170話 堕ちし光
う~ん、昨日あげれなかった!
「あれ・・・・・・?」
気が付くと私は木々に囲まれた場所に立っていた。
「お~い、蒼どこだ~?」
近くからお兄ちゃんの声が聞こえる。
しかし、明らかに声が高い事に違和感を持つ。
そう言えば、私の視線も何故か低い。
どうなっているのだろうと体を見回すと、自分の体が小さくなっている事に気付く。
「おっ、いたいた。駄目だろう? 勝手に抜け出しちゃ。後でお母さんに怒られるぞ」
「お兄、ちゃん?」
私は自分の目を疑う。
木々の間から姿を現したお兄ちゃんの身長も私同様に低くなっており、小学生低学年程度の身長しかなかった。
「ど、どういうこと・・・・・・? なんでお兄ちゃんが小さく・・・・・・」
「いやいや、小さくなってないぞ? 小二なんてこんなもんだろ」
「小二? えっ、お兄ちゃんは高校生のはずじゃ・・・・・・」
「大丈夫か? 俺は小二でお前はまだ幼稚園児だ。体調が悪いなら背負って帰るぞ?」
衝撃の発言に私は困惑する。
しかし、確かに私達の体はその程度の身長で・・・・・・
(でも、私の記憶じゃ・・・・・・あれ、なんだっけ?)
なにに疑問を持っていたのかが突然分からなくなった。
別にどこもおかしくないのに。
そうだ。お母さんとお父さんが仕事で家を離れている間、知り合いのお寺にお世話になっているのだ。都会ではない、自然豊かな場所で、はしゃいだ私が外に飛び出したのだ。私は先程までの疑問を捨てて、お兄ちゃんの元に走り寄る。
「大丈夫! それよりもお兄ちゃんも一緒に遊ぼう!」
「後で怒られるぞ~」
「いい! こんな場所なんてめったに来れないし、カブトムシとか見てみたい!」
「カブトムシはいないと思うけど。う~ん、まあいっか。よしっ遊ぶか。母さんには一緒に怒られてやろう!」
私は笑顔でお兄ちゃんに抱き着く。
お兄ちゃんは大好きだ。一緒に遊んでくれるし、優しくしてくれるし、ずっと傍にいてくれる。お母さんとお父さんが忙しいからその分お兄ちゃんが私に愛情をくれた。
お兄ちゃんの手を引いて木々の間を走り周る。
見つけた川に足をつけてばたつかせたり、見た事もない生き物を捕まえてお兄ちゃんにプレゼントした。
楽しい時間が過ぎるのはあっと言う間だ。
気付けば日が傾き、真っ赤な夕焼けが私達を照らしていた。
「楽しかった!」
「それは良かった」
「疲れたからおんぶして~」
「全く、しょうがない妹だな」
文句をいいながらも、しゃがんで私を背負ってくれる。
私にとってこれ以上ないぐらいに頼もしい背中に顔を埋める。
「温かい」
「お前もな」
「ずっとこんな時間が続けばいいね」
「ああ、俺が怪物を倒すから安心しな」
お兄ちゃんの口癖だ。
今はまだ力を全く使いこなせていないけれど、いつか使いこなせるようになった時、世界中の人達を守るからと言う。
そのための努力も見てきた。
お兄ちゃんならその夢も叶えることが出来るだろう。その時は皆に、この人が私のお兄ちゃんなのだと自慢しよう。
「頑張ってね」
「ああ」
帰り道、ふと歩道橋を渡るおばあさんの姿が目に入った。
たくさんの荷物を持っているようでかなり大変そうだ。
「ちょっと手伝いに行ってくるから、蒼は先に戻っててくれ。すぐそこだし大丈夫だろ?」
「うん。先に戻ってるね」
走って手伝いに行くお兄ちゃんの背中を見送り、私は帰り道を一人歩く。
時間はあまり掛からず、お父さんの知り合いがいるお寺に辿り着く。
「ただいま~」
門の扉を開いて中に入る。
「おや、ようやく帰ってきたと思いましたが、貴女ではありませんね」
そして見る。
――地面に転がっている血だらけの住職達の姿を。
「あっ、え?」
頭の中が真っ白になった。
朝には笑顔で喋っていた人達が、今は血だらけで倒れている姿に全く現実感が出てこない。
(夢?)
