153話 開演せし劇場
俺の頭上に、つばの広い旅行帽が姿を現す。
靴はその姿を変え、側面に翼を持ったものへ。
片手で旅行帽を掴み深く被ると、俺は言葉を紡ぐ。
「物語は終章。勇者は城へと辿り着いた。さあ、幕を下ろそう」
明らかに変化した俺を警戒して、吸血鬼がその場を大きく飛び退く。
しかし、それは悪手だ。
お前が勝てるとしたら、今、この瞬間だけだった。
「その剣は闇を切り裂く神器。全ての柵を両断し、数多の思いを束ねる希望そのもの」
俺が言葉を紡ぐままに、剣が姿を現し南さんの元へと飛翔する。
「な、なんだっ?!」
「それはあなたの剣です。恋人を救いたいのなら、手に取ってください!」
僅かの躊躇。
しかし、数秒と掛からず強い意志を浮かべた瞳で剣を手に取る。
あなたの覚悟は本物だ。
恋人の為に数か月も死地に身を置き続けるなど、常人に出来る事ではない。
「こうなりゃやけだ! 俺はなにをすればいいっ!!」
「言いましたよ。道は俺が作ると――荒れる海、男達は歌う」
南さんの足元の空間が歪む。
無から現れた海水が溢れ出し、瓦礫を押しのける。
次いで、姿を現すのは巨大な船の影だ。
「求めるは名声か栄誉か、否だ。
ならば富か、断じて否だ!
彼等は世界の渡航者! 求めるはただ一つ、心を満たす興奮のみ!」
船の影がしっかりとした形を取る。
側面には幾重もの砲を装備し、船の甲板には数十もの人影が姿を現す。
「がはは! 野郎共! 仕事の時間だぁ!」
甲板で、がたいの大きい髭面の大男が大斧を掲げ叫びを上げる。
海水が一面に広がり、海となった場所で、海面に顔を出した生物、【セイレーン】が南さんの体を持ち上げると、海の看板へと運ぶ。
「ま、さか・・・・・・お前の能力はっ!」
蝙蝠にちかい羽根を羽ばたかせ空を飛んでいる吸血鬼が驚愕の声を上げる。
そう、これが伝令神の権能。
己が紡いだ物語を現実に再現する、【開演せし劇場】。
勿論なにもかもを再現できる訳ではないが、実在したものであれば確実に再現する事が出来る。
ただ、この状態の唯一の欠点は、物語の謡い手である俺の戦闘力が著しく低下する事だ。
再現に力を割くため、神話文字を操る事が出来なくなる。
俺を殺すには、この形態が最も楽に殺せるだろう。
――俺に辿り着ければの話だが。
ふと、目を凝らせば怪物達がこちらに迫ってきているのが見える。
かなり派手に音を立てたから当然だが、やはり多いな。間引いて貰うか。
「その身は天。万物を見下ろす巨躯は敵を震撼させ、友に安静を齎す」
戦場に一時の静寂が訪れ、誰もが唖然とした表情で上を見上げる。
淡い輪郭がその場を支配する。数百メートルではきかない大きさ。現実であったなら、雲を突き抜け、その顔さえ見えなかった事だろう。
輪郭が定まり、その姿が明瞭となる。
『まさか貴様等に手を貸す事になるとはな・・・・・・』
「俺は力を借りているだけで、あの方々側という訳ではありませんよ」
『はっ、詭弁だな。しかし、こ奴等が目障りなのは我等も同じ。此度は手を貸そう』
巨人はほんの少し肩を竦め、次の瞬間には獰猛な笑みを浮かべ、眼前の怪物達を睥睨する。
味方として再現してはみたものの、巨人の威風に冷や汗が流れる。
「頼みますよ、【タイタン】」
『誰に言っている』
巨人――【タイタン】が一歩を踏み出す。
その何気ない動作にも関わらず、海面に沈んでいるはずの地が隆起し、荒れ狂う波が周囲を藻屑へと変える。
『全く力が出ん。耐久力など話にもならんな。精進が足らんのではないか、選定者』
「ははっ」
全く、神話の時代に生まれなくて心底よかった。
これでもまだ本来の力には程遠いとは。苦笑いしか出てこない。
後方に退避しながら、横目で海を走る船を見やる。
これからの展開は南さんに掛かっていると言ってもいい。
あの剣で吸血鬼を斬る事さえ出来れば、人質は解放される。
俺が剣を使えれば楽ではあったが、残念ながら、自身の権能で再現した物体に俺が直接触れる事は出来ない。俺は創作者であり、物語の中とは乖離した存在であると定義づけられているからだ。
「でも、あなたなら出来るでしょう?」
半ば未来を確信し、彼の覚悟を見守る。
◇
「うぉおおお!!」
「野郎共! 撃ちまくれぇええ!!」
訳も分からず戦場に身を置き、既に五回は死線を超えてきた。
高速で海を動き回る船は、吸血鬼を追い続け、大砲を撃ち続けている。途中で幾度も他の怪物が船内に飛び乗ってくるが、その全てを船員が瞬殺する。
CどころかBランクの怪物も相当数いるにも関わらずだ。
中でも、船長と思われる人物の強さは群を抜いている。
「なぁに、簡単な話だ。人質を盾にする隙すら無く殺し続ければいい話だろう」
と言うや否や、大斧と拳銃を持って、一人吸血鬼に飛び掛かり、もう五以上屠り続けている。
ただ、やはり相手はSランク。船長も無傷ではない。所々に傷を負い、形勢が逆転するのも時間の問題かと思われた。
「くっ! どうすれば!」
「なぁに、心配するこたぁねえ! ほら、船長も笑ってるじゃねえか。お前さんは来たる瞬間を逃がさなけりゃそれでいい」
片手で怪物を殺しながら、船員の一人が言う。
確かに、それが一番確実なのかもしれない。けれど・・・・・・
衰弱した女性の姿は本当に苦しそうだった。
彼女も同じ苦しみを、今も尚味わい続けているというのなら、こんなところで留まっている訳にはいかないだろう!
