第十一話 クラリーチェのショッピングツアー
「うおー、すっごい賑わっているね!」
目の前を行く数え切れないほどの人の群れ。
三人は、聖都で最も人のにぎわう繁華街の中心、リネット大通りを訪れていた。
「それはもう、ここは人口百五十万人を誇るラツィオの民衆が集う、買い物の名所ですからね」
「へえー、物がある所に人が集まるっていうのは、どこでも共通なんだな。アニメショップとかは……あるわけないか」
ちなみに勇輝の頭の中にある『物がある所』というのは言わずもがな、電気製品とアニメグッズの聖地『秋葉原』である。
相沢勇輝はいわゆるアキバ系とかオタクとかマニアとか言われる類の人種だ。
だから買い物というと、どうしてもファッションなんかよりも漫画とかフィギュアとかゲームとか……いわゆる『そっち系』のシロモノに意識が引っ張られていく。
だが残念ながらそんな店がこの世界にあるわけは無い。
勇輝は望郷の念に打ちひしがれた。
「本屋や子供の玩具店ならばいくらでもありますけど……あ、ここです!」
クラリーチェの表情が急に明るくなった。
カタブツの女軍人から、歳ごろの少女らしく変わる。
彼女が目を輝かせながら見ていたそこは、若い女性用の洋品店であった。
「ここ、雑誌とかで紹介されている人気のお店なんですよ、さあ……って、どうしました?」
クラリーチェとは反対に、一緒に歩いていた男女はそろって背をのけぞらせていた。
「お、女物か、いや仕方ないけどさ……」
「じ、自分はこういう場所は行き慣れないので、外で待っているよ」
グズグズとした二人の態度を見て、クラリーチェは口のハーブスティックをイライラと上下させた。
「何を言っているんです、さあ行きますよ!」
たじろぐ二人を引きずり、クラリーチェは店の中に突入した。
「さあさあ、スケジュールは目一杯つまっているんです。
さっさと可愛い服に着替えて次のお店に行きますよ。
ランベルトも、怖がっていないでさっさとついてきてください!」
「こ、怖がってなどいないだろう!」
「あー、なし崩し的に女あつかいされていくなあ俺ー」
ぼやく二人をクラリーチェは華麗にスルーして、店内に引きずり込む。
入り口をくぐるとそこは、ピンク色の異空間だった。
「ねえ、あの人さっきからあんな所で何をしているのかしら?」
「しーっ、聞こえるわよ。おおかた恋人の買い物に付き合わされているのよ、きっと」
(な、なにやらおかしな誤解をまねいているような気がする)
女の子だらけの可愛らしい空間にランベルトはただ一人。
棒立ちでずいぶん長いこと待たされていた。
それだけでもはなはだしく居心地が悪いのに、周囲の女の子たちがこちらを見ながらヒソヒソと内緒話をしてくるのだ。
「いいなー、あんなに素敵な騎士様を待たせるなんて、どんな女の子なのかしら?」
「さっき見たわ、真っ黒い変な服を着た女よ。なんであんなのと付き合っているのかしらね」
(交際などしていない、誤解だ!)
ランベルトは心の中で激しく否定した。
「えーっ、なんかショック~」
「ちょっと声が大きいわよ、聞こえたらどうするのよ」
(もうすでにシッカリハッキリ聞こえている!)
自分は不審人物の監視というれっきとした任務のためにこうしているのだ。
色恋などという浮ついた理由では断じてない。
そもそもなぜあんな猛獣のように品の無い少女と自分が交際しなくてはならんのだ。
自分はもっと穏やかで慎ましやかな、そう、ヴァレリア様のような貴婦人をこそ求めているのだ。
いくら外見が美しくとも、あのようなじゃじゃ馬に我が騎士道を捧げるつもりは毛頭無い!