しかし、ぎゅっと手を握れば、しっかりとした熱が返ってくる。
「貴女も送ってあげましょう。そうすれば、いずれ起きるであろう災禍を見なくても済むでしょう」
額に返り血を浴びた男の人が、ゆっくりと近づいてくる。
黒い髪に、先が見えないような暗い瞳、お父さんより少し若い容姿だ。
そしてなによりも、感情の無い鉄仮面の表情が怖かった。
一歩後退しようとした時、背後から声が聞こえた。
「なんだよ、これ」
お兄ちゃんの声だ。
悲惨な光景を前に、声音には困惑と恐怖の感情が含まれていた。
「今代の選定者はまだ若いですね」
男の視線がお兄ちゃんに移る。
「では、さようなら」
男が右手を向ける。
なにをするのかは分からない。けれど、このままだとお兄ちゃんを失う事になるのだと察した。
我武者羅だった。
ただただお兄ちゃんを失いたくない一心で、お母さんに止められていた力を使った。
「だめーーーーッ!!」
体から黒い靄のようなものが溢れ出る。
それは私の周囲の全てを呑み込み、無慈悲に喰らっていく。
「まさか、こんな少女が」
立ち尽くす男の胴体を靄が通り過ぎ、過ぎ去った後に男の体は消え失せ、頭部だけがごとりと落ちた。私は盛大に能力を使ったため、疲労が全身に押し寄せ、地面に膝を突いて呼吸を繰り返す。
「はぁ、はぁ・・・・・・ぇ?」
男だけを、倒したはずだった。
「お兄、ちゃん・・・・・・どこ?」
しかし、消えたのは男だけではなく、周囲の全てが、消えていた。
建物も、倒れていた人の姿も。
――お兄ちゃんの姿すらも。
後ろに居たはずの姿は何処にもない。
何もない平地で立っているのは私だけだった。
瞳がありえてはいけない絶望を前に揺れる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!!」
幾ら呼び掛けても帰って来る返事はない。
『貴女の兄はもういませんよ』
聞こえて来る声に周囲を見回すが人の姿は何処にもない。脳に直接語り掛けられるような声が響く。
「うそ、お兄ちゃんは、まだきっと」
『現実から目を背けてはいけませんよ。殺したのです、貴女が。まともに使えもしない能力で全てを消し去った。』
「い、いや。やめて!!」
『遺族の方は悲しむでしょうね。家族の遺体がなにも残っていないのだから』
視界が黒く染まった。
どこからか叫び声が聞こえる。それが自分の声だと気付いたのは喉に痛みが走ってからだった。
『どれだけ叫んでも誰も還ってはきませんよ』
・・・・・・どうして、こんな事になってしまったのだろう。
私は、お兄ちゃんを助けたかっただけなのに。
まともに使えもしない能力を使ったから?すぐにお寺を飛び出してお兄ちゃんと逃げていれば大丈夫だったかもしれない。
「ごめん、なさい」
その場に蹲り、私は殻に閉じこもった。
◇
蒼の体から黒い靄が溢れ出す。
(あれは、なに?)
渚は体を動かせない状態で蒼の変化を見続ける。
男が鏡を蒼に見せてから、様子が一変した。
意識を失ったようにふらりと地面に倒れたのだ。
それから数十秒が経ち、今の状況に至る。
蒼はゆっくりとその場を立ち上がる。
ツインテールにしていた髪は解け、長い髪が揺らめく。
「ようやくお目覚めですか。これは予想以上ですね」
明らかにおかしい蒼の様子に渚は強引に自分の体を動かそうとするが、まだ言霊の力が効いていてどうしても動くことが出来ない。
「さあ、選定者よ。貴女は自分の妹を殺す事が出来ますか?」
誰に言うでもなく、そう呟く男。
(こ、の・・・・・・動いてよッ!)
「ふぐぅ!! わぁっ?!」
ふと、“むしゃり”という音が聞こえたと同時に体の硬直が解け、反動で体が地面に倒れる。
倒れた状態で音のした方向に目を移すと、そこには上半身の消えた男の体があった。断面から血を噴き出し、力を失うようにして後ろに倒れる。
「う~ん、あまり美味しくないな~」
場に似つかわしくない軽い口調。
蒼は舌をぺろりと出すと、唇を軽く撫でる。
「先にデザートにしようかな」
「蒼、ちゃん?」
いつもと違う妖艶な雰囲気と吐き気の催す程の濃密な殺気を纏っている。
別人だと言っても過言ではない変わりように、渚はなんて声を掛ければいいのか分からず、名前を呼ぶことだけしか出来ない。
蒼は鼻をすんすんと動かすと、視線を宙へと向けた。
「あはっ、見~つけたっ♡」





