ワシ、誕生
すみません、次回以降の更新は未定です。
意識の覚醒は、突然だった。
光が見える、音がする。どちらもぼやけているものの、目にも耳にも入ってくる。
何が起きたのかと、手足を動かした。だが、宙にでも浮いているのか、どこにもぶつかる感触がない。
――なんじゃあ、どうしたあ?
確か、自分は死んだはずだった。最期の最後で奇妙な声が聞こえはしたが、しっかりと死ねたはずだ。
だというのに、光と音、そして確かな四肢の感覚はどういうことだろう。ぼんやりとではあるが、五感も機能している。
何が起きたのか、全く分からない。分かるのは、自分がまだ生きているということだけだ。
――あの子が約束を違えたのか?
死に際に聞こえた、聞き馴染みのない声。必死に老人を生かそうと説得していたが、まさか約束を破って老人を生き返らせたのだろうか。
――カミサマだの、テンシだのと言っておったが、実は悪魔の類だったのか?
そう考えたところで、
「失礼なーっ! わたしは天使ですっ、神様のお使いですっ。約束を破ってなんかいませーん!」
耳ではなく、直接頭に声が響いた。
――ではなぜ、ワシは生きておる? 死なせてくれんかったのか?
喉ではなく、頭で思う。低く、静かに、光の中のどこかへ向けて、問いかける。
生前、だと思うが、持っていた力を総動員する。もしも下手な答えが来ようものなら、ありったけの魔法をぶつけるつもりだった。
少女の声は、しばらく聞こえてこなかった。
――どうした? 答えてみんか!
ぐ、と喉が鳴る。怒りすら覚えて、老人は少女の声を待つ。
しかし、そこに来たのは、声ではなく感触だった。自分を包み込むような、温かさと柔らかさ。老人が死んだ、硬いベッドではない。人肌のぬくもりと、優しさだ。
何かが耳に届く。はっきりとしない。ただ、少女の声ではない。
なんと言われているのだろうか。音、もしくは声は、羽毛のように、老人の耳を優しくなでる。
怒りが、徐々に抜けていく。こわばらせていた体から力を抜くと、そこに、恐る恐るといった風で、
「お、怒らないでください。約束は守りましたから……」
と、待っていた声がした。
――なら、これはどういうことじゃ? ワシは死なせてもらえんかったのか?
「ち、違います違いますっ。ちゃんと亡くなりましたよぅ。わたしが看取りました。きちんと、お墓も作ったんですから! 土を掘って!」
意外な律儀さがあったものである。少女は老人の亡骸を弔ってくれたらしい。
「お花もきちんと供えました! たぶん、あの後、近くに住んでいた人族が気づいてくれたはずです。夢に出ましたから、わたし!」
――夢に、でた、じゃと?
「そ、そうですよぅ。近くに住んでいたお爺さんが亡くなったから、見てきてあげてくださいーって」
天使は、そんなこともできるのか。
――まるで魔法のようじゃな……。
「魔法なんて言わないでください。天恵です! 悪魔の使う邪法とは違います!」
――違いなどどうでもいいわい。それで?
「えーっとえーっと。あ、村の人たち、お葬式やってくれたみたいです! うわ、なんか盛大ですよ!」
――ワシの葬式のことなんぞ、聞いておらんわい。ワシは、今どうなっておる。
「えっ、でも、なんか人族の王様が駆け付けたとかいう話らしいですよ? それどころか、国全体で……」
――だから、ワシの葬式など……って、なんじゃと? 王様? 国全体?
「貴方の正体が分かったみたいです。なになに? 貴方を喪ったのは、人族にとって大きな悲しみである。今まで貴方が助けた人々、命が貴方を……」
――バレたのか!?
「そ、そうみたいですーっ」
――バレんように生きておったのに、なんということをしてくれたんじゃ!
老人は霞みのように姿を消し、世界から退場したと、そう思わせていたのに。老人は、自分が世界に与えた影響を理解している。だからこそ、自分の死すら隠したかった。
それなのに、自称天使は老人のことを大勢に知らしめてくれたようだ。
――何か起きたらどうする! ワシが死んだと分かれば、よからぬことを企む輩がごまんと出てくるぞ!
それも含めて、老人はあそこを死に場所を選んだのだ。
「ご、ごめんなさいっ! でもっ、貴方が死んじゃったら、良いとか悪いとか以前に、人族が滅んじゃうので……。その、結果は変わらないというか」
少女の声は、次第にしぼんでいった。子も孫も知らない老人だが、叱られた子供はこうなるのだろうとは察せる。
老人の一喝で、天使は反省したようだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
浴びせかけるような謝罪もまた、涙声だった。老人はもはや、許すではなく呆れ果ててしまう。
これ以上、天使を叱っても何も事態は変わるまい。老人の死が広まってしまったなら、もう打つ手はない。そもそも、死んだ身で世の行く末を憂うのはお門違いというものか。
ため息を吐いて、先ほどとは違う声音で問いかける。
――それで、今のワシはどうなっておる? 生きておるのは間違いないな?
