174話 矛盾を超える者
幻想的な粒子が宙を舞い、可視化出来るほどの力の奔流が柱となって天を貫く。
柱の姿を見た者達は各々に表情を変える。
「全く、これは後処理が大変そうですね」
元絶対者との戦闘で荒廃した大地に変貌した場所で、頬の傷を拭いながらシャルティアが呟く。
ユリウスの戦闘の途中で現れた柱。一瞬意識を逸らした瞬間にユリウスの逃走を許してしまい、あまり穏やかな心境ではないが、そんな中でも遠くに見えるそれに瞳を奪われていた。
「・・・・・・綺麗ですね」
柱から降り落ちる光の粒はまるで雪のよう。
目の前まで降ってきた粒子にそっと触れる。雪とは反対にとても暖かく、そして誰かの強い感情が流れてくる。
(これが貴方の覚悟ですか)
戦場に似つかわしくない美しい光景をもう一度眺め、そっと背を向け家へと向かう。
「どうやら私の出番は必要ないようです。早めに食事の準備にしましょうか」
ナイフを袖にしまい、地面に置いていた食料の入った袋を片手に歩き出す。
「さっさと終わらせなさい。柳隼人」
なんの憂いも無い足取りで進む。
その表情は、少しだけ笑っているように見えた。
「あぁ・・・・・・本当に。ここに来て良かった・・・・・・!」
ビルの屋上で、赤いドレスを着た女性、スぺ・ラーナリアが恍惚した表情で柱を見る。
両手を広げ、歓喜と祝福の声を漏らしていた。
「これがスぺちゃんの来た理由?」
スぺの背後、そこにはいつもの眠気眼がしっかりと開かれたソフィアの姿があった。
「えぇ、まさか私の予想を軽々と超えるとは思いませんでしたが」
「スぺちゃんにも知らない事があるんだね~」
「勿論です。私は全知ではないのですから」
それよりも、とスぺは背後に振り返りソフィアの顔を見る。
「貴女、顔色が悪いのでは? 夜更かしはいけませんよ」
「いや~ あはは」
ソフィアの顔色が悪い原因は蒼にあった。
実は先刻の蒼とその友人が正体不明の能力者に襲撃されている場面に偶然遭遇していたのだ。直ぐに救出しようとするが、その前に蒼が鏡の呪具に取り込まれる。
その呪具が隼人に聞いたものだと直ぐに気付いたソフィアは、一度足を止めた。
(これは、蒼ちゃんが能力を使いこなせるいい機会なのでは?)
大罪能力は精神に強く結びついている。
共に暮らす中で、蒼の強靭な精神力を知っていたソフィアは、蒼が呪具を打ち破るものだと考え、少しの間様子を見ていた。
その結果が、今の現状である。
呪具の力を甘く見ていた。そのせいで要らぬ被害を出したとあっては、蒼の家族である隼人は激怒するだろうと考える。
「ボク、隼人君に殺されちゃうかもな~」
最期に心ゆくまで寝たいなと思うソフィアであった。
◇
周囲を虹色の球体が浮遊する。
髪は灰色に、瞳は瞳孔の周りを神話文字が円環している。
地面から透明に近い触手が生え、ゆらゆらと揺れていた。
「なに・・・・・・それ?」
覇気のない声で蒼が問う。
近くにいるから分かるのだろう。絶対的な存在の差が。
なにをしても無意味だと、己の脆弱を嫌でも叩きつける力の頂点の前に、動くことが出来ずその場に立ち止まっている。
(とんだじゃじゃ馬権能だな)
膨大な情報が頭に入って来る。
自身とその他の境界が消え、あらゆるものを同時に把握する。
この権能に限界はない。
強さで測れるものではない。
この実体でさえ、見えているものが全てではない。
あらゆる物を、存在を超越し、矛盾さえ無視する権能の名は、
――【無限の銀鍵】
俺は動くようになった足で無遠慮に蒼に近付いていく。
「こ、来ないで、来ないでよッ!」
蒼の感情に呼応するように、可視化出来るようになった黒い靄が俺に襲い掛かる。
が、それら全ては俺には届かない。途中で動きを止め、尽くが霧散していく。
靄と俺との空間を歪めただけだが、副産物に出たエネルギーを喰らっただけで靄が霧散したのだ。
悠然と歩み続ける。もう、止まりはしない。
「ッ?!」
夥しい量の暴食の海を越え、蒼の元へと辿り着く。
一歩下がる蒼の腕を手繰り寄せ、境界を超えて蒼の精神世界に侵入した。
その世界は暗く淀み、所々に死体が落ちていた。
