3-8
……二人に任せてしまってよかったのだろうか。
ダイスとマクウェルに託された買い物袋を抱えながら、リリーはとぼとぼと歩いた。
時折、猫の『あもる』の名前を呼ぶのも忘れない。
あもるは賢い猫で、名前を呼べばすぐに返事をした。
外を出歩いても、夕飯をあげる時間には必ず帰っていた。
どこかで事故にでも遭ったのかもしれない。それとも……──
考え事をしていたリリーだったが、ふと、何かが目にとまって足を止めた。「何か」が──というのは、見ていてもそれが何かわからなかったからだ。
大きさは猫と同じぐらい。
けれど、夜目にも鮮やかなピンク色をした何かの「お尻」が、リリーの傍らにある塀の鉄格子を通ろうとしてつっかえている。
(に、人形? 人形が動いてる!? なんで?)
身体の柔らかい猫だったら、鉄格子の間をすんなり通り抜けただろう。
だが、おそらく藁か何かが詰まっているだろう太めのボディはなかなか中に入れずにいる。
呆気にとられたリリーだったが、相手が幽霊ではなく見るからに愛嬌のある人形だったことで警戒心は薄らいだ。
「……貴方、ここ通りたいの?」
人形に話しかけても通じないだろうが、恐る恐る語りかけて、試しに人形のお尻を後ろから押してみた。
すると、人形はすぽんっと塀の向こう側に転がった。
起き上がってキョロキョロと辺りを見回し、なんとリリーの方に向き直ってぺこりとお辞儀した。
塀の向こうにある館の方に走って行き、どこかに行ってしまった。
(……なんだったの、今の……?)
立ちながら白昼夢でも見たのだろうか。
リリーは人形の入っていった立派な館を見上げた。
木蔦の這う火の気のない館は、見るからに放置されて久しい。
窓にはボロボロのカーテンがかかり、蝶つがいが壊れて傾きかけた窓の残骸が、夜風に揺られてキィキィと軋んでいた。
不意に、教室で聞いた噂話が思い出された。
『ねぇねぇ、知ってる? 町外れの館ね、出るんだって』
『今では誰も住んでない館にね、夜な夜な、女の子の霊が出るっていうの……』
『病気の女の子が寝ていた部屋の窓で、鬼火がゆらーっ、ゆらーって……』
ぶるり、と悪寒がリリーの腕を這った。
そんなはずはない。ただの怪談話だ。
そうは思っても、自然と身体が後ずさってしまう。
先ほど見た人形が妙に現実感がなかっただけに、教室で聞いた幽霊の話が奇妙な実感を持って感じられるのだった。
「大丈夫よ、リリー。ゆゆゆ、幽霊なんているわけない……」
自分自身にそう言い聞かせていると、どこからか「にゃあ」という鳴き声が聞こえて、リリーは文字通り飛び上がりそうになった。
「ちょっと『あもる』、おどかさないでよ」と言いかけて──
それが捜している黒猫の鳴き声だと気付いた。
リリーは、はっと館を振り仰いだ。
「…………あもる……?」
春にしては冷たい夜風が立ち枯れた木々の枝を煽って不吉な物音を立てる。
どこかでフクロウがほぅほぅともの悲しく鳴いていた。
リリーは恐怖に駆られて逃げ出しそうになる足を怖々と踏み出して、打ち捨てられた館の門を入っていった。
物陰から亡霊が飛び出してきそうな前庭を抜け、元々は豪華だったであろうエントランスに手を掛ける。
──が、案の定、鍵がかかっていた。
(さっきの人形、どこから入ったんだろう……?)
もちろん、猫や人形とリリーでは体格が違いすぎるから、同じ場所から入れるとは限らないが。
キョロキョロ辺りを見回していると、ちょうど草を踏み分けたように通用口までの小道ができていた。
ここでリリーがもう少し冷静だったら、通用口の蝶つがいが錆び付いていないことを不審に思っただろう。
だが、このときのリリーは、通用口の扉に鍵がかかっていなかったことに、ただほっとした。
通用口から入ると、かつて下働きの者たちが使っていた厨房や使用人部屋に繋がっていた。
そこを通り抜けると、幅広の廊下に出る。
どこもかしこも埃っぽく、喉の奥がイガイガした。
過ぎ去りし日に客人をもてなしたと思われる応接室や広間は荒れ果て、瀟洒なテラスのあったサンルームは雑草が生い茂る魔境と化し、金目の物はことごとく持ち出されるか盗み出されているようだった。
天井に吊り下がっている錆びたシャンデリアの硝子だけが、かつての栄華を誇るように儚く揺れている。
こんなところに『あもる』がいるなら、リリー以上に心細い思いをしているに違いなかった。
一刻も早く連れ戻したい一心で一階部分を探索していると、どこかからまた、猫の鳴き声がした。
「……あもる!?」
声を追って二階に上がる。
すると、黒猫の尻尾の先が視界の隅をすり抜けて廊下の奥に駆けていった。
間違いない。女子寮の部屋から忽然といなくなった『あもる』だ。
リリーは恐怖も忘れて黒猫を追いかけた。
そうしてやっと黒猫に追いついたとき、リリーは廊下の突き当たりにある大きな扉の前にいた。
大事な宝物の温もりをしっかりと抱きしめる。
怪我ひとつないのに安堵した。
「よかった……! 心配したんだよ!」
黒猫の『あもる』は、何かを警戒するように扉を見つめている。
リリーはようやく違和感に気付いた。
(……?)
扉の向こうから、微かに物音がする。
無人の館だ。リリーと黒猫以外に、誰かいるはずがない。
いるとすれば、リリーが見かけた『謎の人形』だが、扉の向こうの気配は明らかにひとのものだった。
泥棒……という可能性を考えて、すぐに否定した。
他の部屋が盗り尽くされているのに、この部屋だけ無事だとは考えづらい。
泥棒ではないのなら……──
『昔、その館にお金持ちの女の子がいたらしいの。でも、流行病になっちゃって、家族も使用人もみんな彼女を見捨てて出て行って、女の子は広い館で一人淋しく死んでったらしいわ。自分を見捨てたひとたちを恨みながら……』
──ここがその『女の子の部屋』なのだとしたら。
部屋の中から、靴音がゆっくりと近づいてくる。
逃げようと思っても、金縛りに遭ったように動けない。
(……あ……あぁ……やだ。助けて)
リリーは半泣きになりながら黒猫を抱きしめた。
いつもは苦しがって暴れる『あもる』も、今は扉の向こうの気配に集中して固まっている。
やがて両開きの扉が向こうから開き、中の人物が姿を現した。




