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魔法使いと業火の娘  作者: 深月(由希つばさ)
第1章 仔猫と水晶
6/61

1-5

 大型の織機(おりき)(うで)がカタリ、コトリと静かに上下する合間(あいま)、マーガレットの鼻歌が(おだ)やかに流れていく。

 (かたわ)らで横糸を通すのを手伝っていたリリーも嬉しくなるぐらい、軽やかな音色。

 マーガレットが織っているのは、一点の染みもない、新雪のように真っ白な布地だった。

 屋敷に来るまで生まれてこのかた、生成(きな)りの(あさ)の服しか知らなかったリリーは、まるで天使の衣装(いしょう)みたいだと思った。

 思わず、ほぅ、とため息をついた。



「お祭り、リリーちゃんは行ったことある? 凄いんだから。(おど)り子たちの綺麗(きれい)(おど)りが見れたり、楽士隊の(めずら)しい演奏が聞けたり。見たらきっとびっくりするわよ」



 どうやらマーガレットが織っているのはその祭りで使う衣装らしい。

 (おど)り子が着るのか、もっと他の出し物で使うのか……想像するだけで胸が(はず)むようだった。



「それって、おらたちも行けるの?」


「もちろん。祭りのときは私たち使用人も(ひま)がもらえるの。祭りの後は忙しくなるからね。私たちにできるのって、こんなことぐらいだしさ……」


「……? マーガレット……?」



 なんとなく、マーガレットの表情に影が射した気がした。

 だが、リリーがそれを(たず)ねる早く、台所の方から声をかけられて、マーガレットは(はじ)かれたように立ち上がった。



「マーガレット! ドニーにご飯持ってったかい?」


「やだ、いけない! 私ったらすっかり忘れてた。……リリーちゃん、台所に置いてある藤籠(とうかご)、ドニーに届けてくれない? 多分、お庭のどこかにいるはずだから」


「はーい」



 ワーグナー家の庭は広く、庭師(けん)雑用係でもあるドニー青年は外で食事を()ることも多い。

 リリーはまず門のところまでぶらぶらと歩いてみた。

 家畜(かちく)小屋を(のぞ)き、裏の林の方までひととおり声をかけて回る。



(……いない。どこ行ったんだろ)



 屋敷の周りをぐるりと一周して、作業小屋の裏手でようやく目当ての青年を見つけた。



「こんにちは、ドニー! ご飯持ってきたよ」


「やぁ、おちびさん。元気だね」


薪割(まき)りしてるの? おらも手伝う!」


「えぇっ?! ダメだよ、危ないよ」


「平気へーき」



 ──とは言ったものの。



(な、何これ。重い……!)



 リリーは(おの)を持ったまま、ふらふらとよろけた。

 切り(かぶ)の上に(まき)をセットして、あとはそのまま振り下ろせばよかったはずが、てんで明後日の方向に歩いている。

 (おの)を自由自在に振り回すはずが、逆に、(おの)に振り回されている。



(ドニーが持つとあんなに軽そうなのに……なんで?!)



