115話 計算外
サングラスを掛けた黒髪をした筋骨隆々の男は、車にもたれかかり、遠くで聞こえる悲鳴に閉じていた両目を開く。
「始まったか・・・。さ~て、一体どうなるか」
胸ポケットに仕舞っている煙草箱から一本煙草と取り出すと、口に咥えてライターで火を点す。ふぅ、と一服し煙を吐き出すと、今だ燃えている煙草をそのまま手で握りつぶす。顔を色一つ変えず、視線を自分に向かってくる人物へと向け、瞬きを二度する。
「こいつは驚いた。予想外の奴が来たな。どうやら俺達の助っ人という訳でもなさそうだし、一体どういうつもりだ、嬢ちゃん」
「別にどうという事はない。俺は借りを返しに来ただけだ」
一本の紅の槍を片手に、肩口で揃えた茶髪の髪を靡かせ、一人の女性――上月 花蓮が男と相対する。いつかの日とは別に、顔に仮面は被っておらず、彼女の整った顔がさらけ出されていた。
そんな花蓮の纏う雰囲気は友好的とはかけ離れた交戦的なもので、男を睥睨している。
男はそんな女性を見て、ニヒルに笑うと左手で追い払うような動作をした。
「止めときな。お嬢ちゃんは既に大切なお姉さんを助ける事が出来たんだ。これ以上危険な事に手を出す必要はねえだろ」
「姉さんを助けるのに、彼の力は必要不可欠だった。そんな彼の危険を見逃す程、私は薄情ではない」
話は終わったと、花蓮は会話の流れを断つように殺気を爆発させる。
槍を右手で回転させて持ち替えると、投擲の構えを取り、サングラスの男を目掛け、一瞬の躊躇いもなく投擲する。
「おっと」
男は危なげなく槍を回避するも、代わりに自分の高級車が槍に貫かれた。
唖然とする間もなく車が爆発する。男は寸前のところで後方に大きく飛び退いて回避するも、その表情はどこか暗い。
「ま、まじか・・・一千万の愛車が・・・」
紅の槍が軌跡を描きながら女性の手元に戻る。
そのまま女性が距離を詰めるように疾走するにもかかわらず、男は天を仰いだ状態のまま変化はない。
「しッ!」
横薙ぎの一閃。空気の層を易々と突破する神速の攻撃は残像すら発生させる。
狙い違わず槍の穂は確実に男の首を捕らえ――接触する寸前、不自然に軌道が反らされた。
「ッ?!」
ありえない軌道の変化に女性は男の能力だと確信するが、これだけの情報ではその詳細まで絞ることが出来ない。態勢を整える為に素早く後方に下がり、低姿勢で槍を構える。
「はぁ、お嬢ちゃんが行ったところで死ぬだけだって事がなんで分かんねえかなあ。・・・しゃあねえ、ちょっくら俺が相手するか」
男は憂鬱な表情を浮かべながらも、その身に覇気を纏わせ、相対する情勢に手招きする。
「来い、運命に逆らってみな」
◇
「くっ!」
人数が多過ぎる!
幾ら全力で吹き飛ばしても次から次へと襲い掛かってくる。
「早く逃げてッ! 奴等の目的は俺だッ!」
「は、はいっ!」
俺の勢いに押されるように、人々は一目散に俺とは逆の方向に逃げる。そんな彼等を追うように、犯罪者が奇声を上げながら襲い掛かろうとするのを、俺が後ろから奇襲をかけて阻止する。
「お前等の相手は俺だって言ってるだろッ!」
全力の殴打、その一撃で犯罪者達を吹き飛ばす。
先程から体が軽い。
力が奥底から溢れ出て来る。この力がおそらく俺の保有する能力なのだろう。どうして、このタイミングで使えるようになったのかは分からないが、好都合だ。
これならば、全員が逃げる時間は稼げる!
倒す事は考えなくていい。
一人でも多く、俺に注意を向ける。
「あっついッ!」
当然、相手も能力者だ。
多種多様の能力が飛び交い、俺を殺さんと迫る。
眼前の光景は地獄と言っても過言ではないだろう。どこに回避しようとも攻撃を受けない未来は存在しない。故に、致命傷となるであろう胸と頭部だけは必死に守り、隙があれば攻撃を仕掛ける。
(もっと、もっとだッ! まだ力を出せるだろッ!)