「すいません。無理を承知でお願いします。俺を、あの吸血鬼の元へと運んでください!」
「・・・・・・はっ!」
船員が俺を真剣な目で凝視した後、微笑を浮かべ、頭に巻いたバンダナを掴むと目尻深く被る。
他の船員達も一様にその顔に笑みを浮かべると、今まで素手で戦ってきた者達も腰の武器を手に取る。
「聞いたか野郎共! 女の為に男がここまで命懸けてんだ! 俺達のやる事は、分かるな!」
「がははっ! あっちで酒のつまみに出来そうだ! おい若造、しっかりと掴まってろよ」
船の舵をきっている船員がハンドルを大きく回す。
瞬く間に、通常ではありえない速度を船は出し始め、吸血鬼との距離をどんどん縮めていく。
「ふぐぅ!!」
感謝を述べる暇もない。海を縦横無尽に駆ける船に体が振り回される。
意地でも振り払われてなるものかと、船の手すりを全力で掴み、風速に耐える。
(なんという爆風! 凍えて、手が離れてしまいそうだっ!)
それでも、俺はただ手すりを掴んでいるだけだ。
他の船員達は、武器を手に怪物を屠りながらこの速度に耐えている。船の速度が上がった為、前方から迫ってくる怪物のスパンも短い。
「まだまだぁ! この俺の首を取ってみろぉおお!」
にもかかわらず、全員が生気に満ちた表情で、進み続ける。
負傷している事などどうでもいいというように、武器を振るう。
負けてなど、いられない。
「お前さん! 準備はいいか! ん?」
言われるまでもない。
船員が俺の居た場所を振り返るが、既にそこに俺の姿はない。
誰の目にも止まらず、彼等の横を駆ける。
ただ、隠れるだけの能力。
人の視線を避けるだけの能力。
怪物を倒す力もなく、なんの意味があるのかと、勝手に価値を決めて諦めていた能力。
『凄い! 探偵にもってこいの能力だね!』
君が、道を示してくれた能力。
甲板から飛び出す。
目と鼻の先には吸血鬼と船長の姿が見える。
「どっせいッ!!」
振り下ろされた大斧が吸血鬼を直撃し、海へと叩き落とす。
「ちッ、家畜如きがッ! はッ!!」
海面から姿を現した吸血鬼が勢いよく背後を振り返る。
甲板から飛び降りた俺との視線が交差する。
回避の動作に入る吸血鬼を逃がすまいと、全身全霊で渡された剣を振るう。
「うぉおおおおお!!」
なんでもいい! この一撃に全てを!
「届けぇええ!」
後僅か、吸血鬼に当たる寸前で躱されてしまう。
(あと、少しだというのにっ!)
振り下ろされた剣はそのままの勢いで、海叩き飛沫を上げ。海面に浮かんでいた奴の影を勢いよく切り裂いた。
ピシッ
「・・・・・・え?」
鼓膜を揺らしたのは金属が罅割れるような音。
視界を動かせば、吸血鬼の影が罅割れているのが見えた。
『言いましたよ、闇を切り裂く剣だと』
彼の声が聞こえた気がした。
「ぐっ、よ、くも・・・・・・やってくれたなぁ!」
苦悶の声を上げる吸血鬼が身を屈め、蹲っている。
隙だらけのその瞬間を、上空から落下してきた船長が、大斧を横に振って吹き飛ばす。
「がはッ?!」
大斧が直撃した瞬間、罅の入っていた影が完全に破壊される。
「あ・・・・・・」
影の中に封じられていたものが、勢いよく解放される。
海の中にいる生物が解放された女性達を怪我をしないように受け止める中、俺は海の中を必死に泳ぎ、海の中に放り出されようとしていた女性の体を受け止める。
震える腕で、その体を抱きしめる。
「あぁ、あぁああ」
息がある。衰弱はしているけれど、しっかりと心臓が動いている。
噛みしめていた唇が震え、視界が揺れる。
「良かった。本当に、良かった!」
「ちっ、奴はどこに行った!」
船長の荒々しい台詞に意識が戻される。
そうだ、まだ近くには吸血鬼がいる。ここで安心は出来ない。
周囲を必死に見回すも奴の姿は見当たらない。
ならどこに・・・・・・
「ッ! 危ない!」
そうだ。狙うなら当然、術者。
ここまで連れて来てくれた少年に目を移す。遠目だが、彼の背後にある影が僅かに浮き上がってきているように見えた。
(影の中を移動できるのか!)
「逃げ――・・・・・・」
紡ごうとした言葉が途切れる。
どうしてか、詳しいことは分からない。
ただ、目に映る彼は、片目から涙を流し、本当に悲しそうな表情で目に映る世界を眺めていた。
そして、言葉を紡ぐ。
――大天使
MVP 南さん(*´▽`*)





