9話 VS災厄
もう誰もが寝静まったであろう深夜。
俺は静かに目を開ける。それは体の痛みからではない、不快な匂いがしたからだ.
別に直接嗅いだわけではないが幾度となく体感した――『死』の匂いだ。
俺は立ち上がると、屈伸したり手首を回して準備運動を始める。
出来れば戦いたくはないが、この頃の俺は相当運が悪い。
こんな短期間で怪物に二度相対し、殺り合う羽目になったのだ。三度目が絶対にないとは言い切れない。
まあ、でもBランク級より厄介なんて――
という思考のさなか、俺は不意にマトリッ〇スの如く上体を反らす。
瞬刻、隼人の目の前には不可視の刃が建物を両断しながら通り過ぎた。
「あっぶねえ!」
本当にぎりぎりだった。気づくのが少しでも遅れていたら確実に死んでいた。
冷や汗をかきながら態勢を立て直すと、両断された建物が滑り落ち外の光景が明らかとなる。
ある一点を起点として、扇状に町が両断されていた。
大量の血の匂いが鼻をかすめる。先ほどの斬撃で一体どれほどの人間が死んだのか。
泣き叫ぶ声に思わず耳を塞ぎたくなる。
・・・その光景に、一瞬本当に現実なのかと疑うが、すぐにそんな思考は切り捨てる。気持ちに整理がついていない状態で奴の前に立つのは唯の自殺行為だからだ。
扇状に作られた瓦礫の山の向こう。そこに奴はいた。
体は漆黒に覆われ、その腕は剣のように鋭かった。
そして奴は俺に目線を向けたままその場を動かない。
「Aランク級かよ・・・」
呆れるようにそう呟く。さっき言おうとしたのがフラグになってしまったのかもしれない。
「それにしても大物が出たもんだ」
あの容姿を見て奴が何者かを知らない者は人類にはいないだろう。
奴が初めて姿を現したのは、およそ70年前。
場所はイギリスのロンドンだった。
怪物が現れだして間もない時期で、未だ絶対的な力を持った者は出現しておらず。まだ、怪物に対しての警戒心が薄かった。奴らが現れたとしても誰かが何とかしてくれる、自分は大丈夫だという希望的観測、今考えたら愚劣極まりないその思考が民衆の大半を占めていたのだ。
そんな中、奴は現れる。
その人間と変わらない風貌に、誰もがそいつを脅威と判断しなかった。
そこで、調子に乗った青年が己が能力を使って攻撃した。
空気が変わったのはそこからだ・・・
怪物は少年の能力で放たれた電撃をその腕でまるで羽虫でも払うように切り捨てると。一瞬のうちに少年に近づきその首を撥ねた。
そこからは正に地獄であったと聞く。
怪物が一振りするだけで多数の人間が臓物を撒き散らし命の灯をかき消す。
その光景に畏怖し、背を向け逃走しようとする者には不可視の刃が飛翔し襲い掛かった。
対抗できる能力者がほとんど育っていないこともあり、事態が収束したのはそれから8時間も経ってからだった。10人ほどの能力者が戦ってようやく倒すことが出来たのだ。しかし、怪物を倒してもそこに歓声は上がらなかった。
あまりに犠牲が多すぎたからだ。
死者数総計――四十九万八千五百四十七。
都市は血の海となり、まともな状態の人間はその場に一人たりともいなかった。
この事件をきっかけとし、人類は能力育成に大幅な力を入れ始め今となっては単体でAランク級を倒すことも出来るほどの猛者も現れだしたが、今もなお脅威であることには変わらない。
そして今、この場にはAランク級とやり合える程の数値を持ったものはいない。
ただ、少し異常な能力数値『0』の少年がいるだけだった。
***
「戦神」
俺はすぐさま能力を発動すると、地面を蹴って飛び上がる。
着地場所はリッターの目の前だ。
ドスッと鈍い音を立てて着地すると目の前の怪物を目する。
強い。素直にそう思う。
やはりAランク級からは別格だ、少しでも気を抜いたら俺もやられるかもしれないな。
「よお、人を殺した感想はあるか?」
「・・・」
まあ、答えが返ってこないことは分かっていたが、ここまで微動だにせずに突っ立っているのは不気味だ。俺の事を警戒しているのだろうか?