訳もなく無我夢中で歯を食いしばる。
蛇口と最大まで捻りきっているような状態で今にも倒れてしまいそうだが、意識が擦り切れそうになる寸前で無理矢理に耐える。
そして、自然と拳を握ると、俺は言葉を紡いでいた。
「山砕き!」
狙うは地面。
言葉の通りに山を壊す勢いで拳を叩き下ろす。
そして、衝突。爆発にも似た大爆音が響き渡り、生じた爆風が犯罪者を諸共に吹き飛ばす。地面は蜘蛛の巣状に幾重にも亀裂が入り、まともな平地が消え失せた。
「はぁ、はぁ・・・」
休みの無い戦闘に流石に疲労が溜まって肩で息をする。
(もう少しだ・・・。必ず応援は来るはずだ。それまでもたせる事が出来たら全員を守り切る事が出来る)
そう思った刹那、俺の甘すぎる想定を嘲るような、小気味良い拍手が聞こえて来る。
「いやぁ、流石だなぁ。本調子には程遠いけれど、それでもここまでやるとは。少々僕は侮っていたよ」
白髪の少年がベンチから立ち上がり、こちらへと悠々とした雰囲気で歩みを進める。
俺は彼へと鋭い眼光で睥睨するも、彼は全く意に介さず、それどころか口の端を三日月の形へと歪めた。
「覇気も衰えていないようで何よりだ。そうでなくては僕が困るというもの。わざわざ大変な思いをしてまで集めたんだ。存分に味わってくれよ」
少年が懐から取り出したのは一つの玉。
その黒い玉はよく見ると、中で何かが蠢くように動き回っている。見ているだけで、何故だか気分が吐き気を催すそれから離れるように、無意識に足が一歩後退した。
そして少年は、その玉を地面へと落とす。
そこまで高さは無かったものの、玉はあっけなく割れ、中身を撒き散らす。
「ッ?! なんだッ!」
次の瞬間、玉から放出されたもの――霧に近い漆黒の靄が瞬く間に地面を呑み込む。
その効果はすぐに分かった。
「え?」
突然の事で、一瞬自分が倒れている事に気付かなかった。
(力が・・・入らない)
足元の霧に触れた途端に体を覆っていたオーラが消失し、地面に倒れ伏したのだ。
力を入れようと歯を食いしばるも、思考をなにかに妨害されて上手くいかない。
このままでは・・・
「さあ、どうする選定者君! 今度は聖を呑み込む呪われし霧だ。神の力であろうとそれが聖であるならば、何人たりともこの霧から逃れる事は不可能。ふははっ! でも、人形達は元気いっぱいで今にも街に行こうとしているようだ。完全に無力となった君が――」
惚けるように声高らかと喋っていた少年が、不意に喋るのを止めた。
その表情を見れば、少年が意図して止めた訳ではない事が分かる。
――おい、どこに行こうとしてるんだ。
声を出す事が出来ない。力も湧いてこない。
しかし、手に握る瓦礫を足に突き刺し、無理矢理に意識を覚醒させて立ち上がる。
そんな俺を少年は唖然とした表情で見つめている。
「・・・成程、訂正しよう。君はやはり宿敵だよ。そこまで狂っているとは思わなかった、僕も本気で応えよう」
そう言うと、少年は近くにいた犯罪者の一人に近づき、正面から心臓のある部分を右腕で抉った。
「ぐっがぁあああ!」
「かの者よ、この供物を捧げん――全てを還さん、破壊神」
(なんだ・・・あれは・・・?)
体が意識とは裏腹に震えだす。
少年の体に刻印が浮かび上がり、先程とは全く違う雰囲気を纏っている。
確証はないが、確信はあった。
あれは、自分とはそもそもの次元が異なるものだと。視界に入れるだけで膝をついてしまいそうになる程の絶望感が湧き上がる。
少年は、いや、先程までは少年であった存在は顔を俺の方へと向けた。
「人間如きが気安く視線を向けるな」
その台詞と共に、少年の左腕が掻き消え、俺の視界に蒼から貰ったペンダントが映る。
「こぽっ・・・っ?」
言葉を発しようとした時、口から出たのは熱い血だった。
手で抑えようとするも、口の端から血が流れ出て止まない。恐る恐る俺は視線を下げて、自分の腹部を見やり、ようやく自分の状況を理解した。
(そりゃ、こんな風穴が空いていたら血も吐くか・・・)
俺には視認する事さえ出来なかったが、少年の腕が一瞬消えた瞬間、俺に攻撃を放っていたのだろう。結果、正面から見れば反対側がくっきり見える程の風穴が俺の腹部に空いていた。
力を失ったように膝から崩れ落ち、俺は自分の血の海と黒い霧の中に沈む。
(・・・悪い、ペンダントを壊してしまった)
一か月にも満たない僅かの間だったけれど、蒼には心の底から感謝していた。ありがとう、と言葉で伝えられないが悔しいが、俺はもう・・・駄目みたいだ。もうまともに体を動かす事も、思考を動かす事も出来ない。
目を瞑ろうとした時、
パキンッと、何かの壊れる音がした。何度も、何度も、厳重に拘束された鎖が外れていくような音が。
次いで、鎖についていた鍵が崩れ落ちる音が続く。
そう、少年は言っていた。
この霧は聖のもの全てを呑み込むと。
――盤上の外から、ジョーカーが姿を現す。