 庭師(けん)雑用係の青年は心配そうにおろおろしている。



「大丈夫かい、おちびさん」


「平気、へーき……あっ!」


「あ……」



 バランスを(くず)した拍子(ひょうし)に、(おの)が手からすっぽり抜けた。

 (ゆる)やかにカーブを描きながらすっ飛んでいき、ドニーの短い髪を数本さらって作業小屋の壁に突き刺さった。

 ……一歩間違えば、ドニーの首を()き切っていたところ。

 二人の間に気まずい沈黙(ちんもく)が落ちた。



「ご、ごめんなさい……」


「……。あのさ、手伝わなくていいから」


「………………はい」



 これにはリリーも、ぐうの音も出なかった。

 藤籠(とうかご)だけ置いて、おとなしく帰ることにした。

 ずっと庭仕事をしていたドニーは火照(ほて)った襟元(えりもと)(ゆる)めた。

 太陽が容赦(ようしゃ)なく照りつける空を見上げている。



「……ふぅ。しかし、暑いな。こう日照りが続くと(まい)るなぁ。このままだと、今年もまたひどい飢饉(ききん)になるぞ……」


「……え……?」



 リリーの顔がさっと強張(こわば)った。

 屋敷の中にいるから忘れていた。

 水も食べ物も満足にない暮らし。()えをしのぐだけの毎日。()せ細っていくだけの兄弟たち……。

 その様子に気付いて、ドニーが(あわ)てて付け足した。



「大丈夫だよ、おちびさん。近々、祭りがあるからな」


「……?」


「ほら、外は暑いだろ。早く屋敷に戻りな」



 屋敷に戻るとき、ドニーのぼやきが聞こえてきた。



「……そうだよなぁ。俺たちはまだ恵まれてるよな。魔法使いに仕えてるってだけで(めし)にありつけるんだから……」



 (うれ)いを帯びたその声が、なぜか耳から離れなかった。



  ☆☆



 その昼下がり──

 マーガレットから言いつけられた()掃除(そうじ)を終えて、リリーはアモルの部屋の前を通りかかった。

 固く閉ざされた扉の前に、食事の(ぜん)がぽつんと置き去りにされている。

 メニューは昨日の夕食だった。

 冷めて(まく)の張ったシチューが手つかずで放り出されている。

 アモルはいわゆる研究(はだ)で、たまに寝食(しんしょく)を忘れて何日も部屋にこもっている。

 中で何をしているかは知らない。

 放っておいて気が付くと、食事の(ぜん)がカラになっていたりする。かと思えば、手つかずのままダメになってしまうこともあった。



(いくら魔法使い様だからって、食べ物を粗末(そまつ)にするなんて……)



 リリーはちょっと腹を立てた。

 同時に、悲しくもあった。

 毎日、決まった時間に運ばれる食事の(ぜん)が、この少年には当たり前なのだと知って。

 これがあれば、リリーは家族の元から売られずに()んだ……という思いを首を振って追い出した。



(……でも。もし中でお加減が悪かったりしたらどうしよう。この間もなんだか顔色が悪かった気がするし……)



 ……だんだん心配になってきた。

 最初に(くぎ)を刺されて以来、若い主人の部屋に入ったことはないのだけれど……。



(声かけてみようかしら。でも、お邪魔になったらどうしよう……)



 リリーはドアの前をうろうろと行ったり来たりした。

 部屋の中からは物音ひとつ聞こえない。



「……ア、アモル様ー? いますかー?」



 おそるおそるノックした。

 返事はない。

 リリーはますます心配になった。

 中で倒れてたりしたらと思うと気が気ではない。

 普段の横柄(おうへい)な態度はともかく、野良(のら)仕事を知らない色白の少年は、ほんのたまに、木漏(こも)れ日に溶けてしまうんじゃないかと思うぐらい繊細(せんさい)に見えるときがあった。



(……。えい!)



 ドアノブを回したら、うっかり開いた。

 少しずつ、ゆっくりとドアを開ける。

 最初に飛び込んできたのは、羊皮紙(ようひし)と木とインク、それと、何かの塗料(とりょう)の匂い。

 壁一面に作り付けられた(たな)には、おびただしい数の巻物や木札が(あふ)れている。

 入りきらない分は床にまで(こぼ)れ、ベッドの上だけが無事だった。

 そして、一番(おく)にある机に突っ()した少年が一人。

 リリーは足の踏み場に気を付けながら、ゆっくりと部屋に入った。

 机に突っ()したアモルは規則正しく寝息を立てている。



(ね、寝てる……。寝てるだけ?)



 つい、確かめた。

 気持ちよさそうな寝顔にほっとする。

 こうして見ると、リリーと何も変わらない、あどけない少年だった。

 ベッドから上掛けを持ってきて肩に掛けた。

 起きる気配はない。



(ちゃんとご飯食べないと大きくなれませんよー?)



 本人には面と向かって言えないことを胸のうちで(つぶや)いて、くすりと笑う。

 そうすると、少し気持ちに余裕(よゆう)が出てきた。

 リリーはアモルの読んでいた羊皮紙(ようひし)(のぞ)き込んだ。

 最近、リリーはマーガレットから読み書きを教えてもらうようになった。

 最低限の読み書きができると、色々と便利なのだった。

 砂糖と塩の(つぼ)を間違える回数が減ったり、お(つか)いに行ったときに値段を誤魔化(ごまか)されずに()んだり、とか。

 いつもはドジなリリーも、読み書きに関しては飲み込みがよくて、教えてくれたマーガレットが(した)を巻いたほどだった……のだが。



(……むぅ。読めない)



 内容が難しくて(まゆ)をしかめた。

 アモル様は普段、こんなものを読んでいるのか……。

 机の上には、魔術具だという水晶玉や鏡も転がっていた。

 それには触らないように注意深く避けながら、リリーは自分にも読める文字を探してきょろきょろと見回していると、(たな)片隅(かたすみ)に木札を見つけた。

 植物のツタが(から)まる紋様(もんよう)が描かれていて、装飾(そうしょく)が美しいのに()かれた。



「きぎ、のせ、い、れ、い? いぶき、の、かいな、を……」



  木々の精霊に命ずる


  息吹(いぶき)(かいな)を我に伸ばし

  永久(とこしえ)の祝福を我に(さず)けよ


  深緑の揺り(かご)で我を(いだ)