「実は結構疲れてて、出来ればお前みたいな奴とは戦いたくないんだわ、今日の所は帰ってくんねえかな?」
「・・・」
怪物は動かない。
ここで引くつもりはないということだろう。
俺はざっと周りを見渡す。そこには人っ子一人見当たらない。
もう既に全員逃げだしたということだろう。
「そうか、残念だ。じゃあ――」
拳に闘気を纏う。
「――死ね」
動き出したのは全くの同時であった。
両者の真ん中で互いの拳と剣が衝突する。
◇
衝突により生じた衝撃で周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。
威力と速度はともに互角。拮抗した状態で止まっている。
隼人は少し眉を動かすと、股関節の筋力を脱力し重心を落下し始める、次いでもう一方の脚で地面を蹴ることで方向性が与えられ、一瞬のうちにリッターの懐に潜り込む。
拳を強く握るとがら空きの腹部に正拳突きを叩き込んだ。
その攻撃を受け、リッターは建物を巻き込みながら吹き飛ぶ。
隼人は視認できないほどの速さで疾走すると、吹き飛ばした方向の通過点に先回りし拳を構える。しかし、リッターは空中で姿勢を正すと二刀の剣を構え、隼人目掛けて振り下ろす。
その攻撃に危険を感じた隼人は横に全力で退避する。
振り下ろされた剣は地面を大きく抉り、どこまで切り裂いたのかわからないほど大きな溝が出来ていた。
「うっそだろおい・・・せめて溜めの時間がつくれればいいんだが」
“星穿”を放つための溜めが欲しいが目の前の怪物はそんな時間をくれるほど甘くはない。
瞬時に隼人の元まで移動すると、無数の剣戟が隼人に襲い掛かる。それに対し、剣の側面に手を添えて全て受け流す。受け流すこと数秒、徐々にリッターの斬撃が速度を増していく。
「ちッ!」
そして遂に捌ききれなかった一撃が隼人の頬を掠め深紅の血が流れる。
隼人は両目を凝らすと速度上昇の原因を探す。
「なるほど」
原因はすぐに見つかった。リッターの受け流した刃は空中でまるで反射したように力の向きが反転して、速度が変わらないまま・・・いや、明らかに上昇しながら再度隼人に襲い掛かっていたのだ。
(打ち合うのはまずいな)
わざわざ相手の土俵で戦うことはない。
相手の隙をついて後ろに後退する。
――その瞬間、目の前にいたリッターが掻き消えた。
「なッ?!」
動揺も一瞬、即座に意識を周りに向ける。
「後ろかッ!」
振り返ると、目の前には寸前の位置まで剣が迫っていた。
それをバク転をしながらぎりぎり回避する。切り裂かれた前髪の一部が、認識が遅ければ己がそうなっていたのだと強く実感させた。
目の前には悠然とたたずむ怪物。
その姿を見て隼人は思わず口角を上げる。
「やっぱ強いな、お前。能力まで持っているとは・・・そんな情報は50年前にはなかったはずなんだがな・・・」
(おそらくだが、奴の能力は【交換】。さっきのは俺との立ち位置を入れ替えたのだろう)
隼人はどうやったら楽に奴を倒せるかを考える。思考を整理すると近くの数百キロはあるであろう瓦礫を片手で持ち上げると大きく振りかぶる。
「お゛らぁッ!!」
それは超高速でリッターへと迫る。
しかし、リッターの剣で一閃するとあっけなく両断され後方に飛んで行った。
だが、隼人の狙いはそこではない。
瓦礫で一瞬視界が塞がれた瞬間にリッターの背後に移動する。
それに気づいたリッターが振り返るが、もう遅い。
両腕を交差させてガードしようとするリッターを全力で蹴り上げる。
その威力は絶大で、リッターは空高く吹き飛んでいく。
「ふう~」
隼人は大きく息を吐くとその拳に闘気を纏い始める。
大気が揺れ、瓦礫がカタカタと振動する。
空から落下してくるリッターはそれを脅威と判断したのか、両剣に力を込めて迎え討とうとする。能力を使わないということは、おそらく発動距離が狭いからだろう。
闘気を収束し終わり、眼前の怪物を見据える。
奴も相当力を剣に込めているようだが関係ない。
隼人は拳を構えると必殺の一撃を放つ。
「星穿」
その一撃は奴の剣と拮抗することなく狙いたがわずに怪物を穿つ。
上半身が消えたそれが地面に落ちべちゃッという嫌な音を立てる。
「あ~ しんど」
怪物の死を確認すると、署へと踵を返す。
しかし、その足が途中で止まった。何やら不穏な音が後ろでしたからだ。
おそるおそる振り返ると、そこにはぼこぼこと肉体を再生しながら復活するリッターの姿があった。ただ、その姿は以前のものとは違い背中の方から二本の腕が生えて四本となっていた。
「まじかよ、第二ラウンド開始ってことか?」
隼人は不敵に笑い、軽口を言うようにそう呟くがその頬には隠し切れない汗が流れていた。