「はい。それはその……はい」
――どういうことじゃ?
「えっと、生きているというか、今、生まれました。おめでとうございます、男の子です」
――……なんじゃと?
「可愛らしい赤ちゃんです。ちょっと機嫌が悪そう、ですけど。はい、それはわたしのせいですよね、はい、反省しています……」
生まれた、と言ったか。つまり、老人は死にはしたが、
「約束は守りましたよぅ。でも、やっぱり貴方がいなくなると、大変なんです。人族が滅んだら、神様と天使たちへの信仰心が無くなって、神様と天使たちも消滅しちゃうというか……。だから」
――生まれ変わらせたんか……?
「はい……。邪道だとは思いましたけど、神様の言うことはきかないといけませんから……」
――なんちゅうことを……。
死ねば楽になる、と思っていたのに、生き延びるどころか新たに生まれてしまった。これでは、本末転倒だ。老人が求めていたものとは全く違う。
生きることへの執着心など、とうの昔に捨て去っていた。延命治療も何一つ行わなかった。朽ち果て、骨と皮だけになって、誰からも忘れられたかった。
それに、よりにもよって、
――ワシの魂を、全部受け継がせたのか……。
「だってぇ、貴方自身が生きてないといけなかったんですよぅ。記憶も知識もないと、意味がないじゃないですかぁ……」
確かに、自称天使は老人の望みを叶えた。叶えた上で、無理を通したらしい。
死にかけの老人が、生まれたての赤子になってしまった。また人生をやり直さなければならない。
確かに、若かりし頃を懐かしんだことはある。必死に生き抜いた時代は、忘れられない。老人と呼ばれる歳になっても、思い出は作れた。
だが、それら全てを受け入れての最期を、老人は待ち望んでいたというのに。
――もともとは信じておらんかったがの。ワシは今、神の存在をはっきりと感じた。その上で、神と天使らを許さん。
「ひーっ、そんなこと言わないでくださいよぅ! いくらでも謝りますからあ!」
――たわけっ! 人の命をなんだと思っておる! ロウソクのように、消したり灯したりと好き勝手にやってよいものではないわ!
今の体が赤子でなければ、大声で叱りつけていただろう。あらん限りの呪詛を並べ、魔法の雨をお見舞いしていたに違いない。
ぐ、と唸っても、どこにいるかも分からない天使には声は届かない。
その代わりに、老人、赤子を包む柔らかさが増した。
――なんじゃ?
確認しようにも、視界は霞んでおり、首もろくに動かない。赤子なら当然か。
一定のリズムで、音が聞こえる。重く鳴るようで、安心するのは、鼓動だろうか。となると、自分を包む感触は、
――母、か。
それは、自分の人生で、もっともおぼろげな記憶だった。
母の記憶は、ほとんどない。幼いころに、死別した。冒険者となったきっかけの一つでもある。
今、また、よく見えぬ母に腹を痛めて産んでもらい、そこに罪悪感を抱く。
――愛しい我が子が、くたびれ果てたジジイでは、な。
生まれ変わらせるにしても、もっと上手い方法はなかったものか。これでは、産んだ母も、生まれた自分も報われない。
――すまんのう。誰とも分からぬ母親よ。
謝りたくとも、口から出るのは、あ、だの、う、だのという言葉にならない音だけ。
それでも嬉しいのか、母は頬を撫でてくれた。くすぐったい、という感覚を久しぶりに味わった。
感触に身をすくませると、今度は硬い感触が自分を抱き上げた。大きく、高く抱え上げられ、突然の変化に戸惑ってしまう。
大きいが低い音がした。先ほどのが母ならば、今度は父だろうか。音は、喜色に富んでいた。我が子を得て、嬉しくてたまらないのだろう。
――……申し訳なさしかないわい。
父と母。そうはいっても、生前の自分の半分も生きていない若者に違いない。むしろ、自分が親として振舞わねばならぬ年頃だ。
――これはまた生きづらそうじゃなあ。
どう振舞ったものか、分からない。今はまだ赤子としていられても、子供は育つのが早い。すぐに父と母を真正面から見られる日がくるだろう。
その時、どのようにしてあげればいいのか。子育ての経験などない自分からしてみると、魔法を編み出すよりも難しい問題だ。
深く、心が落ち込んでいく。そこへやってきたのは、完全に場違いともいえる声で、
「あーっ!?」
天使の、悲痛な叫びだった。
――なんじゃ、まったく。まだ何かワシにやらせようというのか?
「ち、違います。違うんですけど、あの……」
――だから、なんじゃ?
諦め交じりに続きを促す。これ以上、何を言われても、何をされても驚くまい。
息を飲み、慌てた声がやってくる。なるようになれと、適当な相槌で済まそうとして、
「ま、まま……」
――……。
「まぞく」
――……なに?
「魔族だー! やっちゃったー! 人族じゃなくて、魔族の赤ちゃんじゃないですかやだー! 竜人族だー!」
――なんじゃとー!?
新しい人生で、産声を上げた。
ご覧いただき、ありがとうございました。