88話 遅くなった
現在俺は柳の能力で変装して施設に潜入している訳だが、この変装は十数分程度で解けるらしい。早く何かしらの証拠を見つけなくてはならない。
「見つからん・・・」
案内をしてくれた研究員の言う地下へと向かおうと身を潜めながら地下へと続く道を探すが、一向に見つからない。
「仕方ない」
道を探すのは止めだ。
なるべく目立つ行動はしたくなかったが、時間がない。
能力を発動し、四枚の障壁を召喚する。
召喚した障壁の形状を剣に変化させ、剣先を自分の足元に向ける。
「切断しろ」
障壁と床とが接触する際、一瞬甲高い音が響き渡るが容易に切断し、俺の体は下に落下する。
地下の空洞を見つけるまで切り続けるつもりだったがどうやら一発で見つける事ができたようだ。いや、それ程までに地下の空間が広いという事かもしれない。
「・・・暗いな、誰もいないのか?」
地下空間に着陸すると、まずは周囲の状況を確認する。
見た限りどうやら地下の廊下に着地したようだが、電気が一つも付いておらず先がまったく見えない。
不気味だ。
肌がひりつくような緊張を感じる。
(しかし、俺に戻るという選択肢はない)
警戒を最大限に上げ、障壁を五枚周囲に展開して奇襲に備えながら前に進む。
その数秒後、俺の体が一瞬揺らぎ変装が解除された。
「おっと、危ない。結構ギリギリだったな」
変装が解けたのが誰もいない場所でよかった。
「・・・っ」
そのまま道なりを進み続けると、廊下の最奥に薄く緑に光るドアが見えた。警戒しながら近づくとドアから緑色の光が漏れているの分かる。
目を瞑り、室内にいる人の気配を探る。
「いるな・・・それもかなりの数だ」
人数の詳細までは不明だが、誰にも見つからずに侵入する事は不可能だろう。
「突破するか・・・?」
いや、考えるまでもないか。
香織と関係なければ謝罪すればいいだろう。そしてもし関係があるとすれば・・・
「叩き潰すだけ、だな。ならば」
障壁を操作し、ドアを吹き飛ばす。
俺は前方に体を回転させながら部屋に飛び込むと、姿勢を低くしながら部屋の中を確認する。
そして目に入ったものに体が硬直した。
「な、んだ・・・これは」
連立して配置されている無数のカプセル。
中には緑に発光している液体で満たされている。それだけであれば別に驚く事はない。
しかし、中には液体と一緒に人間も入れられていた。
俺がドアの前で感じた気配はこのカプセルからだったのだ。その数は、目視しただけでも五十は優に越している。
「ぁ、ぁぅ・・・たす、け・・・」
「っ?!」
突如聞こえてきた助けを呼ぶ声に勢いよく左に顔を向ける。
その場所にはカプセルとは別に鉄格子で囲われた檻があった。
中には男女が五人。全員が体から血を流し瀕死の状態であることが分かる。
「大丈夫かっ!」
すかさず駆け寄り呼びかける。
先程の声で気力を使い果たしたか、中にいる全員が意識を失っている。
(まずいぞ! ・・・このままでは死んでしまう!)
取り敢えず檻を破壊しようと障壁を操作しようとした時、部屋の奥から足音が聞こえた。
「ふむ、珍しいお客さんですねえ。お呼びしたつもりはないのですが」
「お前は・・・」
頭に血が上るのが分かる。
忘れるはずもないその姿。
白衣を身に纏い、狂気じみた笑みを浮かべる後鳥羽の姿がそこにあった。
「もしかしてここでの研究を探りに来たのですか? どこから情報が漏れたのでしょう? 一度内部も一掃した方がいいでしょうか」
「おい、こんな事をしておいて逃げられると思っているのか」
地下での非人道的な研究の一端を見て怒りが限界を越えそうだ。しかし、この場で怒りに任せて行動するのは自分の首を絞める事になりかねない。
「ふぅ」
落ち着け、奴の戦力は未知数。
ここは時間を稼いで柳の到着を待つべきだ。
「それにしても上月さんには大変お世話になりましたよ」
香織の名前が出た事で思わず手がびくりと震える。
「あれ程の検体を手に入れる事が出来た私は相当運が良かった。おめでたい脳の持つ主でしたねえ。ふっ、世界中の人々を笑顔にしたい? はははっ! そんな馬鹿げた事を真剣におっしゃるのですから笑いを抑えるのは本当に大変でしたよ。」
「ゲスがっ!」
「そう言えばあなたは上月さんの恋人でしたか? ほら、そこにいますよあなたの恋人が」
奴が一つのカプセルを指さす。
つられるように俺の目がカプセルへと移動する。
そのカプセルには、他のものと同じように目を瞑り液体に浮かぶ香織の姿があった。
「感動の再会ですねえ! 感激に私も涙が出そうですよ! ああ、そうそう、一応その検体は生きていますよ。死んでいては出来ない実験もありますからねえ。まあ、心臓が動いているというだけで殆ど死んだも同然の状態ですが」