立っているだけで気がやられそうな空間の中で、何処からか泣き声が聞こえて来る。
周囲を見回すと、血の海の中に小学生ぐらいの小さな少女が蹲り泣いているの見えた。
「っ・・・・・・ふ・・・・・・うっ」
耐えるような声で、時折肩を揺らしながら一人泣いていた。
服は血に染まり、少女の体からは黒いオーラが渦巻いている。
「迎えに来たぞ、蒼」
少女――蒼の顔がゆっくりと上げられる。
「お兄、ちゃん・・・・・・?」
「ああ、そうだ」
「・・・・・・良かった、生きてたんだ」
心底安堵した表情を浮かべた後、すぐに暗い表情に変わる。
「さあ、帰ろう」
差し出した手から目を逸らし、蒼は俯く。
空間全体から恐怖、怯えの感情が伝わってくる。
「私はもう、帰りたくない」
「家族が嫌いになったか?」
「そんなっ! ・・・・・・訳ない。でも、私がいれば他の人達を傷付けちゃう。誰かの涙は、見たくないの」
「・・・・・・そうか」
強過ぎるが故に、全てをなかったかのように消してしまう力。
存在を否定する現象に、その親族が浮かべた表情が、俺も脳裏に焼き付いている。当人である蒼はそれ以上の感情に苛まれているのだろう。
ここで何か気の利いた言葉を言えるようになりたいが、どれもその場凌ぎの言い訳な様な気がして、声に出す事が出来ない。
俺は蒼の正面に座ると、震えている両手を取る。
「俺はさ、駄目な奴なんだよ。お前がいないと何も出来ないような出来損ないなんだ」
お前が、俺の支えなんだ。
影を照らす太陽のようなお前が居てくれたからこそ、今の俺が居る。
「私が居なくても、お兄ちゃんは大丈夫だよ・・・・・・それよりもずっと、私がお兄ちゃんを傷つけてる。今回だって、お兄ちゃんは血だらけになって!」
「馬鹿だなぁ。人は完璧じゃあないんだ。迷惑なんてしょっちゅうかけるもんだろ」
俺がどれだけ周囲の人達に迷惑をかけている事か。
ただ、それもいいと笑って受け入れてくれる人達に救われたんだ。
今度はお前の番だ。
「何も分かってない! 本当に死んじゃうかもしれないんだよっ?!」
顔を上げ、必死に訴える瞳には大粒の涙が溢れ出していた。
涙を指で拭い、俺は自信満々に笑みを浮かべる。
「はっ! こんなもんじゃ死なねえっての。俺は最強だぜ、近くに居たお前ならそれが一番分かっているはずだろ?」
「で、でもっ!」
「何度でも言ってやる。俺は死なねえ。お前が何千何万と同じ状態になっても全て救い出すさ。誰かを傷つけるのが怖いんだったら、俺がお前の鍵になってやる。安心できないならできるようになるまで、なんだってやってやる。だから、だから!・・・・・・俺の傍に居てくれよ」
自己中心的な感情だ。
それでも、俺がお前に投げかけられる本気の言葉はこれしかない。
(本当に、どうしようもないな。安心させようって奴が、弱気な面を見せてるんだから)
ここまで感情が乱れるのは精神世界にいる弊害かもしれない。
なにを言えば届くのかと言葉を思い浮かべていると、蒼が恐る恐る俺に問いかける。
「・・・・・・ずっと、傍にいてくれる?」
揺らぐ声。気持ちはもう、半ば決まっているのだろう。
俺は押して欲しいと求めている背中をそっと押す。
「ああ、勿論だ」
「じゃあ・・・・・・死なないって、約束して」
「それで安心できるなら。約束しよう、俺は絶対に死なない!」
蒼は俺に飛びつき、胸元に顔を埋める。体の震えから泣いているのが分かる。
俺を掴む手は力強く、一向に放す気配はない。ガラスを扱うように小さな体を抱きしめ返す。
「生きたい! 私も、もっとお兄ちゃんと、皆と生きていたい!」
「知っているさ」
【憤怒】を発動し、蒼の感情を増幅させていく。
次々に空間に亀裂が入り、光が入り込む。
臨界点を突破し、維持できなくなった空間が崩壊すると、俺は現実世界に戻り、瞑っていた目をゆっくりと開ける。
目の前には目の端から涙を流している蒼の姿があった。
「お帰り、蒼」
「うん・・・・・・ありがとう、お兄ちゃん。そして・・・・・・ただいま!」
向日葵のように咲くその笑みに、俺はまた救われる。
ついに概念すら超えてしまったか・・・・・・( ̄▽ ̄)