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貴方のためならかまわない。
──たとえ「魔女」と呼ばれても……。
☆☆
「さあ、いいね。もう帰ってくるんじゃないよ。じゃないと、あんたを殺さなくちゃならなくなる……」
少女は神妙な顔で頷いた。
年は、やっと十を数えたばかり。
まだ死体にはなりたくなかった。
生まれ故郷は痩せた土地だった。
近くに海や川はなく、山は年中、枯れた草木で覆われているようなところ。
家族を養っていくのに精一杯で、作物が売るほど余るわけもなく、飢饉になれば小麦の粒よりも大量の餓死者が出た。
少女も土地と同じように痩せっぽちで、畑仕事ではいつも役立たずだったから、家族は小麦の代わりに少女を売った。
──買ったのは、魔法使いだった。
☆☆
「……なんだ、こいつ。こんな痩せ細ったガキじゃ水汲みもろくにできないぞ。そもそも俺は奴隷なんか欲しいと言った覚えはないぜ。帰った帰った」
──正確に言うと、買ってもらえてなかった。
そのことに少女が気付いたのは、故郷から半月近くも歩き、辿り着いた屋敷の前だった。
仲介人は押し売り業者らしかった。
金持ちの家の門を叩いては商品を売り込んでいくセールスマン……思いっきり悪徳商法だった。
というより、人身売買な時点で、既にろくな商売ではない。
(ここで買ってもらえなきゃ飢え死にか野垂れ死にするしか……)
焦った少女は、自分を目玉商品として売り込むことにした。
セールスポイントは三つ編みのお下げとガリガリの手足。今なら期間限定で、粗末な麻のワンピースを着ています……ムリ。一山いくらで投げ売っても買い手がつくとは思えない。
路上で干からびたように餓死する自分の姿がありありと目に浮かんだ。
自分でも意識しなかった涙がぽろりと零れた。
う……と無精ひげを生やした若い男がたじろぐ気配がする。
仲介人がすかさず定価から値引き始めた。今なら初回特別価格でのご提供。
だが、一山いくらのみすぼらしい娘がブランド品に化けるわけもなく、ついに男と仲介人で口論を始めた。
「これ以上安く買えるところはないですよ。後で後悔しても遅いんですよ」
「俺は別に奴隷なんか欲しくないんだよ! 大体、売るならもっとマシなの仕入れてこいよ! こいつ、ふにゃふにゃのゴボウみたいだぞ?!」
「それはお客様の調教次第ですな。あと五、六年もすればお客様好みの妖艶な魔性の女に……」
「──なるかっ。あーもう! さっさと帰れ!」
……ひどい言われようだった。
けれど、少女は泣きながら、扉を閉めようとする男の服に縋った。
ここで見放されたら何もかも終わりだった。
「……あの。あの! 待って。おら、ラトミ村のリリーって言います。藁を編むのも子守りもできます。水汲みだって、どんなに遠くても行きます。精一杯がんばります! だから……」
──ここに置いて。なんでもするから。
仲介人は売れない商品のことなど、路上に放っぽり出すだろう。
少女の命運は、今や初対面の無精ひげ男が握っていた……とても心許ないことに。
「……兄さん、玄関先で何を騒いでるんだ?」
「ああ、おかえり」
帰宅したのは、少女とそう変わらない少年だった。
夜闇に溶け込む漆黒の髪。
面差しはどことなく理知的で、ゆったりとしたローブから覗く手足はほっそりとしている。
少女のように栄養状態が悪いというのではなく、日頃、肉体労働をしていない裕福な家の子だった。
「なんでもない、アモル。ただの押し売りだ。さあ、早く家に入れ。……おまえらは早く帰った帰った。これから家族でメシにすんだから」
「……押し売り?」
少年に頭から爪先までまじまじと見られて、リリーは消えてしまいたい気持ちになった。
同じ年頃なのに、境遇が何もかも正反対なのが、見てくれだけでわかってしまうのが恥ずかしかった。神様って不公平だ、と文句のひとつも言いたくなる。
アモルは少しの間、何か考える風になった。
「兄さん、この前の約束、覚えてる?」
「うん? 約束……?」
「僕が一人前の魔法使いとして認められたら何でも買ってやるってやつ。……これに決めた」
「ああ、そういえばそんな約束したな。忘れてない。忘れちゃいない……けど……は? これ?」
その場の全員がぽかんとした顔をした。
弟に祝いの品をねだられた兄はともかく、仲介人も、リリー自身もだ。
アモルは淡々とした表情に笑みを刻む。
「前から僕専用の小間使いが欲しいと思ってたんだ。いいでしょ、兄さん?」
「え……いや。ちょっと待て。おい。そんな急に……」
「男が一度した約束を破るなんて格好悪いと思うな、僕」
「……え。ああ、はい……えぇ?」
反対意見は、とうとう誰からもあがらなかった。
☆☆
結局、リリーは屋敷の中に通された。
アモルの案内で使用人部屋に連れていかれる。
簡素な二段ベッドが四つあり、使用人たちの荷物が乱雑に放っぽりだされていた。
「ベッドは空いてるところ好きに使え。荷物もその辺に適当に置いて。あとのことは他の雇い人に聞いてくれ」
「あ、はい」
リリーはまず自分のベッドがあることに驚いた。
家では他の兄弟と藁の上で雑魚寝していたので。
「……えっと、それで、おらは何をすればいいんでしょう?」
「別に。何もしなくていい」
「……は?」
「ここで適当に生活しておけば?」
「……い、いやいやいや! あんた専用の小間使いって話でしょ? 何をすればいいですか? 掃除? 洗濯?」
「ひとつ言っておくけど、僕の部屋には入るな──絶対にだ」
「……はい?」
主人の部屋に入らないのに、『専属の使用人』?
今度こそ、リリーはどうしたらいいのか途方に暮れた。
「……あんた、何のためにおらを買ったんですか?」
アモルは、思ってもみなかったというように瞬きした。
さらさらとした黒髪の下、燭台の火に照らされた瞳が綺麗なすみれ色をしていることに初めて気が付いた。
「……一山いくらのふにゃふにゃゴボウが妖艶な魔性の女になるのを見てみたかったから、かな」
──その台詞は、彼が一部始終を見ていたことを物語っていて。
顔から火を噴くリリーにかまわず、彼は満足げに微笑んで使用人部屋から出ていった。




