111話 不快
「ターゲットが移動した」
『了解。こちらも後を追う』
柳家の住まうマンションから少し離れた廃ビルの一室。
そこには三人の人影があった。
全員が口まで隠れている格好をしており素顔は分からない。ただ、その内の一人が、マンションから出た隼人を双眼鏡で確認すると、耳元の通信機で別の場所の人間と連絡を取っているようだった。
「まさか絶対者を相手にする事になるとはな・・・」
三人の内の一人がそう呟く。
「世界を救った英雄といえど、記憶がなくなれば獲物として見られる、か。本当に腐りきっているな」
「仕方ないさ。何処の世界でも闇は根深いものだ。奴等の命令を実行している俺達が言える事は何もねえよ」
「だな」
隼人の記憶が失われているという情報は国の機密情報だ。
その事を知っているのは隼人の家族と一部の者のみ。つまり彼等はその一部のもの、ないしは何らかの方法でその情報を手に入れた者からの命令を受けて行動している事になる。
隼人を狙う理由は一つだろう。
彼の常軌を逸した能力を少しでも解析できたのならばその恩恵は計り知れない。
部隊の受けた命令が隼人の“捕縛”という事からも目的は明らかであった。そして捕縛した後に何が待ち受けているかは想像に難くない。隼人が廃人と化すまで実験を繰り返し、なにも得るものが無くなれば容赦なく処分するだろう。
『目標が、人ごみの少ない場所に移動した。任務を実行する』
「了解」
通信機から任務実行の連絡が送られてくる。
それぞれの部隊には別々の役割があり、この場にいる三人の役割は、もし特殊対策部隊の何者かが現れた時の対処であった。単体でも部隊を全滅させるだけの能力を秘めた彼等とぶつかれば死は免れないだろうと考えていた為、三人はぶつからずに済みそうな現状にほっと胸を撫で下ろす。
『皆さん、なにをされてるんですか?』
『っ?!・・・ちっ、一般人に目撃された』
今にも実行しようとしていた最中、通信機から苛立ちの声が聞こえる。
『胸糞わりぃな。お嬢ちゃん、運がない自分を恨みな』
目撃されたら一般人であろうと殺さなければならない。
部隊の連中も好き好んで殺戮をしようとは思っていない為、慎重に慎重を重ねて行動してきたが、見つかってしまったようだ。
(・・・どうして実行前に一般人に見つかる?)
浮かんだ疑問にすぐに意味がないと思うと、頭の中から振り払う。
その少女の数秒後の未来を考えた三人は目を瞑りせめて痛みなく死ねることを祈った。
次の瞬間、
――そんな場違いな行動を嘲笑うようにインカムから悲鳴が聞こえた。
『ぐぁあああああ!!!!』
明らかに少女のものとは思えない野太い男性の悲鳴。
そして激しい戦闘音が街中に木霊する。
なにが起こっているのか分からず状況の説明を求めるが、緊迫しているのか一向に返答は返ってこない。
既に十数秒と経っているがそれでも戦闘が終わる気配を見せない。
実行部隊の人数は十名以上もいるというのに、だ。
部隊の中でも選りすぐりが選ばれている実力集団。流石に特殊対策部隊と比べると見劣りするが、それでも一般人と比べれば格が違う者達だ。そのはずだった。
『悪魔か・・・』
通信機越しに聞こえてなお分かる恐怖に満ちた声。
最早生気が一切感じられないその声に、三人は混乱する。
気付いた時には戦闘音が止んでいた。
どちらが勝利したかなどわざわざ聞かなくても分かる。
一体、現場で何が起こっているのか。これだけの戦闘音が鳴り響いている・・・いや、いたというのに、何故他の一般人が気付く様子がないのか、普通であればもうとっくに街を守護する救急隊が出しゃばって来てもおかしくはないはずであるのに。
『ごめんね』
少女の声が聞こえた。
呟いたのは謝罪の言葉。それがどういう意味なのかは分からない。
分からないままに、なにかが爆ぜるような、抉れるような音が響いた。
そして、
『今からそちらに向かいますね』
背筋に戦慄が走る。
思わず喉を鳴らし、直ぐに場所を移動しようと振り返る。
「・・・君、いつからそこに居た」
一人が振り返りざまに体を硬直させ、そう問いかける。
――目の前の少女に向かって。
可愛らしい少女だ。
ピンクの髪を低い位置で結んでツインテールにしており、大きな紅の瞳は見ているだけで吸い込まれてしまいそうだ。
本当に、可愛らしい、害があるとはとても思えない少女。
