、勇輝には何の話なのか伝わらない。
「なんだなんだ? さっきは鼻の下を伸ばしていたくせに、今度はケチをつけるのか。
いったいなんだって言うのさ」
服装にケチを付けられたのだと誤解した勇輝は、フンと鼻を鳴らしながら虚空に向かって右のローキックを一つ放った。
ただでさえ危うい短さのスカートの裾がヒラヒラと宙を泳ぐ。
「だっ、だからーっ!、
年ごろの女性がそんな格好でそんな真似をしては……!」
「ああん?」
その時、イタズラ好きの風の妖精が悪さでもしたのか、一陣の強風が吹き上がった。
その風を受けてミニスカートの『中身』がダイナミックにあらわとなる。
勇輝はあっという顔をしたが、もう遅い。
すでに周囲の男たちから「オーウ」という声が上がっていた。
大股を開いていた可憐な脚線美の根元にかくされていたのは、清楚な純白。
「う、うおわあああっ!?」
いささか色気が足りないその悲鳴に、のぞき込んでいたスケベ男どもは一斉に笑い出した。
ヒューヒュー!
ピーピー!
なかには口笛を吹いてからかう露骨な男たちもいて、勇輝はそんな男たちをキッとにらみながらスカートのすそを押さえつける。
「気付いているなら早く言ってくれよ!」
「言ったけどあなたが気付かなかったんでしょうが!」
二人が顔を赤くして不毛な言い争いをしている間に、ようやくクラリーチェが帰ってきた。
「何を騒いでいるの?」
紙袋を抱えていた彼女は、その奇妙な空気に首をひねった。
「お待たせしました、すぐ用意しますね」
クラリーチェが買ってきてくれたのは、両手にスッポリ収まる大きさの果物だった。
黄色の地に黒い渦巻き模様がいくつも走っている、クリームスイカの珍種みたいな外見だ。
……なんというか、食べたら特殊能力が身に付きそうな外見。
「飲み物を買いに行ったんじゃなかったっけ」
「ええ、アナナスっていう、ごく普通のジュースフルーツですけど」
「ジュースフルーツ? フルーツジュースじゃなくて?」
「ええそうです」
そう言って彼女は小剣を取り出し、アナナスとやらの上部を切り飛ばした。
切断面にストローをさして勇輝に差し出す。
南国のココナッツジュースのような物か。
「さあどうぞ」
受け取った果物の中には半透明な黄色い液体がたっぷり詰まっていた。
おそるおそる口をつけてみると、味はパイナップルによく似た甘酸っぱい味わい。
「別に毒など入ってないでしょう?」
クラリーチェにそんな事を言われて、勇輝は決まりが悪そうに頭をかいた。
「うん、普通のパイナップルジュースだ」
「パイナップー? それはどんな食べ物です?」
同じくアナナスジュースを受け取っていたランベルトにたずねられて、勇輝は説明する。
「うん、黄色っぽい表面で、皮がゴツゴツ硬くて、ちょっと尖っていて痛い果物。
味はこれに良く似ているけど、水気はこんなにないから小さく切って果肉をかじるんだよ」
勇輝の説明に、二人はなぜか嫌そうな顔をした。
「ゴツゴツ硬くて尖っている……?」
「どうしてそんな岩石みたいな物を無理して食べなきゃいけないんです?」
先に自分がアナナスを不審がった前科があるので、勇輝は苦笑いするしかない。
「ぶ、文化の違いかな」
あいまいな返答に、二人はウーム、と難しい顔でうなるのだった。
それからしばらく、三人はベンチに腰掛けて休憩を取った。
陽はやや傾きかけ、空の片端から赤みが増してきている。
もうすぐこの青い空は真っ赤な夕焼けに染まるのだろう。
そんな事を考えながらぼんやり空を眺めていると、教会の鐘が一斉に鳴り出した。
ガラーン、ガラーンと。
あるいはリンゴーン、リンゴーンと。
聖都中の鐘が一斉に鳴り響いているので、四方八方から鐘の音が響いてくる。
まるで鐘の音に全身が包まれているかのようだ。
「さて、そろそろ屋敷に帰りましょうか」
「え、もう?」
「夕方の清めの鐘は、帰宅の合図ですよ」
そんな風に言われてしまって勇輝は少しがっかりした。
あと数十分も時が流れれば、本格的に日が傾くはずだ。
この広場が夕焼けに染まる姿はさぞ美しいだろう。
それを見ずに帰らなくてはいけないというのは、ちょっともったいない事だ。
「さあユウキさん。早くしないと暗くなってしまいますよ」
「う、うん」
勇輝は名残を惜しんでもう一度だけ広場を眺め回した。
そして相変わらず直立している守護機兵の所で、目線が止まる。
(……またな、デカブツ)
奇妙な親しみを込めて、勇輝は心の中で別れのあいさつを言った。
もちろん鋼鉄の巨人は身動きひとつしない。
彼女が背を向けて歩き出した、次の瞬間だった。
ズゥン!
大きな物音が、前方、通りの方から響いてきた。
何か大きな物が地面に落ちたと思われる、物騒な気配だった。
ドズゥゥン!
まただ、しかも今度はさっきよりも近い場所から聞こえる!
「一体何の騒ぎだ?」
わけが分からず立ち尽くす勇輝の前に、悲鳴を上げながら人々が飛び出してきた。
それも一人や二人ではない、何十人という人の群れだ。
その人々の表情にはありありと恐怖が浮かんでいた。
恐怖に顔をゆがめた人間の群れが、凄まじい悲鳴を上げながらこちらに逃げてくる。
「あっ、ユウキさん!」
とっさに勇輝は、人の流れに逆らうように走り出した。
(なんだ、ものすごく嫌な感じがする。とんでもなくヤバそうな、嫌な感じだ!)
なぜか勇輝はその嫌な感じに向かって全力疾走していた。
どうしてそんな事をしているのか、勇輝自身にもよく分からない。
だがそうしなければならない。
そうしたいという逆らいがたい衝動が彼女の身体を突き動かすのだ。
そして勇輝は、その『嫌な感じ』の正体を目の当たりにしたのだった。