  実りの喜びを我が身に(さず)けん



 読み終えた瞬間、リリーの小さな心臓が、ドクンと鼓動(こどう)を奏でた。

 血の(めぐ)りが一気に活性化し、熱い熱となって(ほとばし)り、両腕を通って木札に流れ込む感覚がした。



「ふぁ……?!」



 にわかに火照(ほて)った両手の中で木札が光を(はな)ち、なんと、ツタの紋様(もんよう)が浮き上がった。

 描かれていた植物が木札を飛び出して本当に芽を出し、木札を苗床(なえどこ)にして見る見るうちに育ち始めている。



「ええぇっ?! な、何これ! どうなってんの?」



 パニックに(おちい)ったリリーをよそに、植物はぐんぐん伸びて、やがて大きな(つぼみ)をひとつ、つけた。

 深紅(しんく)に輝く一輪の野バラだった。



(……綺麗(きれい)……)



 リリーは魔法の野バラにそっと手を伸ばした。

 リリーの魔力を吸って育った花は蠱惑(こわく)的な魅力(みりょく)を放って香ってくる。

 まるで美しい(まぼろし)の中にリリーを(いざな)うように……。

 だが、花はリリーが触れる(そば)から炎を宿して燃え上がった。

 リリーは悲鳴をあげた。

 (まぼろし)の熱は(またた)く間にリリーを()み込んだ。

 心臓から強引にエネルギーを吸い出し、(しぼ)り取り、リリーの魔力を(むさぼ)()くそうとする。

 身体から力が抜けていく……。


 気が付けば、リリーは火の粉に(かこ)まれていた。

 炎に包まれた(やかた)を、リリーは見ていた。

 火の粉はその炎が生み出しているのだった。

 (やかた)の柱は燃え(くず)れ、豪奢(ごうしゃ)装飾(そうしょく)はバターのように溶け、見る影もなく無惨(むざん)な光景に変わっている。

 燃え落ちるのを待つばかりの(やかた)に、一人の少年がいた。

 リリーよりも少し年上で、けれど、世の中のすべてを(あきら)めきったように、炎に包まれる部屋で逃げもせず、静かに立っている。

 無感動なその瞳は、綺麗(きれい)なすみれ色をしていた……。


 ──バシャリ、という衝撃(しょうげき)でリリーは我に返った。



「……あ……? ……あれ?」



 さっきまでいた、アモルの部屋だった。

 床に(うずく)って()(ねずみ)になったリリーを、アモルが切羽詰(せっぱつ)まった形相(ぎょうそう)見据(みす)えている。

 手にしているのは、さっきまでリリーが使っていた()掃除(そうじ)木桶(きおけ)だった。

 火の()を噴き出した木札もろとも、リリーに水をぶっかけて消火したらしい。

 室内はひどい有様だった。

 リリーが立っていたところの床は焼け()げ、飛び火した火の粉が巻物や木札を焼いていた。

 その上から()掃除(そうじ)(よご)れた水を容赦(ようしゃ)なくぶっかけたせいで、火の()(のが)れて無事だった物までひどい臭いを放っている。

 アモルがリリーの手から取り上げて(たた)き折った木札は、沈黙(ちんもく)して床に転がっていた。



「お、おら……」



 リリーはようやく自分の失態を(さと)った。

 がたがたと震え出したリリーの胸ぐらを、アモルが引っ(つか)んだ。



「おまえ……なんで部屋に入った! もう少しで本当に取り返しのつかないことになるとこだったんだぞ?!」


「ご、ごめんなさ……おら、こんなつもりじゃ……!」


「ごめんで()むか! おまえ、自分のしたことわかってんのか……あ、おい!」



 懸命(けんめい)に意識を(つな)ぎ留めながら謝ろうとしたリリーの身体から、今度こそ本当に力が抜けた。

 ぐんにゃりと倒れ込んだリリーを支えきれず、アモルも一緒に、水浸(みずびた)しの床に尻餅(しりもち)を突く。



「……っ?! おい、おまえ! リリー、しっかりしろ! ……誰か! 誰か来てくれ!」



 アモルの必死の(さけ)びを聞きながら、リリーの意識は水面(みなも)に投じられた小石のように、(やみ)に深く(しず)んでいった。

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[気になる点] もしかしてタイトルの『業火』って、ここから来てる? って勝手に想像して読んでました。 [一言] 実は前に読ませていただいてます。 と、いう事で今は2週目に入ってます。 かなりお話が重厚…
[一言] こんにちは٩( 'ω' )و どうしよう、いつかするんじゃないか、と思っていた部屋への侵入をしちゃった……(●´ω`●;) やばい幻を見て、幻でよかったと思いつつ、しかしその光景はリリ…
[一言] リリーちゃん、またやらかして……。 でも、これだけ育ってきた環境が違えば、常識も違うし、仕方ないか……。 リリーちゃん、どうなることやら。 リリーちゃんの身に何が起きているのか。 楽しみに…
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