勇気の記録
ルカはなにやら得体のしれない衝動に突き動かされ、でたらめに施設内を歩きまわっていた。
なぜこんな所に子供が? と不審がる人も多かったが、後ろについているエッガイの姿を見てなんとなく察していくようだった。
ああまた聖女がらみか、と。
こんな珍妙な物体を作るのは聖女ユウキくらいしかいない。
どうせ長官の許可は得ているのだろうし放っておこう。
そんな感じでジロジロと好奇の視線にさらされながらも、誰に邪魔されることなくルカは歩きまわる。
モヤモヤする不快感にルカはとまどっていた。
最強のクリムゾンセラフが倒れて動かなくなった。
そのクリムゾンセラフから助け出された聖女のお姉ちゃんが、気絶したまま死んだように動かなかった。
なにか見てはいけないものを見てしまったような気がする。
聖女は強くて、かっこよくて、優しくて。
でもさっきのアレは、そのどれでもなかった。
しかしどれでもなかったからって、どうだっていうんだ。
どうしてこんなに嫌なのだ。
『ルカ』
ずっと静かについてきていたベータが話しかけてきた。
『どこへ向っている』
抑揚の少ない、大人の男性の声。
ピクリとも動かない鋼鉄の顔と相まって機械的という表現がピッタリだ。
いつの間にか二人は屋外に出ていた。
あちこち移動したせいでもう夕方になろうとしている。
家へ帰る時間だ。
「べつに……」
ルカは歯切れ悪く、小さな声で返事をする。
『目的は無いのか』
「……」
『人間は、目的がないのに動くのか』
「……」
ベータの心はまだ赤ちゃんなのだと、ルカは伝えられている。
こんな流暢に喋る赤ちゃんなどいないのだが、そこはそれ。
分からないことは教えてあげるのがルカの役目だった。
「なんか、うごきたくなるんだよ」
『そうか。なんかとは、何だ』
「なんかはなんかだよ!」
ルカはベータの身体を叩いた。
卵のカラがボヨンと弾む。
安全対策でフワフワの柔らかボディに作り直されているのだ。
「うわっ」
逆にはじかれてルカの態勢が大きくくずれる。
『危ない』
ベータはルカの身体をがっしりと捕まえた。
「むー!」
柔らかボディに抱きしめられて、ルカはどっちが赤ちゃんだか分からないと思った。
『ルカ』
「なんだよ」
『ルカは今、不機嫌なように見える』
「……」
『なぜ、不機嫌なのだ』
ルカは多少落ち着きをとりもどし、ゆっくりベータから離れた。
「……よくわかんないよ」
うつうつと考えながらベータの身体に触れる。
モチモチのプニプニだ。
モヤモヤする今の気分にまったく合わない。
「こわかった、かも」
モチモチをムニムニ触りながらつぶやき始める。
「サイキョーなのに、なんであんなになっちゃうのかなって。
いつもわらってたのに。
こわいことなんてゼンゼンないはずなのに」
ムニムニムニムニ。
歩くのをやめたかわりに今度はベータの腹をずっといじっている。
人間の精神というのは、感情を処理するためにこういう無意味な行動を必要とする時があるのだ。
「……」
言うだけ言って、ルカはまた沈黙してしまう。
『ユウキ様は、怖くない戦闘というものをあまり体験したことがない』
「えっ?」
『ベータの内臓データにはユウキ様の全戦闘データが記録されている。
聖女の戦いは常に過酷だ。何度も死にかけている』
「ウソ!?」
『嘘ではない、真実だ。
そしてユウキ様は世界最強でもない』
「えっ」
ベータは東の空に手をむけた。
『この方向のはるか彼方にエウフェーミア様というユウキ様の造物主がいる。
エウフェーミア様はクリムゾンセラフと同じ天使を十二体も持っている』
ルカはイヤイヤをするように首を何度もふった。
「わかんない、ぜんぜんわかんない」
『何がわからないのだ』
「だって」
『だって、何だ』
ルカはベータの身体にポフっと顔をうずめた。
「おねえちゃんは、かっこよくなきゃダメなんだもん」
『ルカの言う格好良いというものがベータには分からない。
一番でなければ格好良くないのか』
顔をうずめたままルカは首をふる。
『ルカ、ユウキ様が初めて戦ったのは、ルカを守った時だ。
あの時のユウキ様は格好が悪かったのか』
「そんなことないよ! かっこよかったよ!」
『そうか。しかしあの時のユウキ様は今よりずっと弱かった。
ルカを守るために勇気を出したのだ』
「勇気?」
『そうだ。勇気とは恐怖に負けない心。抗う心だ』
「勇気……」
『聖都を守る聖騎士たちにとって最も重要なのが勇敢さ、つまり勇気なのだという。聖女にとっても同じなのではないだろうか』
ルカは顔をあげ、ベータの鋼鉄の顔を見つめる。
「ボクにもあるかな、勇気」
『ある、とベータは予測する』
ウン、とルカはうなずいた。
少女の小さな体から金色の魔力がうっすらとあふれてくる。
栗色の瞳に、赤い光が宿っていた。