ただ、少女の服に飛び散った血を見ればそんな考えも吹き飛んでしまう。
一人や二人の量ではない。
返り血であの量が付いたのであれば、それこそ十人以上の人物を仕留めなければならない。そしてその数は丁度実行部隊と等しいものだった。
「今から向かいますと、先程言ったと思いますが。・・・そんな事よりも、貴方方もお兄ちゃんを狙っていると思っていいですよね?」
“お兄ちゃん”、つまり目の前の少女は絶対者の妹という事だ。
三人は脳内で素早く情報を整理する。無論、計画が始動する前に目標の家族について調べなかった訳が無い。柳 蒼、保有する能力は、【消滅】。自身を中心とした半径二メートル以内の物体を消すというものだった。
確かに強力な能力ではあるが、半径二メートル以内に相手を引きずり込まないといけない為、実戦では脅威にはならないと判断した。
「ああ、そうですか。もう何も言わなくていいです、その目を見たらもうわかりますから」
蒼は、『はぁ』と心からのため息を吐きだすと、ぴちゃぴちゃと血を滴らせながら一歩ずつ進み出る。
相対している三人は、内心で冷や汗をかきながら武器を手に取り、周囲に目を巡らす。
彼等は目の前の少女に自分達を相手取る実力はないと判断したのだ。
つまり、他に数名敵が潜んでおり、少女は三人の意識を潜んでいる仲間に向けない為の囮だと判断した訳だ。
「・・・ちっ!」
少女が一歩ずつ迫る中、一向に敵が現れない事に舌打ちする。
このままでは、敵が現れるより先に少女の領域二メートルに入るのも時間の問題だ。取り敢えず牽制しようと三人のうちの一人が、少女に向かって右手を向け能力を発動させる。
「はっ・・・?」
否、発動させようとした。
しかし、その前に右腕が根元から消滅した。
少女との距離は六メートルは離れている。
確実に少女の持つ能力の領域の外だ。そもそも【消滅】の能力は対象を消滅させるのに何らかの初動がある。こんな風に突然消滅させる事はできないはずなのだ。
素早く右腕を止血させようと左腕で血管を止め、一度その場から後退しようと下半身に力を込めようとした。全く無駄のない動き、この人物が如何に実戦に慣れているかが伺える反射神経だ。
しかし、力を込めようとしても既に下半身が消えているのならばそれは意味がない。
上半身だけになった体で宙を落下する感覚に数秒晒され、地面に落下する寸前でその上半身も消滅した。
五秒にも満たない時間だった。
残った二人はあまりの衝撃に唖然と目を見開く。
「私はお兄ちゃんみたいに甘くないですよ。敵だというのなら容赦は一切しませんから。安心して下さい。痛みを感じる暇もありませんから」
そこでようやく、二人は少女の危険性に気付く。
能力の情報は完全にデマだ。脅威ではない? 知っている者なら、理解してしまった者ならエイプリルフールでも言わない冗談だ。
カタンッと音がした。
一人がそちらに顔を向けると、地面に落ちた短剣と腕の半分から切断された左腕が地面に血の海を作っている。
「ははっ・・・」
乾いた笑みが漏れる。
警戒していても尚、全く反応が出来ない能力。
こんな状況だというのに、不思議と頭に警鐘は鳴っていなかった。
当然と言えば当然だ。警鐘というのは警戒を促すものだ、既に詰んでいるこの状況で鳴るはずがない。
自分の死を意識したからか、最後の一人はそれを見た。
巨大な顎を開き自分に迫るそのおぞましい闇を、
「これの何処が【消滅】だよ・・・」
通信機で聞こえた『悪魔か・・・』という台詞は俺と同じものを見たからかもしれないな、などと思いながら最後の一人はこの世から消えた。
「・・・どうしてそんな表情をするなら、こんな事に手を染めるの?」
死んだ者はもう答えない。
それでも蒼は問わずにはいられなかった。
人を貶めようという者が自分が死に瀕した時には決まって絶望の表情をするのだ。
狂人のように笑って死んでくれた方が百倍マシであると感じる。
「痛っ! ・・・まだだ。まだ終わってない」
激しい頭痛を無理矢理に我慢して、歩き出す。
柱の陰に一瞬隠れ、すぐに陰から抜け出すが、その一瞬の間に服に付いていた大量の返り血はまるで最初からなかったかというように完全に消え去っていた。
「もう、傷つかせない。今度は、私がお兄ちゃんを守るから」