――と声に出して言ってやりたいが、それを出来ないのが隠密任務の辛いところである。
ランベルトは耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでその場に立ち続けた。
ちなみに、なぜ女の子たちがランベルトの事を騎士だと分かったのかというと、それは彼が豪華な装飾のほどこされた長剣を腰に帯びているからだ。
この聖都では治安維持のため、官憲と騎士以外の者は小剣以上の長さをもつ刃物の所持を禁止されているのである。
それはさておき。
そんなこんなで一時間ほども時が流れただろうか。
女の買い物の長さにいい加減我慢の限界がきていた時である。
キィ、と小さな音を立てて奥の扉が開かれ、クラリーチェが出てきた。
「……お待たせしました」
まったくだ、という顔でランベルトは肩をすくめる。
「さあ、まだまだ予定があるのだろう、さっさと次へ行こう」
もうこんな所は御免だと言外に匂わせて、ランベルトは出口を手で示した。
「………………」
だがクラリーチェは妙に深刻そうな面持ちでうつむいていた。
口のハーブスティックまでが、どこかしおれている。
「どうかしたのかい?」
クラリーチェは、なぜか着替えた勇輝を見せたがらない様子だ。
「……予想以上でした」
「ふうん?」
「くれぐれも騎士らしくしていて下さい、決して鼻の下をのばしたりしないように」
「フッ、馬鹿なことを」
鼻で笑うランベルト。
そうこうしている間に、店員がワイワイ騒ぎながら扉を開いた。
「さあさあお嬢様、お連れ様に見ていただきましょう!」
「う、うん」
勢いよく扉が開かれると、そこには天使と見まがうほどに可憐な少女が頬を染めながら立っていた。
「や、やっぱり変じゃないかなこの格好?」
「…………」
「ランベルト?」
ランベルトは、不覚にも言葉を失ってしまった。
よく似合っていますと、そんな月並みな言葉をかけてやるつもりだった。
まるで本物の女性みたいだと、そんな皮肉まで用意しておいたのだ。
それなのに、ああそれなのに、それなのに。
その可憐な姿を前にした瞬間に、ランベルトの身体は硬直して微動だにできなくなってしまったのだった。
初めて出会ったその時から、めったにお目にかかれない美しさだとは思っていた。
不細工な黒い学生服を着ていてさえもそう思ったのだ。
行儀の悪さと男言葉さえ直せばそれなりに男が寄ってくるようになるだろうと、そう思っていたのだが、その見込みはまったく甘かった。
彼はまだ勇輝の美しさを過小評価していた。
「す、素晴らしい、です」
不細工な黒い殻を脱ぎ捨てたその姿は、まさにさなぎから羽化した輝ける蝶だった。
恥じらいに頬を染めたその表情は、思わず抱きしめてしまいたくなるほど儚げで。
挑発的な服装からのぞく白い素肌は、頑なな騎士の心さえも蕩かせるほど蟲惑的で。
「むうー、そんなにマジで見ないでくれよ」
もじもじして顔をそらすその仕草が、無性にいとおしい。
不覚にも胸の高まりがおさえきれない。
この世のものとも思えない美しさだった。
そのまま静かに時が流れていたら、ランベルトの心はいったいどうなっていた事か分からない。
だがその甘いロマンスの予感を粉砕したのは、他ならぬ目の前の美少女だった。
「いつまでジロジロ見てんだこのエロナイト!」
恥じらいを誤魔化すにしてはあまりにも強烈なボディブローが、腹をまともに貫いた。
やや内角から、えぐり込むように!
「ぐふっ!?」
普通の女は服とか、肌とか、見えている部分をねらって叩く。
だからあまり効かない。
だが勇輝の拳はさらにその奥、内臓をねらったものだった。
左拳であばら骨の一番下あたりを打ち上げる、つまり肝臓を正確に、強烈に!
(ゆ、油断した、外見が変わったところで中身は猛獣のままだ!)
ランベルトは芽生えかけていた淡い想いも消し飛ぶほど、激しく悶え苦しむ。
「さあ行きましょう、予定より少し遅れています」
だがクラリーチェは何事も無かったかのように歩き出した。
「ランベルト、早く立ってください、先を急ぎます」
いつも以上に冷たいその態度に、ランベルトは心の中で苦情を言った。
(な、何をそんなに怒っているんだ……!?)
ランベルトには彼女の気持ちが分からない。
見た目の色男ぶりとは裏腹に、女心に精通していない鈍感男であった。