・・・黙れ。
それ以上、口を開くな。
「もしあなたがそれを連れて帰れでもしたら目を覚ます事もあるかもしれませんねえ。特殊対策部隊には特殊な回復系の能力者がいるらしいですから。それでもかなり奇跡に近い確率でしょうが」
呼吸が早くなり、目の前がちかちかと点滅する。
駄目だ、ここで感情的になるな。
落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け――
「死ね」
パキンッと感情の枷が壊れる音がした。
十三の障壁が後鳥羽目掛け襲い掛かる。
「無駄です」
しかし、奴に到達する寸前で全ての障壁が弾かれる。
「何だそれは・・・?」
「研究の成果ですよ!」
目を凝らすと後鳥羽の周囲に薄い膜のようなものが見える。
それだけではない、奴の体が徐々に膨張していき三メートルを超える巨体に変化する。
「人の肉体では複数の能力を操る事は難しい。なら簡単な話です。人ではない者の肉体ならば可能なのですよ。この世界にはうってつけの存在がいますから調達には困りませんしねえ」
「貴様、人間をやめたのか」
狂っているとしか言いようがない。
そこまでして力が欲しいか。
他者を苦しめ、幸せな時間を奪って、それで得た力でこの男は暴虐の限りを尽くそうとしている。
「させねえよ」
これ以上この男に傍若無人な行動を許すわけにはいかない。
何をもってしてでもこの場で止めねばならない存在だ。
「あなたでは私を止める事は出来ませんよ。あなたのデータは全て分かっていますからねえ。それに」
奴の右腕から炎が噴き出し、左腕からは雷撃が迸る。
「私は世界初の多重能力者なのですよ! 私を殺せる存在など誰一人として存在しない!」
背を反らし、天を見上げ、自分に酔うように咆哮する人間をやめた怪物。
「ああ、見ているだけで可哀そうですねえ。私のような完全生物を相手にしている上にあなたには守らなければいけない存在もいるのですから」
そう言って奴は右腕を香織のいるカプセルへと向ける。
「き、さまッ!」
「さあ、守ってみて下さいよ!」
俺はカプセルの前に飛び出し、前面に全ての障壁を展開する。
直後、轟音を伴った衝撃が障壁に激突し、三枚の障壁が破壊された。
「ほらほらっ! まだまだいきますよ!」
俺の障壁を食い破らんと破壊の嵐が降りかかる。
その一撃に幾つの能力が掛け合わされているのか分からないが、衝撃の余波だけで壁が風化し、地面が熔解する。
「ぐっ!」
四枚、五枚、次々に障壁が破壊される。
腕から血が噴き出し、体は地面を抉りながら後退する。
しかし、体を崩壊させながらも目には爛々とした輝きを宿し、必死に腕を伸ばし続ける。
(守る! この身が砕けようとも構わない! もう二度と、二度と恋人を失うわけにはいかないんだ!)
「うぉおおおおおお!!!!!」
己を鼓舞する咆哮。
遂には障壁が一枚となり、次第にそれにも罅が入り始める。
「さようなら、十五位。私の攻撃をこれ程長く耐える事が出来るとは予想外でしたよ。あなたを殺した後はその能力も研究し私のものとしましょう」
更に苛烈になる攻撃に障壁が崩壊していき、隙間から攻撃の残滓が身に降りかかる。
「ぐふっ・・・!」
左腕が消し飛び、腹を閃光が突き刺す。
(まだだ! まだ意識はある。障壁が完全に破壊されたわけではない。この身が完全に消えるまで諦めることなど許されない!)
「守れ、守護神!」
最早障壁の形を維持していないそれにありったけの意思を込める。
一秒先の未来を守る為に。
そして、一陣の風が吹いた。
俺の脇から飛び出した影は瞬く間に後鳥羽との距離を詰め、拳を振るう構えを取る。
「なにっ?!」
影の接近に気付いた後鳥羽が焦るように腕を振るおうとするが――その影の前ではあまりにも遅い。
「山砕き」
振るわれる腕よりなお早い神速の一撃が後鳥羽の懐に抉りこまれる。
肉を砕く鈍い音が響き、後鳥羽の体は天井に巨大な穴を開けて地上に叩きだされた。
「・・・本当に、金剛さんの背中は大きいですね」
その影――柳は腕を下ろすと振り返り俺を見やる。
「今度は、守れたんですね」
その言葉に俺はゆっくりと振り返る。
そこには所々カプセルに罅が入ってはいるが無事な香織の姿があった。
守れた・・・のか。
そうか、やっと守る事が出来たのか。
「遅くなって・・・すまない」
本当に、五年も待たせてしまった。
後鳥羽にも俺が決着を着けたいが、この体では難しいか。
「あとは・・・頼んだぞ、柳」
仕方ない。
後は頼りになる後輩に任せるか・・・
「はい、任されました」
俺の言葉を聞いた柳は表情を引き締め、後鳥羽の開けた穴から飛び立っていった。





